言い切り型の文章は歯切れがよくてわかりやすいのですが、主張がはっきりしている分、反論が飛んで来ることも覚悟しないといけません。そのため、ややもするとすこし文末(語尾)を濁らせて、反論を回避しようとする人も見かけます。要するに、言い切ることから逃げている文章ですが、実際のところ読むほうにしてみれば、本人が思っているほど逃げられていません。
<文例① 逃げたつもりで逃げられていない文章>
平成元年は1月8日からはじまったのではないかと記憶している。
その前日の7日には、日本中各地で半旗を掲げる光景があったのではなかろうか。
正確な日時を確認していないため、文末の表現をあいまいにし、事実関係の間違いを指摘されても逃げられるようにしているつもりです。しかし、読む側はこの文章が書き手の認識と思いますから、やはり書き手の「製造物責任」からは逃れられていません。つまり、読む人の受け取り方は語尾を濁らせていない次の文章と同じです。
<文例② 文末をあいまいにしない文章>
私の記憶が正しければ、平成元年は1月8日からはじまった。
その前日の7日には、日本中各地で半旗を掲げる光景があった。
文章の責任の所在は私であり、事実誤認をしていたらそれは私の責任ですと、いさぎよく認めることを前提にした文章です。
文章を書く前に肚(はら)をくくらないと、文意があいまいになり、よいものにはなりません。何らかの意見を主張するような文章では、文末をあいまいにすると意見が不鮮明となります。例えば、制度設計が大事か、運用が大事かは、鶏が先か卵が先かの議論と同じで、双方に言い分があるため議論の多い問題です。といって、反論を懸念して文末をあいまいにしてしまうと、自信のない弱い主張に見えてしまいます。
<文例③ 反論を恐れて意見をあいまいにした文章>
私の経験から言って、制度というものは、設計の緻密さよりも運用の的確さのほうが、より重要なのではないかという気がしてならない。
未完成な制度のまま運用しても上手くいかないという意見ももっともだが、設計精度を上げようとすれば時間がかかってしまうのではないだろうか。
ここは一番、肚をくくって反論覚悟であいまいさを排除してみましょう。
<文例④ 反論覚悟で意見を述べた文章>
私の経験から言って、制度というものは、設計の緻密さよりも運用の的確さのほうが、より重要である。
未完成な制度のまま運用しても上手くいかないという意見にも一理あるが、設計精度を上げようとすれば時間がかかる。「拙速(せっそく)は巧緻(こうち)に勝る」というビジネスの鉄則からしても、運用重視で行くべきだ。
意見表明する以上、反論は覚悟のうえと文章を書けば、主張も鮮やかになるものです。
次回に続く