真中流マネジメント

新旧優勝監督・若松勉×真中満対談②
悔しくても嬉しくても、選手の前では感情を隠す

2017.08.11 公式 真中流マネジメント 第33回

調子のいいときのミーティングと
状態が悪い時のミーティングの違い

――さて、2001年、若松監督の下での日本一達成。当時、真中さんは主力レギュラーとして活躍されていました。お二人にとってのあの1年はどういう思い出が?

若松:あの年は3年契約最後の年だったんです。それで、「今年は頑張らないと」という感じで、キャンプから猛練習を行いました。それまでの2年間は連続4位で、なかなか勝ちグセがチームに根づかなかった。でも、「これじゃ絶対ダメだな」と思ったので、この年はオープン戦からでも勝ちにいこうと、チームに勝ちグセを根づかせる姿勢でやっていたんだけどね。それが3年目でようやく実が結んだよね。とにかくあの年はほとんどレギュラー連中が固定されていたからね。

真中:そうですね。あのときはレギュラー野手8人全員が規定打席に到達しましたからね。

若松:そうそう、そうだったよね。一番・真中満、二番・宮本慎也、三番・稲葉篤紀、四番・ペタジーニ、五番・古田敦也、六番・ラミレス、七番・岩村明憲、八番・土橋勝征と、レギュラーメンバーがみんなケガをしないで頑張ったからね。

真中:レギュラー全員が、ほとんどケガすることなく、年間を通じて試合に出続けましたからね。それはやっぱり強いですよね。

若松:故障者がいなかったから、すごい助かったんですよ。今年のことを考えると、本当に恵まれていましたね。

真中:そうですね。監督の采配の差もあるかもしれないけど、やっぱり今年は故障者が多いのでやりくりが難しいですよね。

若松:いやいや、監督の采配で勝てるゲームなんて年に2、3試合あるかどうかだよね。主力選手が次々と故障してレギュラーを固定できない状態では、采配のしようもないから。

真中:そういう意味では、01年は長期間離脱する選手もいなくて、順調に戦えたシーズンだった気がしますね。ただ、シーズン終盤にはなかなか勝てない時期もありました。

若松:01年のペナントレース終盤に巨人に3連敗しちゃったことをよく覚えているな。その翌日から名古屋で4連戦だったんだけど、みんなを集めて全体ミーティングをしたこともあったよね。

真中:若松監督のミーティングの後、結局4連勝しましたね。

若松:あのときは、「ここでズルズルいったらダメだ」ということで、みんなを集めて「オレはお前たちを信じているから、一生懸命やってくれ。今はそれしか言えないけど、頑張ろうや」って言いましたね。

真中:あのときは「本当に信じているから」という話をされましたよね。若松さんはいつも選手の尻を叩いて、「頑張れ、頑張れ」っていう監督でしたね。僕の場合も、時機を見て、全体ミーティングをします。これまでの監督生活で言えば、2つパターンがあって、15年の終盤などは、「優勝に向けて選手を鼓舞するミーティング」で、苦しい戦いが続く、今年みたいな場合は「選手を励まし、モチベーション上げるためのミーティング」をしますね。

若松:当然、鼓舞して勢いづかせるミーティングとモチベーションを上げるためのミーティングとでは、狙いも伝え方も変わってくるよね。

真中:勝つ方のミーティングは、ちょっとかっこつけて、綺麗な言葉を並べながら話すことができるので、そんなに難しくはないですよね、「お前らは優勝するに相応しいチームなんだ」とか。「お前らが勝たないと他に勝つチームはない」とか、そんなことはいくらでも言えるんです。ただ、負けているチームのモチベーションを上げるのは、結構難しくて。「とにかく恥ずかしいプレーだけはやめよう」とか、「自分たちのできることだけはしっかりやろう」とか、「勝った負けたはこっちの問題だけど、手を抜いたり、途中で諦めてしまったりすることだけはやめよう」と話しましたね。

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プロフィール

真中満
真中満

1971年栃木県大田原市出身、宇都宮学園高等学校を経て日本大学卒業後1992年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。
2001年は打率3割を超えリーグ優勝、日本一に貢献。2008年現役を引退。
2015年東京ヤクルトスワローズ監督就任1年目にして2年連続最下位だったチームをセ・リーグ優勝に導く。
2017年シーズン最終戦をもって監督を退任。

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