「エラソーな先輩」が苦手である。そして自分もそうはなるまい、と決めた原点がある。
公立中学1年生になった時、初めて「先輩」と接するようになった。そして「上下関係」を経験した。
地元の同じ公立学校に通い、小学6年生までは特に「先輩・後輩」という関係ではなかった1学年上の「○○君」は、先に中学校に進学して1年後再会すると「○○先輩」に成長していた。なぜか人は、中学に上がると「先輩」になるのだ。
中学では卓球部に入ったのだが、この先輩が実に酷かった。
当時の卓球部は「暗い」というイメージがあったほか、野球、サッカー、バスケという花形競技に入るだけの運動能力がない者が入る部だった。
だから妙な劣等感があったのか、この先輩達は「オレ達は1年生の頃、散々先輩にしごかれた。これが卓球部の伝統だ」と言い、ひたすらエラソーにした。卓球をやるために入ったものの、ラケットを握ることは一切なく、ひたすら長距離を走り、「空気椅子」をやらされるだけだった。「空気椅子」で休むには、先輩を笑わせるダジャレを言わなくてはいけなかった。
夏休みを過ぎても素振りはさせてもらえたが、ボールと台を使った練習はさせてもらえなかった。あまりにもバカらしいので、秋になったら私は卓球部をやめて野球部に入った。まぁ、レギュラーになれるわけもなく、1試合も出ることはなかったが。
その後の人生で会った先輩はまともな人が圧倒的に多かったのだが、とにかく卓球部の連中は「先輩」の立場を手に入れた途端、自分が過去に受けた酷い仕打ちを同様に下級生にやるようになったのである。「この悪しき伝統はオレらの代で終わらせよう」という話ではなく、「このままやめたらオレらはやられ損だから、オレらもやろう」ということである。
こうした原点もあるため、もうすぐ46歳になる今、私は極力年下の人に対しては低姿勢でい続けようとしている。
というか、自分の本職であるウェブメディアの世界では自分が最年長に近い状態なのだ。中にはヤフーニュース編集部のようにベテランを外部から入れてきたりするところもあるが、軒並仕事相手が年下のため、仮に自分が横柄な態度を取った場合は、協働もできないし、間違いなく「あのオッサン、うぜー」などと陰で言われてしまうのが目に見えている。
だからこそ若い人と一緒に何かをする時は、以下は最低限やるようにしている。
【1】敬語を使う
【2】「さん」づけをする
【3】相手は自分が知らない「何か」を知っている人だと敬意を表する
【4】飲みの場合は全額払うかかなり多めに払う
【5】発注相手・受注相手に対し感謝する
いずれも簡単なことである。だが、これをするだけで、「あのオッサン、うぜー」は少しだけ回避される。いや、心の中ではそう思っているかもしれないが、この感想の後「でも、他のオッサンよりかはマシかもな」と続くだろう。いや、続いてくれればいいな。上に付け加えるとすれば、あとは色々と聞かれた場合は自分の分かることならばお伝えするようにはしている。
「良き先輩になろう」などと大それたことは考えていないが、「エラソーに見えない年上にはなろう」「少し頼れる年上にはなろう」ぐらいは考えている。
その原点は大学時代に遡る。1年生になったばかりの時、サークル説明会があった。色々なサークルの話を聞いたのだが、その中でもっとも「いい人」が多そうだった「山友会」という登山サークルに入った。
それまで登山などしたこともないし、自然が好きでもなかったのに登山をすることになってしまったのである。理由は、その中にいたM先輩が非常にいい人だったのだ。
屈託のない笑顔を浮かべ、「オレも山、嫌いなんだよ。でも、このサークルの人、案外いいよ」と言った。この一言で入ることにしたのだが、確かに先輩は穏やかで優しい人揃いだった。
1年生は1年間無料で飲み食いできたのだが、毎度M先輩は焼酎をぐびぐびと飲み、笑顔を浮かべ「中川は本当に面白いな~」といつも言ってくれていた。「なんだかいい大人に会ったな」と思った。
以後、自分もMさんのような先輩にならねば、と思いながら過ごしてきて、いつしかこの年齢になってしまった。もう、仕事上では年上と会うことは滅多にない。そして、この5年ですっかり「自分の時代は終わった」と思うようになった。IT業界は20~30代が主役で、40代以降は日陰者になるのだ。