その後、この読者が百貨店業界へ進んだかどうかはわからない。
一方、Aさんは勤務先の百貨店の部長職から課長へ降格となった。閑職(かんしょく)に追われ、一日中壁を見つめるだけの毎日が何ヶ月も続いた。しかしその間も、Aさんの本は重版を続けた。大先輩はAさんに重版の連絡をする度に、Aさんから「もう重版はやめてくれ」といわれるのではないかと覚悟したという。
Aさんには、勤務先の百貨店から、当然、重版を止めるのみならず、速やかに販売中止するよう強い圧力がかかっていたはずだからである。だが、Aさんは重版の知らせを常によろこんで聞いてくれた。その後、Aさんは係長へとさらに降格された。そして、ほどなくして百貨店を辞め、作家一本で独立し、何本もの代表作を持つ実力派の作家として世に認められることになる。ここでAさんの代表作を紹介したいところだが、ご本人の了解を得て書いている原稿ではないので、残念ながらあくまでも匿名とせざるを得ない。
Aさんは、内部告発がしたかったわけではない。真摯に正しい情報を読者へ伝えるという、ビジネス書作家としての使命を貫いたのである。Aさんは百貨店マンであるが、本を出す以上は作家である。作家であるAさんにとって、一身の安寧(あんねい)のために作家としての使命を放棄することなどあり得ないことだった。
物書きの矜持とは、こういうものだろう。会社の要求を受け入れ、華やかな百貨店の上辺だけを書くことは、百貨店マンのAさんにはできても、作家のAさんにとっては誇りが許さないことだったに違いない。
大先輩は、物書きというものをAさんの話を通して私に教えてくれた。Aさんは冒頭で述べた史家たちの末裔(まつえい)といえる。それを私に教えてくれた大先輩も、また史家たちの末裔のひとりだと思う。わが身と引き換えにしても、伝えるべき真実がある。そういう真実を持っている作家は、ある意味では幸福かもしれない。
次回に続く