書籍市場では、文芸書よりも実用書のほうがベストセラーになるものが多い。戦前でも、平凡社をつくった下中弥三郎の『や、此れは便利だ』は、今日でいえば「ニュースに出てくる言葉がわかる本」であり、当時、新聞に出て来るようになった外来語や新語、流行語などを解説したものである。実用書の戦前のベストセラーで、略称の「やべん」で十分通用するほどだったらしい。
また、ニュース用語の解説にはベストセラーが多い。『現代用語の基礎知識』(自由国民社)はこの系譜に連なるひとつだろうし、90年代末のミリオンセラー『経済のニュースが面白いほどわかる本』(細野真宏著 中経出版)もやはり「やべん」の末裔(まつえい)といえよう。無論、そこには池上彰さんもいるわけだ。
時代と切り離しては、存在し得ないのがベストセラーである。いかなるジャンルのベストセラーでも、必ずその時代の影が反映されている。『21世紀の資本』(トマ・ピケティ)は、間違いなく力作であるが、この時代でなければここまで世界中の人々が手にすることはなかっただろう。詳しい分析はできないが『ハリー・ポッター』にも、この作品が世界中でベストセラーになった何らかの時代背景があるように思う。
実用書にベストセラーが多いのは、時代が常に変化するからである。時代が変われば流行が変わる。流行が変われば用語が変わる。10年前には「ユビキタス」といわれていたコンピュータ社会の最新の姿は、ユビキタスが実現する以前に「IoT」へと移っている。めまぐるしく変化するため、いちいち根本にまでさかのぼって解説していては間に合わないし、読者も現状対応が第一で、そこまで深く事実関係や論理を追求したいわけではない。といって新聞、雑誌、テレビ解説程度では情報不足である。そこで実用書やビジネス書が必要とされるわけだ。
ベストセラーは時代とともにある。そして、実用書やビジネス書も時代とともにある。実用書やビジネス書が、ベストセラーとなる確率では文芸書よりもやや有利な位置にいることは疑いないだろう。
それは昭和40年代のベストセラーにも表れている。昭和40年代というのは、高度経済成長のど真ん中の時代である。人々の向上心や権利意識はとりあえず食うことには困らなくなって芽生える。昭和40年代とは、日本国民が一億総中流と思い、次のステップ、それも明るいステップを描けた時代である。この時代は、ビジネス書がベストセラーの上位に入ってくる。経営学、労働法など今日では考えられないような硬いテーマが年間のベストセラー上位に連なっていた。昭和40年代はマネジメントの時代だったのである。
より明るい明日を実現するために必要なものは、積極的に吸収していった。戦国武将や歴史上の人物に学ぶ本は、このころすでに現れている。ドラッカーの翻訳本が出版され、ビジネスマンの注目を集めたのもこの時代だ。この時代がなければ『もしドラ』もなかった。出版だけではない。ビジネスセミナー、講演会も隆盛だった。ビジネスマンは競うようにしてセミナー、講演会へ足を運んだ。
しかし、実用書やビジネス書はその役割が期間限定、現状対応限定であるため、どうしても底が浅くなるという傾向がある。ここが実用書、ビジネス書の限界なのだ。深遠なる人生の真実、奥義にまで届くことがない
私は若いころ、ビジネス書の底の浅さが嫌いだった。どうにかして人生の深遠に届くようなビジネス書がつくりたかった。その夢は、ついに果たされぬまま今日に至っている。おそらくこの先も夢は夢のままだろう。
一方でわたし自身は昔と少し考えが変わった。いまは、底の浅さがビジネス書のレーゾンデートルであり、その役割であると考えている。別に、あきらめているわけではない。あるとき、次の真実に気がついたからである。
どんなに精密な内容の本でも、読まれなければその本はないのと同じ。どんなに正しいことが書いてある本でも、読んでわからなければ読まれないのと同じ。これらは、もちろん出版社にいた時代からわかっていたことだが、一冊の本の出版により深く責任を持つようになってから身に染みて実感するようになった。
どんな情報でも100%の情報を100%理解できる人は、全体の5%程度だ。ビジネス書とは、70%の正しさで95%の人に情報を伝える本である。70%では底が浅いが、それでも何もわからないままよりはマシである。現状対応しかできなくても、現状対応もできないよりは貢献度が高い。ビジネス書の役割とはそういうものだと思っている。
だから、1000冊のビジネス書を読んで勉強したという若い評論家がいると、しょせん70%の本を1000冊読んでも70%を超えることはないのにな、とどうしても違和感を覚えてしまう。なにかこの人は勘違いをしているのではないかと思う。ビジネス書は何かを極めるための本ではない。ビジネス書は、その人が極めるべき必要な何かを発見するきっかけをつくる本である。したがって、多くの人に読まれることではじめて意義がある。必要だったら読んでもらえばよいという本ではなく、必要であることがわかる、あるいは、結果として必要ではないことがわかるためにも読む本なのである。
ビジネス書は、その本質が底浅いものである。そのため、より多くの人に読まれることでしか、その役割を果たしたことにならない。それがビジネス書の役割であり、ビジネス書をつくる者の務めであると思っている。