出版と講演会は縁が深い。文芸書の作家でも文化講演会や、時に経営者の集まりで話をすることもある。歴史小説家の講演は経営者セミナーでは定番だ。誤解を恐れずに言えば、講演の稼ぎをあてにしている作家も珍しくはない。講演の謝礼は、だいたい初版印税の半分くらいになる。有名作家なら有名作家なりの初版印税×50%であり、それほど有名ではない作家でも、それほど有名でないなりの初版印税×50%が、概ね講演料と合致する。というか、していた。私がその方面の現場にいたのは、すでに20年ほど前のことになる。その頃はそんなレベルだったのだ。
講演料の謝礼は数ヶ月を費やして手に入る印税の半分とはいえ、わずか1時間半足らずしゃべって得られるのだから、ついつい講演活動に軸足を置きたがる作家がいるのもうなずけるというものだ。文芸書の作家にとって講演は割のよいアルバイトといえるが、ビジネス書の作家となると、そもそも本業がセミナー講師という人も多い。こういう人々は主な稼ぎの手段がセミナーや講演会の講師であり、出版は本業のためのPRと割り切っている。無論、そういう戦略があってよい。事実、こうしたやり方で成功している人たちもいる。
私が出版社に勤務していた最後の頃(つまり10年前)には、少し出版とセミナー・講演会の関係が変わりはじめてきていた。それまでは、書店でイベントといえば店頭サイン会くらいのものだったのだが、その頃から書店が常設イベント会場を持つようになった。売り場スペースを縮小したから余ったのか? というイベント会場もあれば、そのために設備投資した立派な多目的会場もあった。
せっかくイベント会場があるのなら、サイン会だけでなく出版記念のセミナーや講演会もやろうということになって、書店と出版社と作家が手を結び、開かれる講演会が増えた。出版記念の講演会に参加するような人は、概ね作家の本は買っている。すでに他店で新刊を購入して講演会に参加する人は、同じ本を2冊買う気になれないが、未読の既刊本が売り場にあればそっちを購入する。書店としては100人来れば100人分の売上が立つし、作家にとっても既刊本もついでに売るチャンスである。
出版社としては、自分のところで出した本以外が売れても面白くはないが、書店との関係を深めるという点では徒労はない。やがて新刊が出たら日本全国の書店で、ローラー作戦のごとく出版記念講演会を展開する作家も現れた。書店と出版社にとってはありがたい作家である。
しかし、書店にとって本当にありがたい作家とは、売上につながる作家だ。すなわちその作家の講演会があると、たくさんの人が集まってくる効果があって、書店にとってはありがたい作家となる。
仮に、無名の新人作家が「私もぜひ全国書店で新刊の出版記念講演会をやりたい。講演料は要りません。交通費だけでよいので北海道から沖縄までやりましょう!」と担当編集者に提案しても、たぶん感謝はされるだろうが、せいぜい近隣の二つ三つの書店でという具合にお茶を濁されるはずだ。
作家の出版記念講演会を書店に提案するのは、出版社営業部(または販売部)の書店担当者である。日本全国の書店に話をつけるというのは、なかなか大変な労力だ。また書店にすれば、先に述べたとおり、講演会を開催することによって多くの人が集まり、店の売上に貢献してくれるような作家にはぜひ来てほしいのだが、新人となると話が違ってくる。
意欲と厚意は理解されるが、現実は思ったほど歓迎ムードではないのだ。お気持ちはありがたいが……。ということである。ましてや今は、そこそこ名のある作家でも、書店の講演会には無償で呼ばれる時代。それが当たり前なのである。
昔々、書店が常設イベント会場を設けはじめた頃は、せっかくつくったのだから何かイベントをやらなきゃいけないと、書店から出版社のほうに「使ってくれないか」と依頼がきたものだ。しかし、イベントが定着するに伴い、書店の敷居のほうがだんだんと高くなった。今や出版社が「イベントしましょうよ」と言っても、書店サイドからシビアに作家や本の内容を吟味される時代なのである。昔を知る者にとっては、世の中変わったと思わざるを得ない。
ビジネス書の作家には、セミナー講師が本業という人がいるとは先に述べたとおりだ。セミナー講師が本業ということは、セミナー・講演会ビジネスがあるということである。そう、確かにある。公に近いところでは、商工会議所、商工会主催のセミナー・講演会、これらは無料もあれば有料もある。銀行が主催するものも多い。業界団体の主催もある。こちらは有料というのは少ない。さらに民間セミナー会社もある。こちらは完全に有料だ。
民間セミナー業界は1970年代から80年代がピークだった。今は業態を情報産業に変えているものの、いくつかの団体は現在でもセミナー主体で存在している。私が若い頃は、こうしたセミナー業界で活躍している講師が、作家の有力候補だった。ブログもメルマガもなかったので、表に出てくる作家の情報として、セミナー・講演会は有力なソースだったのである。セミナー会社ではないが、私のいた出版社が出版記念セミナーを主催することもあった。
その頃の出版記念セミナーは、出版社の意図も作家の意図も現在とは異なる。どちらにとってもセミナーはPR手段ではなく、直接収益をあげるための手段だった。出版社は自前で会場を借り、宣伝のために集客に努め、作家にも些少ではあったが講演料を支払った。いかに自分の著書の出版記念講演会といっても、作家が無償でやることはない。
とはいえ、出版社としては「先生の本の出版を記念したセミナーですから」と若干値切ってはいた。作家も“ビタ一文負からん”という人はめったにいなかった。しかし、破格の安さというほどではなかった。一応、相応の謝礼は出していたのである。結果、黒字のときもあれば、赤字のときもあった。