先日、お盆のために地元の山口県へ帰省したときのことです。あまりの暑さのためか、車が故障してしまい、ローカルバスを使って町の中心地へ行くことになりました。その道すがら、プール帰りの小学生数人とバスで一緒になりました。彼らはバスの中で水泳道具の入った袋を抱え、みんなで楽しそうにおしゃべりをしていました。そんな様子を見ていると、昔の自分の姿を思い出し、とても懐かしい気持ちになりました。
実は、私の地元は高齢化の進む過疎地域であり、私の家はその過疎地域の中心地からさらに離れた場所にあります。なので小学校の時は、町から支給されたバスの定期券を片手に、6年間バスに揺られて通学していました。
バスの窓から、昔と変わらない田園風景を眺めながらそんな思い出に浸っていると、前方から子どもたちの大きな声が聞こえてきました。それは「ありがとうございました」という、バスの運転手さんへの挨拶でした。
私の家の最寄りのバス停に辿り着くまでに、乗っていた子どもたちはみんな降りて行きましたが、みんな一様に「ありがとうございました」という大きな声で運転手さんに挨拶をして降りていきました。
私の地元のバスは乗り口と降り口が一緒なので、降りる時にもバスの運転手さんの前を通ります。私も小学生の時は、バスに乗り降りするときには運転手さんに挨拶をしていました。仲のいい運転手さんの時は、ハイタッチなんかもしていました。
ほどなくして、最寄りのバス停に着きました。そしてバスを降りる前、私も久しぶりに運転手さんに「ありがとうございました」と口にしました。すると「お気を付けて」という返答を頂きました。その言葉と心のキャッチボールで、とても気持ちよくバスを降り、帰宅することができました。
私は、地元を離れてもう約20年近く経ちます。仕事の都合で、主に東京で暮らしていますが、現在ではバスに乗っても自分が何も口にしなくなっていることが、自分自身気になっていました。自分の代わりにものを言ってくれるのは、電子マネーカードから運賃を差し引いたことを「ピッ」と合図する機械の音です。しかし、バスに乗る際に注意深く見てみると、実は多くの運転手さんは「ありがとうございます」とお辞儀までして話しかけてくださっているのです。これにお気付きの方、いらっしゃるでしょうか?
普段、バスに乗車できることが当たり前になっていて、乗車前は仕事のことやバスから降りた後のことを考えて予定を組み、時間通りにバスが来なければイライラする人も多いのではないでしょうか? また、疲れた体を少しでも早く休ませたいと、バスが到着するやいなや急いで乗り込み、我先にと脇目もふらず席取りに向かう人もいます。もちろん皆さんそれぞれの事情があって、日々の生活に忙しくされていることは百も承知です。
しかしいま一度、少しだけ冷静に考えてみていただきたいことがあります。それは、バスの運転手さんのことです。
バスの運転手さんは、バスが時間通りにバス停に着くように、さまざまな状況を判断し、スピードを調節しながら運転されています。さらに、運転する前にはバスに故障がないかを念入りにチェックされています。時には事故や天候によって、予想外の渋滞に巻き込まれたり、バスが故障することもあるでしょう。それでも、バスを待つ利用者のために、最善を尽くして安全に運転されています。そんなバスの運転手さんがいて、はじめて私たちはバスを利用できるのです。冷静に考えれば当たり前のことですが、実際はこのことをすっかり忘れてしまっているのが、現代の私たちの姿ではないでしょうか?