小川ヤクルト 躍進へのマネジメント

どん底の状況を抜け出すために、
今できることは、何なのか?

――たとえば、坂口選手の離脱後、現在に至るまで一番打者を誰にするのか、試行錯誤の連続です。若手の塩見泰隆選手や、ベテランの雄平選手が任されたときもあったし、交流戦終盤からは山田哲人選手が務めることとなりました。この辺りにも監督の腐心のあとが見られますね。

小川 もちろん、打順に関しては(石井琢朗)バッティングコーチ、(宮本慎也)ヘッドコーチと話し合って決めますが、意見が分かれることもありました。結果が出ていない塩見を起用する際にも、いろいろ意見が出ましたが、「試合に使いながら、調子が上向くのを待とう」と僕が判断しました。でも、チームに勝ち星がついていない状況の中で、村上(宗隆)を含めて、「我慢して使う」という選手が二人もいると打線が機能せず、結果的には正しい判断ではなかったと反省しています。あるいは、「一番打者には山田がいい」とか、「青木(宣親)がいい」とか、いろいろな意見が出ていました。

――山田、青木両選手とも、それぞれ一番打者の経験はありますよね。

小川 僕が前回、監督を務めたときに、それぞれ一番で起用したこともありました。今回は、楽天との交流戦の頃(6月11~13日)に、「一発もあるし、出塁率も高いし、盗塁もできるお前が先頭打者であることは、相手に与えるプレッシャーが大きいから」ということを、直接山田本人に説明して、交流戦の途中からは一番を任せることにしました。

――山田選手の反応はいかがでしたか?

小川 もちろん、チームでの決定事項ですから、快く「わかりました」と言ってくれました。こちらも「オレとしても三番が理想だと思うけど、現状ではお前を一番にしたい」ということはしっかりと伝えました。

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プロフィール

小川淳司
小川淳司

千葉県習志野市出身。習志野高校卒業後、中央大学に入学。1981年ドラフト4位でヤクルトに入団。1992年現役を引退すると、球団スカウトやコーチなどを経て、2010年シーズン途中に監督に就任。2014年シーズンまでチームを率いる。退任後は、2017年シーズンまでシニアディレクターを務め、2018年から再び監督となる。

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