人は論理によって説得され、感情によって動くという。本を読むという行動は、論理よりも感情によって大きく影響を受ける。その感情の正体は定かではないものの、読者の心理や感情に注目したのが、2番目の「読者の心理や感情のどういう面を刺激するか」である。心理や感情には「不安」もあろうし、「射幸心(しゃこうしん)」「自己実現」もあろう。また、知らないことを知りたいという単純な「好奇心」も読書の原点だ。「ベストセラーはこうした欲求に応えることだ」とは、神吉晴夫は書かない。彼は「心理や感情を刺激する」と言っている。どこを押せばスイッチが入るのか、そこを探せと言っているのだ。
人々を何らかのカテゴリや傾向ごとにグルーピングすると、グループごとにかき立てられる衝動的なテーマが異なる。それがスイッチだ。人には隠れたスイッチがある。嗜好と言ってもよいが、そこを押されると、同じ嗜好の集団はつい一斉に動き出してしまう。話し方や会計の本に、いかなる嗜好を刺激する要素があるのか不明だが、それがわかればベストセラーに大きく近づくことができるはずだ。
3番目の「テーマが時宜を得ている」というのは当然至極に見える。しかし、これは往々にしてヒットした後に「やっぱり時宜を得ていた」とわかることで、実際のところ時宜を得るとは何か、その正体をつかむことは難しい。それも甚だ難しい。超高齢社会、人口減少社会をテーマにすることは確かに時宜にかなうだろう。多くの人々が不安を覚えている。だが、どういう切口やテーマが読者のスイッチを押すものとなるのかは、いまのところ答えがない。「時宜」はわかっても、「時宜を得る」ことは宝くじを当てるよりも難しいのだ。ひょっとしたら神吉晴夫はわかっていたのかもしれないが……。
3番目の条件が難解であるのに対し、4番目の「作品とテーマがはっきりしている」という条件は我々にはわかりやすい。すべての人に関わるあいまいなテーマよりも、特定の人にしか関係のない明確なテーマのほうを選ぶべきということだ。雑誌は読者を絞ったほうが売れるといわれる。書籍の場合は必ずしも雑誌ほどの個性を必要とはしないが、メリハリは重要である。万人のために書かれた本であっても、読者は常に特定の人なのだ。特定の人だけが読者では、ベストセラーにならないのではないか。そういう疑問も湧く。100人に1人といえば、その人は特定の人だろう。しかし、その100人に1人が読者となれば、我が国においては120万部の大ベストセラーになる。ベストセラーといえども、1億2000万部を目指すことはないのだ。
5番目の「作品が新鮮であること。テーマはもちろん、文体や造本に至るまで今までお目にかかったことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える」というのは、説明を要しないことと思う。世の中になかった本というのは、いまも昔もよく言われるベストセラーの条件だ。とはいえ、世の中になかった本は斬新であることは間違いないものの、それが必要なのにいままでなかった本なのか、必要がないからなかった本なのかではまったく異なる。新鮮であることは必要条件ではあるが、それが十分条件を満たすものかは、常に我々が検討すべき課題なのである。
6番目の「文章が読者の言葉遣いであること」というのは、作家にとって耳が痛いことかもしれない。同じ日本語でも、法律家の用語はとても同じ日本人の言葉と思えない。専門家は専門分野の言葉づかいをする。専門家にとって専門用語の言い回しはわかりやすいし、説明に悩まなくて済むのだが、それでは読者はついて来てくれない。読者の言葉づかいに降りてくるというのは、案外、専門家にとって苦痛なのだが、作家がこの苦痛を乗り越えないことには、苦痛は読者に移転するだけだ。私の個人的な見解を加えるとすれば、「文章が読者の言葉づかいであること」と共に「文章は作家の言葉でなくてはならない」である。このふたつのうち、どちらが欠けても読者には響かない。
7番目の「芸術よりモラルが大事」とは、主に文芸書を意識して言っているのだろう。ビジネス書や実務書でモラルに反するものはめったにないし、これまでにモラルに反した内容でベストセラーになったものはなかった。
また、神吉晴夫は8番目でも「読者は正義が好き」と言っている。読者はモラルや正義を出版物に求める傾向があるということだろう。つまりどんな極論を展開しても、最後に正義やモラルに順じたところに着地させないと、読者に共感してもらえないということになる。射幸心や一攫千金の裏ワザだけでは、読者は結局のところ納得しない。大きな枠での正論やモラルに基づいていることが大切なのだろう。
9番目の「作家は読者より一段高い人間ではない」というのは、心構えといえよう。実際、読者よりの数段高い作家はいる。しかし、作家が自分は読者より高い位置にいるということを前提にしてものを書くと、ほぼ例外なく読者を置き去りにする。読者と同じ位置をキープし続けることがベストポジションであり、基本姿勢であることは間違いない。
最後に10番目の「編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ」は、まったくその通りと思う。作家にとっては他人のことであるが、もし付き合うならこういう編集者と付き合ったほうがよいという点で参考になるだろう。相手が「先生の原稿を押し頂くだけ」の編集者だったら、作家としてはそれも悪くないような気もするが、それは残念ながら優良株ではない。どれだけ出版界の状況が変わろうとも、企画力のある編集者が作家にとって頼もしいカウンターパートナーであることは、神吉晴夫の時代と何ら変わらないことである。
次回に続く