ビジネス書の作家は、その多くが別の仕事を持っているはずだ。
ビジネス書で作家専門という人は、私はいままでお会いしたことがない。だいたい講演家、あるいは研修講師など、何らか別の仕事を持つ人がビジネス書の作家だと思う。
作家は、かたわらの仕事である。
なぜならば、本を書いて得られる収入よりも、講演やセミナー講師のほうが稼ぎがいいからだ。作家という仕事は、世間が思っているほどには儲からない。
最近の講演料、研修講師料、コンサルティング・フィーがどの程度なのかは、現場を離れてしまっているので詳(つまび)らかにはわからないが、私が講演料、講師料を支払う側にいたころは、1回あたりの金額のボリュームゾーンは10万円~20万円だった。
ただし、私が支払う側にいたのは、1900年代までである。
2000年代になってからは、社内での立場が変わったので、講演会、研修等には関わらなくなった。
そうして何年か経った後、旧知の研修講師の人に再会した折、講師料の相場について聞いたところ「Kさん(わたしの本名はXではないので)、いまはそんなにもらえないよ」と言っていた。
講師料の相場は、2000年代に入って大幅なデフレに陥ったそうである。
だが、仮にデフレで半減したとしても、一回あたりの報酬は5万円~10万円である。月に10回壇上に立てば、50万円から100万円となる。
本の印税で同額を稼ぐことは可能だが、一冊の本の原稿執筆にかかる時間と労力を考えれば、圧倒的に講師料のほうが比較優位性は高いはずだ。
稼ぎのメインストリームが他にあるせいか、ビジネス書作家の多くはあまり印税のことを気にしていない。
しかし、作家という仕事も経済行為である以上、印税に無関心というわけにはいかないだろう。それに世間の作家を見る目には、印税生活者という憧れに近い思い込みがある。
そこで今回は、少し印税のことについて書くことにする。
前もって言っておくと、なにごともそうだが、「夢の……」などと言われるものの現実は、案外つまらないものである。
印税も例外ではない。
印税というものが、作家がまともに生活できる水準になったのは、以前に「岩波文庫」の話のときに紹介した、昭和のはじめの「円本ブーム」からといわれている。
円本とは一冊一円の文学全集のことで、改造社の経営者山本實彦氏が「現代日本文学全集」で先鞭をつけ、多くの出版社がそれに倣(なら)った。円本は全巻同時発売するのではなく、発行は一巻ずつだったが、基本は予約制であった。
予約が多ければ先の見通しが立つので、刷り部数は、当時、初版500冊程度が一般的だった書籍の市場で、1万部、2万部という異次元の単位で次々と発行された。
発行部数が巨大化するのに従い、作家の印税も従来とは比べものにならないほど増えた。作家が借金せずに暮らせるようになったのは、円本のおかげともいわれている。
ちなみに印税の印とは印刷のことではない。印鑑の印である。
昔の本には、奥付(一番最後のページ)に著者検印というものがあった。現在では、ほとんどの本が検印省略となっているが、昭和50年代半ばくらいまでは、作家のハンコが押してある本は珍しくなかった。検印とは作家が、出版社が申告したとおりの部数を正しく印刷したかどうか、一冊一冊確かめるために自分のハンコを押したのである。
印税収入は、本の刷り部数×定価×印税率だったので、検印は作家にとっては意味があった。しかし、刷り部数が数千部単位になると、実際は作家のハンコを出版社が借りて、さらにそのハンコを製本所が借りて、作家の代わりに押していたようである。
結局、事実上、有名無実となったので、いまでは検印省略が当たり前となっている。