私はリリーのこの姿勢に、二つのことを思いました。一つは、はたして自分が他者に対してこのような姿勢を持つことができるかどうかということです。正直に言うと、毎日が自分のことで精一杯な私には、他者に対して全て受け入れるように耳を傾け、受けとめることはなかなか難しいことだと思いました。ただ聞くだけなら聞くことはできますが、リリーのように相手に安心を与えることはできているのだろうか、そう自分を省みました。この気持ちに気付かせてくれ、私を包み込もうとするリリーの優しさに感謝せざるをえません。
また、もう一つは、「かっこうをつけない姿」「見栄を張らない姿」「自分に嘘をつかない姿」でいられる時間の大切さです。よく考えてみると、最近、自分自身の姿をそのままさらけ出せる場所や機会がなく、改めてこういった時間の重要さを感じました。
私たちは、社会に生きる中で、さまざまな人々や物事と繋がりをもって生活しています。直接・間接、目に見える・見えないなど、さまざまな形態がありますが、繋がりの中で生きていることは事実です。それ故、時としては物事を円滑に進めるために、自分の気持ちを抑えて周囲に合わせなければならいこともあります。職場の人間関係やご近所付き合いなどがいい例でしょう。
これはとてもストレスの溜まるものだと思います。我慢できる容量も人それぞれですが、必ず限界があります。人はある程度までは我慢できますが、いつか爆発してしまいます。極端な話、これが暴言、暴力、犯罪に繋がってしまうということもあります。
大事なのは、このストレスが爆発する前にリリース(開放)することです。その方法は、お酒を飲んだり、美味しいものを食べたり、カラオケで歌を歌ったり、買い物をしたり、人それぞれです。どれも人ぞれぞれのストレス発散に繋がっているのであれば、まったく問題のないことです。
しかし、異なる視点から見てみると、これらは一時的にストレスを感じる私たちの感覚を麻痺させているのであって、ストレスのリリースにはなっていないことも多いのです。明確に言えば、実はストレスで動揺している心にさらなる刺激を与え、もっと心の動揺を掻き立ててしまいかねないのです。いわゆる、火に油を注ぐ状態です。
ではストレスのリリースをどのようにするのかというと、それは心を刺激せずに落ち着かせていくのです。別の言い方をするならば「自分を振り返る場所」です。肩の力を抜いて、他人には決してさらけ出すことのできない本性を「そのまま」預けることのできる場所を持つことです。
こう聞くと、どこか遠くの特別な場所に行く必要を感じる方もいますが、その必要はありません。お風呂、近くの公園、近くの山など、何も考えずただ力を抜き、一人で時間を過ごせる場所であればどこでもいいのです。私のように実家の愛犬の前でもいいと思います。そしてその場所を、自分を包み込み「全肯定」してくれる場所として決めることです。一度このような場所を作ると、それが自分の拠りどころとなり、自分のオンとオフを切り替えられる大切な場所と時間になります。
現代人は日頃、いろいろなストレスに耐えながら生活をし、いろいろと複雑な感情も内に秘めて生活していると思います。時としてそのような自分に嫌悪感を持つ方もいらっしゃるでしょう。しかし、これは人として当たり前のことです。あなたをあなたのまま受けとめてくれる場所をぜひ作ってあげて下さい。
心の動きが穏やかな時ほど、気持ちがよいことはありません。これも実は、とても尊い幸せの一つなのではないでしょうか。