文芸、それも純文学の世界では、文章に技巧が求められる。ビジネス書でも個性的な文章、面白い文章を書ける作家には、固定の読者がつくという傾向はあるものの、やはりビジネス書や実用書の良し悪しを決定的する要因は「役に立つ」かどうかだろう。
それは、世の中にはひまつぶしでビジネス書を読むという人は、まだいないからだ。したがって、いまのところビジネス書や実用書の文章で技巧を凝らす必要はまずないと言ってよい。少なくともビジネス書の編集者は作家にそんな要求をしない。求めるのはうまい文章よりも読者である。
読者のいる作家は、文芸であろうとビジネス書であろうと、ほぼ無条件に本が出せる。読者のいるテーマもあまり障害なく本になる。さて、読者、読者と言っているが、1冊の本にはどれくらいの読者がいるのだろうか。
出版社が企画を通すかどうかの判断は、いまさらいうまでもなく、その企画にどの程度の読者がいるのかによる。「読者がいるのか」というのは、「売れるのか」ということに他ならない。日本の人口は1億2000万人前後である。日本人はほぼ日本語しかわからないし、外国人は日本語を知らない。したがって日本語で書かれた本は、理論上ベストセラーの最大部数が1億2000万部となる。
野球の打率だと3割で一流選手、1割台では解雇寸前だが、1億2000万人の1割は1200万人である。日本の人口の1割が読者という本は、いまのところ世に出ていない。日本人の10人に1人が読んでいる本というのはいまだにないが、100人に1人が読んでいる本は時々出てくる。
120万部を超えるベストラーは、日本人の100人に1人が読んでいる本だ。通勤電車の1車両は、乗客がほぼ満員になると100人くらいになるだろうか。だいたい朝の通勤時に同じ車両で1人が読んでいれば、それはミリオンセラーということになる。この計算でいけば、12万部を超える本となると、通勤電車10両で1人が読んでいる本である。通勤電車では、ほとんどの人がスマホをいじっていることを考えると、驚くべき少なさではなかろうか。それでも大変なベストセラーなのである。
日本の人口は1億2000万人だが、1億2000万人の市場に向かって単一の言語で本を出せる国というのはそう多くない。大人口国である中国やインド、インドネシア、ブラジルは別格として、英語やスペイン語など、大航海時代に植民地を広げた国の言葉以外では、ドイツ語が日本と同じくらいだろう。北欧や東欧の国では10人に1人が読んでも、数10万部の本にしかならない。これでは作家のほとんどは生活できない。日本は作家が仕事になるだけ、ましなほうなのである。
さて、安定して2万部を超える作家は、出版社が安心して本を出せる作家である。2万部となると6000人に1人が買ってくれればよい。タワーマンションの住人のうち1人が読者であればよいのだ。本はミリオンセラーでも100人に1人、売れている本というのは、わずかにタワーマンションの住人にひとりだけが読んでいるに過ぎない。このように考えると、すべての人に読んでもらえる本というのは、いかにも存在しにくいことがわかる。
作家としては1億2000万人に向かって発信したいかもしれないが、本を手にするのはよくてもその1000分の1、一般的には1万分の1以下なのである。対象を広くとればとるほどテーマは漠然としてくる。あまり読者を欲張らず、6000人に1人が読んでくれればよいというリラックスした気持ちでテーマを考えれば少し余裕が生まれるし、首尾よく6000人に1人が読者になってくれれば2万部の本となる。
何を書くかテーマを考えるときは、こういう姿勢でトライしてみてはどうだろうか。
いまは2万部になる本かどうかを企画の判断基準にしている出版社は多くないだろう。かつては、はっきりとそう宣言していた出版社もあった。まだ新書、文庫なら2万部が常識といわれた時代のことである。
企画の判断基準として、読者対象の人口をカウントすることがある。読者対象となる人が1万人を切るようでは、出版社としては手が出せないからだ。いかなる本も読者対象の全員が買うことはない。しかし、一律に何%が読者になるかという数字もはじき出せない。
こういうこともあった。ビジネス書の読者は、働く人か、働かせる人である。そのうち圧倒的に多いのは働く人だ。日本の就労者人口は約6000万人。6000万人もいるならば、そのうちの0.1%である1000人に1人が買っても6万部だ。最悪1万人に1人で6000部である。これはやろう、となった。テーマは「働く人が損をしないための本」である。しかし、実はほぼ同じタイミングで、「働かせる人が損をしない本」というのも進めていた。人口比では勝ち目はない。
ところが、勝負は「働かせる人のための本」が圧勝した。「働く人が損をしないための本」は、最悪の6000部だったのである。対して「働かせる人が損をしないための本」は、次々と増刷を重ね続けた。人口比はそのまま読者比とはならない。少数派のほうが本を読む層で、大多数派はめったに本など読まないということは珍しくないのである。
次回に続く