③ 今の年収はまあ「適正」だと思う
自身の年収は適正である、と感じていることは、ある種幸せでしょう。それでいいのかもしれません。しかしあえて私は「気を付けて」と言いたいのです。
「ほんとうにそうか」と疑ってかかることも大事です。
先述しましたが、年収は、「提供した価値」によって決まります。そのバランスが取れているのであれば、確かに適正でしょう。
しかし、自身が適正だと思っていても、実は多すぎたり、少なすぎたりするかもしれません。「少なすぎる」についてはご自身が「適正」と感じていらっしゃるのですから、あまり心配はないでしょう。
しかし「実は多すぎる」というのは危険なことです。
「こんなもんだ」と思っていても、会社や周囲はそうは思っていないかもしれません。
それに気づかないでいると、「急にリストラ」のような目にあうこともあるかもしれません。やはり適正な年収かどうか、確認しておいたほうがよいかもしれませんね。
④多すぎている もらいすぎている
「多すぎる、もらいすぎている」というのは、その自覚があること自体はとても大切なことです。
私には、そういう時期があって、「自身の仕事ぶりでは、本当はこんな年収を得てはならないのではないか」「転職したら年収は下がってしまう」と思っていました。
これはとてもつらい時期でした。リスクを感じているわけですから、おちおちローンも組めません。
そして、「いつ下げられるか」「いつ退職や出向を促されるか」ということに戦々恐々としていました。
辞めたら年収を維持できないわけですから、その年収に固執している限り、辞められません。そして、やっている仕事に面白みを感じられないとしたら、それはそれは、辛いことでしょう。
私の場合は、遂にそれに耐えられなかった時に意を決して、年収ダウンを覚悟して転職しました。年収は相当下がりました。しかし、転職市場で自分に「値」がついたことで、「ああこんなもんなんだな」という妙な実感がわき、安堵した覚えがあります。
年収はかなり下がりましたが、実は生活はさして変わりませんでした。年収が高いと思っていたころは、それが「あぶく銭」だと思っていたので、生活設計に使うことはできませんでした。
自身が「こんなもんだ」と思ったところで、マンションも購入しましたし、楽ではなかったですが、子供も育てることはできました。
以上のように、「年収が高ければ幸せ」とは限らないのです。
大切なことは「自身の年収が適正かどうか」を把握しておくことです。
そのうえで、いまの環境で頑張っていくか、環境を変えるのかを考えましょう。
また、年収をもし上げたいのであれば、何が必要なのかも確認しましょう。
私の最新の書籍「人事の超プロが本音で明かすアフターコロナの年収基準」には、自身の適正な年収はどのくらいなのか、を大まかにですが知っていただく指標が書かれています。
もちろん、年収水準は地域・業種・企業規模によって変わりはしますが、参考指標としては使えるはずです。
ぜひ一度、自身の仕事を振り返っていただき、適正な年収を確認してみてください。
幸せは「年収の多さ、少なさ」ではなく、自身で「適正な水準である」という実感によってもたらされるものなのです。
次回に続く