ビジネス書業界の裏話

知られざる過去のベストセラー

2016.12.08 公式 ビジネス書業界の裏話 第21回

返本システムも円本から

書籍市場の戦前のエポックは、以前にも触れた『円本』であった。経営危機に瀕した改造社が、乾坤一擲(けんこんいってき)、社運をかけて放った『現代日本文学全集』が口火を切った円本ブームは、出版界を一時活気づけた。昭和初期のことである。円本の名の由来は一冊一円だったからであり、基本システムは全巻予約販売、委託販売制度であった。日本の書籍市場に、委託販売制度が大々的に導入されたのは「円本」からだといわれている。

『現代日本文学全集』は改造社の窮地を救ったのみならず、そのよしあしはともかく書籍市場を大きく拡大する役割も果たした。その結果、多くの作家の暮らし向きも一気に改善されたという。

岩波書店の岩波茂雄が、円本ブームに対抗して『岩波文庫』を創刊したことは、以前に述べたとおりである。改造社の成功により『円本』市場には各社が参入する。『世界文学全集』を新潮社が、『明治大正文学全集』を戦前の大手である春陽堂が、『現代大衆文学全集』を平凡社が、そして少し遅れて小学館が『現代ユウモア全集』を出す。

しかし、委託販売制度のマイナス面もその5年後には顕著に表れた。大量の返品が発生したのである。委託販売制度の普及は、書籍市場を拡大した一方で、出版社の経営をさらに見通しの悪いもの、すなわち水商売へと誘ったのである。

戦前のエポックが『円本』なら、戦後のエポックは『日米会話手帳』であろう。『日米会話手帳』は戦後も戦後、終戦直後に登場した。誠文堂新光社の社長、小川菊松は疎開先で玉音放送を聞き、これからは英語だと確信した。その日のうちに社へ戻ると企画を固め、約一ヵ月後にわずか32ページの小冊子のような『日米会話手帳』を発行した。この本は、菊松の目論見どおり爆発的に売れた。

しかし、あまりの売れ行きに紙が足りない。終戦直後の物不足の中、自社では紙の確保ができないため、菊松は思い切った手を打つ。懇意にしている全国の書店に紙型(しけい・鉛を流し込んで印刷版をつくるための紙の凹版、今日でいえば印刷用のデータ)を送り、現地で印刷してもらったのである。この奇策も奏功して『日米会話手帳』は、わずか3ヶ月間で360万部というとんでもない記録をたたき出す。しかし、空前のベストセラーとなった『日米会話手帳』は、その年の暮れに発行を終了する。類書が出てきたことと、紙がないことがその理由だった。

ご感想はこちら

プロフィール

ミスターX
ミスターX

ビジネス雑誌出版社、および大手ビジネス書出版社での編集者を経て、現在はフリーの出版プロデューサー。出版社在職中の25年間で500人以上の新人作家を発掘し、800人を超える企業経営者と人脈をつくった実績を持つ。発掘した新人作家のうち、デビュー作が5万部を超えた著者は30人以上、10万部を超えた著者は10人以上、そのほかにも発掘した多くの著者が、現在でもビジネス書籍の第一線で活躍中である。
ビジネス書出版界の全盛期となった時代から現在に至るまで、長くビジネス書づくりに携わってきた経験から、「ビジネス書とは不変の法則を、その時代時代の衣装でくるんで表現するもの」という鉄則が身に染みている。
出版プロデューサーとして独立後は、ビジネス書以外にもジャンルを広げ文芸書、学習参考書を除く多種多様な分野で書籍の出版を手がけ、新人作家のデビュー作、過去に出版実績のある作家の再デビュー作などをプロデュースしている。
また独立後、数10社の大手・中堅出版社からの仕事の依頼を受ける過程で、各社で微妙に異なる企画オーソライズのプロセスや制作スタイル、営業手法などに触れ、改めて出版界の奥の深さを知る。そして、それとともに作家と出版社の相性を考慮したプロデュースを心がけるようになった経緯も。
出版プロデューサーとしての企画の実現率は3割を超え、重版率に至っては5割をキープしているという、伝説のビジネス書編集者である。

出版をご希望の方へ

公式連載