出版界に伝説の人物は多い。そのひとりに、光文社の「カッパブックス」を立ち上げた神吉晴夫(かんきはるお)という人がいる。昭和30年代から40年代、年間ベストセラーの上位ランキングのほとんどが光文社の本で占められていた時期がある。その原点を創った人である。神吉晴夫は、数多くのベストセラーを「狙って出した」という伝説を持っている。ホームランは狙ってもなかなか打てないものだが、ベストセラーとなると大体「まさかこの本が」というケースのほうが多い。
それを狙って出したというなら、まさに神がかった出版人だったといってよい。ちなみにビジネス書の中堅版元である「かんき出版」は神吉晴夫の設立した出版社で、出版社名の「かんき」とは神吉晴夫の名に由来する。神吉晴夫は創作出版という、当時としては斬新な手法で本をつくっていた。創作出版とは「まず自分で企画を立て、適切な著者を探し、原稿の完成まで苦労を共にする。そして宣伝により読者人口を開発」としている。「原稿の完成まで苦労を共にする」というくだりを除けば、現在、ビジネス書や実用書の出版社はほぼすべて創作出版を行っている。
当時の出版界は、大先生の原稿を押しいただく形が主流だったので、神吉晴夫の本づくりは邪道とは言われないまでも、常道ではなかった。当時の出版界は編集者の企画よりも、作家頼みだったことがうかがわれる。だが、半世紀を経て出版界は再び作家頼みの傾向にもどりつつある。神吉晴夫が存命だったなら、どう思うことだろう。新刊の広告が大きく打たれるようになったのも、神吉流創作出版からである。
創作という言葉には、企画を創る、作品を創るだけでなく、読者を創るという意味があったのだろう。プランニングとプロダクトアウトとマーケティングがあったから、光文社の本がベストセラーの上位を占めるという結果に結びついたのだ。
神吉晴夫は数々のヒット作を世に出した後、「ベストセラーの作法10ヵ条」なるものを発表している。法則とかマニュアルとは言わず、「作法」と言うあたりが時代を感じさせる。と同時に、この10ヵ条は作家のために掲げられたものではなく、編集者に対する教えであったこともうかがわせる。しかし、作家が読んで悪いわけではなく、いま改めて見直してみると、むしろ作家にとっての有益な金言も少なくない。10カ条は以下のとおりだ。
1.読者の核を20歳前後に置く
2.読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3.テーマが時宜(じき)を得ている
4.作品とテーマがはっきりしている
5.作品が新鮮であること。テーマはもちろん、文体や造本に至るまで今までお目にかかったことがないという、新鮮な驚きや感動を読者に与える
6.文章が読者の言葉遣いであること
7.芸術よりモラルが大事
8.読者は正義が好き
9.著者は読者より一段高い人間ではない
10.編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ。
1番目の「読者の核を20歳前後に置く」というのは、ベストセラー狙いゆえのことだと思える。ビジネス書の読者層は、いまも昔も50代前後といわれる。その年齢層が上級マネジメント層の年代だからだ。かつてはこの上級マネジメント層に向かって、マネジメントをテーマに本をつくれば、ほぼ外れはなかった。安定的に1万部から2万部の間に着地していたと思う。なかには『こんな幹部は辞表を出せ』という例外もあったが、100万部に至るような本はなかった。
この世界に長くいるとわかることがある。そのひとつに「若い人向けの本を中高年が読むことはあるが、中高年向けの本を若い人が読むことはない」がある(日野原重明の『生き方上手』のような例外もあるが)。ベストセラーとは読者のすそ野の拡大、現象としては雪崩である。
雪崩の方向は上から下だ。中高年は下へ向かって転がってくるが、下にいる若者が上方に向かって吹き上げられることは期待できない。読者の拡大は一方通行なのだ。したがって、神吉晴夫の言うとおり「読者の核を20歳前後に置く」というのは、ベストセラーを狙ううえで欠かせないのではないか。大きな傾向としてはそう言える。
20歳前後の読者をつかめれば、中高年を吸収するのは易しい。「もしドラ」然りであり、「アドラー」もそうだ。ちょっと古いところでは『社長のベンツはなぜ4ドアなのか』も、本づくりとしては若い層に照準を合わせている。そして、そこからミリオンセラーとなった。ミリオンセラーを狙うとすれば、読者層を若い世代に置くことは必要条件といえよう。神吉晴夫の時代とこの点では変わっていない。