30年ほど前のことである。
当時、すでに120冊ほど著書を出していた、ベテラン経営コンサルタントから聞いた話が今でも印象深い。
この人は、昭和40年代の初頭にビジネス教育の教材を作る会社を起業していた。
以前の回でも触れたとおり、日本ではこの時期がビジネス教育の興隆期であり、この会社も読者に直接販売する体制ではあったが、ビジネス書の草分け的出版社のひとつである。
この頃直販のビジネス教育の出版社は、本を出すだけでなく、たいてい読者セミナー、講演会を恒常的に行っていた。
教材の本だけでなく、ライブでもフォローするというのが一般的だったのである。
この会社は、とくにセミナーの開催頻度が多かった。
そのため、専門家だけでは手が足りず、経営者であった彼も講師として登壇することがしばしばあった。
しかし演壇に立ったはいいが、普段発行している教材に書いてあるようなことを話しても、聴衆はまったく反応がない。
冷たい視線を感じるどころか、視線に怒りや敵意を感じたという。
彼は大いに焦り、壇上で立ち往生しかけたが、そこは後年の売れっ子コンサルタント。
開き直って教科書は無視し、自分の体験(この人はサラリーマン時代には労働組合運動もやっていたので、労使両方を体験している)したビジネスシーンを語りはじめた。
するとそれまで冷たい、ときに敵意をまじえた目で見ていた聴衆の雰囲気がにわかに前向きとなった。積極的な関心を示したのである。
ベテラン経営コンサルタントは、そのときこう悟った。
どんなに立派な話でも、しょせん他人の話ではダメで、どんなみみっちい話でも自分の話をするべきだ、ということである。
他人の説を紹介するのは教科書ならOKである。ただ、教科書ではベストセラーにはならない(「何とかの教科書」というベストセラーはあるが、あれは教科書ではない)。
本でも、自分のことを語らないと読者の心には響かないものなのである。
ここまでも余談だが、さらに余談へ話を踏み外すと、成功する講演というのは「正しいか正しくないか」が物差しとはならない。
「わかるかわからないか」が物差しなのである。
したがって、物理的に声が聞こえないというのは、ライブである講演としては最悪中の最悪、聴衆は間違いなく怒り狂う。
次に何を言っているのか分からないというのが続く。聞こえない話は聴衆を苛立たせるが、わからない話は聴衆をがっかりさせる。
講師の主張に共感できるかどうかはともかく、「言っていることがわかる」というのが大事なのである。
それらはどういう具合に数値化できるかというと、聞いている人のうち2割が共感すれば講演は成功といっていい。3割なら大成功である。
2割が強く共感すれば、残りの8割も2割に引っ張られ、全体として大いに盛り上がるのである。