それを如実に感じたのが、サイバーエージェントやLINEを訪問する時である。15年ほど前にサイバーエージェントに行くと周囲は同年齢の人が多く、年上も時々いた。
だが、今は会う人会う人年下なのである。私自身は同社でその頃と同じく編集業務を代わらずやっているが、同社の規模も大きくなり、職種も広がり、何をやっているのか分からない人もかなりいる。
多分自分ではついていけないジャンルの仕事をやっているのだろう。ミーティングには全員がPCを持ち込み、格好は男性は夏は短パンにサンダルの人も多く、女性は皆おしゃれに着飾っている。そんな中、15年前とまったく同じ格好の自分は同じことをやっている。
かつては存在しなかった会社のカフェテラスやクリエイティブ用の部屋は開放的で、皆が思い思いのスタイルで仕事をしたり会話をしたりして楽しんでいる。同じビルの中にいるのに、自分だけが浮いた存在に思えてしまうのだ。いや、もちろん出入り業者なのだから浮いた存在なのは分かるが、昔はこうした感覚はなかった。
昔は同世代と一緒に仕事をしていたし、「オレらはIT業界の最先端の若者!」的な妙な自信をもって皆が仕事をしていた。だが、今はもう違う。正直に「皆さんができていることは私にはできません」と言うしかなくなった。
彼らほど積極的に社外の人に会いに行ったり、エレベーターで会った同僚や同期と軽快な会話もできない。昔はエレベーターに乗ったら大抵は知り合いがいたが、今は5回に1回ぐらいしか会うことはなくなった。
あとは、2017年末、「ライター忘年会」に行った時に明確に「自分はもうロートルだ」と感じた。
何しろ、そこにいたほぼ全員が年下で、顔出しでネットで記事を書き、ツイッターのフォロワーもそれなりに多く、皆が和気藹々としている。「あの記事読みましたよ!」なんてこともキチンと言い、初対面なのに初対面ではない風な会話がそこかしこで展開されていた。
この会にきていた人々は基本的にはウェブメディアの人々だった。私は雑誌出身のため、当時は「雑誌黄金期」を過ごしてきた年上世代のライターと一緒に仕事をしていた。いや、厳密にいうと「一緒に」は仕事をしていない。当時のライターは一切交わり合わなかったのである。もっと言うと「敵」だった。
ライターは各編集者の下につき、その編集者は決して自分の手駒であるライターを他の編集者に渡さない。さらに、自分の下についたライター同士を合わせることもない。余計な情を互いに持たせず、「キミの企画より○○君のやった企画の方がスコア(読者ハガキの結果)が高かったよ」などと発破をかける。
だから、ウェブメディアの記事で署名を見た人と実際に会った時は「会いたかったです~」となるのとは真逆で、様々な雑誌でそのライターの名前を見た時は「こいつ、さっさとくたばれ」「横領でもして業界から追放されろ」などと思っていた。とにかく同業他者は敵認定していたし、「ライター忘年会」が開催されるなどあり得なかった。
自分が20~30代だった頃の仕事のやり方や、同業者に対する接し方の常識は、今や変わりまくってしまったのだ。電話をすることもなくなったし、若者は電話にも出てくれない。
最近、FINDERSというウェブメディアの編集長・米田智彦さんと一緒に仕事をすることになったが、彼は新しいことをやりつつも、「あぁ、同じ空気感を持っている」と感じた。
彼は私と同じ1973年生まれで、三国志が大好きなことで共通している。彼と知り合ってからの約1か月間で3回電話があった。
「6月28日のイベント、出てもらえませんか?」
「中川さん、原稿の締め切り、忘れてるでしょ? いつもらえますか?」
「今日のイベント、間に合いそうですか? 今どこですか?」
この3つの電話があまりにも心地よかったのである。「あぁ……。2000年代前半のあの若く懐かしい日々が戻ってきた……」といった感覚を味わったのだ。しかし、これを心地よいと思っている時点ですでに若手世代からは「キモーッ」となることだろう。
2011年ぐらいまで、私はウェブメディア業界では年上の部類ではあったものの、まだ業界そのものが新しかったため、「古株」の存在は必要だった。だからそこに居場所を見つけていたのだが、ここまでウェブメディア業界が成熟したら、もう古株どころか「老兵」はいらないだろう。
そんなことが、私自身の2020年8月でのセミリタイアという宣言に繋がっている。米田さんは、経営者として、編集長として引っ張っていかなくてはいけない立場のため、根なし草の私とは違う。彼にはまだまだ活躍してもらおう。
今は年下の皆さんになんとか付き合っていただいているが、正直4年後、50歳になっている時に28歳の若者からプロジェクトや飲み会に誘ってもらえるとも思わない。だったら、ギリギリ誘ってもらえる今、セミリタイア宣言をし、「うざい年上」と思われる前に去るのが年上としての正しい引き際なのでは、と考えている。