セミナーの集客は、もっぱら新聞広告に頼っていた。新聞広告は料金が高いので、1回のセミナーだけで回収するのは難しい。そのため書籍の広告費と折半していた。出稿は書籍広告で出し、その半分をセミナー広告にあてていたのである。このやり方は、いまは新聞社のコードに引っかかってしまうはずだ。当時は新聞広告も、まだネットという競合がいなかったので、比較的おおらかだったのである。書籍の営業部にすれば、書籍の広告費負担をセミナーの広告予算で軽減するという下心があった。
しかし、会社としてはどちらの名目でお金が出て行こうと、黒字は黒字であり、赤字は赤字だ。私はその頃、名目だけ分けても無意味だと余計なことを言っては、営業のトップに迷惑がられていた。ただ、セミナーで利益が出れば確かに広告費負担は減らすことができる。ビジネス書の出版社が出版記念セミナーを開催する動機は、もっぱらこの宣伝広告費をセミナー収入で埋めようという狙いだったのである。いわば本の販促費を稼ぎ出すための涙ぐましい方法論だったのだ。
一方、当時のビジネス書作家にしてみれば、本を出版することが自分自身の仕事の販促手段であるから、本業の講演やセミナーを安売りすることには積極的ではなかった。仮にこの頃、作家に日本縦断の出版記念セミナーをやりましょうと言えば、それだけのギャラの保証があればやっただろうが、無償ということは彼らにとってあり得ない話である。彼らにしてみれば、自分を売るための本であって、本を売るためにセミナーをやるというのは、彼らにとっては本末転倒なのだ。
かつての出版記念セミナーは、概ねこういう前提条件で行われていた。今の作家、書店、出版社全体の出版記念セミナーは作家の無償講演という経済的犠牲のうえに成り立たないように見える。しかし作家にしても無償の講演会が、自著の販促以外にはリターンが期待できないボランティア活動かというと、必ずしもそうではない。私が現役当時から、すでに特殊な方法論で出版記念セミナー・講演会をやっている作家はいた。特殊な方法論とは、セミナーもまた自己PRの手段である、ゆえにセミナーで収益をあげなくてもよいというやり方だ。では、どこで収益を上げるのかということになる。収益源は別途に用意された商品である。
こう書くと、何か一部の催眠商法やマルチビジネスのようだが、そればかりではない。経営改善や品質改善などのテーマで、直接企業に入り込んで仕事をする堅気のコンサルタントにとっても、セミナーで顧客に接する機会は有力なPRの場なのである。私は昔から、セミナーはたとえ謝礼が安くてもあったほうがよいとビジネス書の作家には言っていた。実際、セミナーの参加者から作家にオファーが入る確率は(前にも書いたかもしれないが)本の出版よりもはるかに高い。
昔は、セミナー・講演会で100人の参加者がいれば、2~3件は仕事につながっていた。本は5000部売れても、500件の仕事とはならない。会員制を敷いている作家の場合には、セミナーで参加者に直接語りかける機会は「秋の収穫」に相当していたのではないだろうか。事実、それに近い話はよく耳にしていた。
セミナー・講演会には十分なPR効果があるという認識は当時から持っていた。昔は出版とセミナー・講演会は別々に動いていた。しかし今は、両者が連動しつつある。こうしたやり方の牽引役は出版社ではなく、書店でもなく、作家だ。それはそれでよいことだと思っている。知識・情報とは共有されるべきものだ。優れた知識や情報が共有されるためには、出版もセミナーもネットも連動して、最大数の人々に最大限の選択肢を最小限の負担で提供すべきである。それで全員がウィン・ウィンとなれるのなら最高といえる。いつまでも昔のように自分の利益中心で考える時代ではないということなのだろう。少し過去を悔い改めようと思う。
次回に続く