ビジネス書の作家は人前で話すことが多い。そっちのほうが本業だという人もいる。昔から「文章の上手い人は話が下手で、話の上手い人は文章が書けない」という説があった。しかし、個人的な体験から言うと、あまり正確な説ではないように思う。両方とも上手い人は大勢いるし、両方とも下手な人もまた数多くいる。文章は軽快なのに講演となると精彩を欠く人や、講演では軽妙なのに文章はあまり面白くないという人は確かにいる。
しかし、それは彼らの持つセンスに違いがあるのではなく、どちらかというとどっちが本業かによるように見える。つまり、場数を踏んでいる本業のほうは上手く、本業に比してたまにしかやらないことは、見劣りするということだ。どちらも場数を踏んでいる人は、やはりどちらも上手くこなしている。講演も文章も経験を積めばレベルは上がるものだからだ。そして、どちらも核心は語り口、表現の巧拙ではなくその中味にある。というと話が終ってしまうので、もう少し展開してみよう。
確かに私の知る限りでも、本は何冊も書いているのに講演はあまりぱっとしない、何を言っているのかよくわからない、という人はいた。講演と文章の技術的な違いといえば、文章は考えながらでも書けるが、講演の場合は考えながらではできないということだろう。考えながらの講演では、聴衆からついてきてくれない。目の前にいる聴衆から明らかに不満の表情をされては、講演する側もいたたまれない。講演家も作家も、それぞれ芸であることは変わらないが、講演はライブ公演と同じで興業という形で行う芸であり、作家のほうはお客からは見えない作業でやる芸といえる。
講演にはコツがあるらしい。トリノオリンピックのフィギアスケート金メダリスト・荒川静香氏は、選手を引退後に講演の依頼が増え始めた時、講演のコツを次のように教わったという。
「結論から始めよ、短く区切れ、適当に間をとれ」。
このアドバイスをした人は「講演の達人」であろう。オリンピックの金メダリストとして講演依頼が飛躍的に増えた荒川選手だが、もともとスケーターであって長時間人前で話すことなど経験がない。ただ、観衆から注目されることには慣れているというのは、講演者としてはアドバンテージだったろう。だいたい、素人は10人以上の前で話すという事実だけで圧倒されてしまうものだ。
私もはじめて人前で話したとき、聴き手は30人くらいしかいなかったが、冒頭の数分間はあがってしまって何を話したか、いまでも思い出せない。荒川選手は人前で緊張する心配はなかっただろうが、90分間どうやって話せばいいのかと悩んだという。その時上記の3つのポイントをアドバイザーから教わり、その通りやってみると、過不足なく時間内に話しきることができたそうだ。
話の在庫は、90分間をはるかに超える量があったのだろう。引き出しをコンパクトに設計すれば、時間管理はしやすくなる。
「結論から始めよ、短く区切れ、適当に間をとれ」。2つめまではそのまま文章のコツでもある。新聞などの報道関係者の文章作法は、概ねこのパターンだ。つまり報道関係者が記事を書くときの基本動作である。
「適当に間をとれ」というのは、文章の作法としてはやや説明しにくいが、いわば閑話休題(かんわきゅうだい)である。具体的には関連する事例の紹介などや、横道にそれた話題であり、非常にプリミティブな形としては、1行ほど文章と文章の間を空けることも視覚的な意味で間をとるということに通じるだろう。
この3つを心がけるだけで、文章は随分読みやすくなる。無論、この3つだけが文章の基本ではない。したがって読みやすくはなるが、文章が上手くなるわけではない。講演も同様だ。話しやすくはなるが、上手くなるわけではない。どちらも上手くなるためには場数が必要だ。
しかし、ビジネス書の作家にとって読みやすい文章は生命線である。ビジネス書に100点満点の名文は必要ない。70点でOKなのだ。したがって、「結論から始めよ、短く区切れ、適当に間をとれ」の3つは、一般の人のための文章入門としては、かなり正鵠(せいこく)を射ていると思える。
しかし、読者の中には恐らくこう思う人もいるはずだ。「文章はたった3つのことを注意すれば書けるのか?」。事実を書く、自分の考えを書くだけなら3つの心がけ、否、1つめと2つめだけでも十分である。しかし、名作を書きたい、名文を書きたいという願望に応えるには、上記の3点では十分とは言えない。名著、名作、名文は芸術の領域に足を踏み込むことになるので、そこで求められる技は入門編とは次元が異なるのだ。