「思い描いていた自分と違う」「がんばっても報われない」……そういった悩みの原因の大半は、自分の外側ではなく、自分の内側にあります。心の中で迷子になっている本当の気持ち(=未処理の感情)が引き起こしているのです。等身大の自分を受け入れて、ラクに生きたいと思いませんか? 本連載では、アルファポリスより好評発売中の『そろそろ『わたし』でいきていく ~今日から自分を好きになるために~』(城ノ石ゆかり)から一部を抜粋し、そのヒントをお届けしていきます。
やりたいことを探し、自分を探し、何ヶ月も何年も探し続けて、それでもやっぱり「やりたいことはなんだ?」と考え続ける。
それってどこか、やりたいことを特別視しすぎていないでしょうか?
なんなら、もはやそれを考え続けることが目的になっていないでしょうか?
学生のころ、バッチリ勉強をしてきたにもかかわらず、試験当日に「勉強してこなかった」と宣言する人がよくいましたね。
この宣言は、試験結果がどう転んでも本人は傷つきません。
試験が失敗に終わっても、勉強をしていなかったのだから仕方ないといえます。逆に良い成績であれば、勉強もしていないのに「私ってスゴい」ことにもできます。
本来は、単純にいい点数が取りたかっただけのはずです。
でもこのように、傷つくことを恐れるあまりそうでもないような態度で自分にウソをついていると、そのうちやりたいことが本当にわからなくなってきます。
やりたいこと探しに膨大な時間を費やす大人の大半は、こうして迷子になっていくケースが多いのです。
そもそも「自分が本当にやりたいことは何か」なんて、あればすぐに気がつきますし、「どこにあるのか」なんて、自分の外側に探しに行くようなものでもありません。
さらにいえば、「やりたいこと」はあるから良い、ないから悪いというものでもないのです。
人が何かを始め、やり続けるには意志の力が必要に思われがちですが、物事をスタートするには意志ではなく、意欲の力の方がずっと大事です。
私たちが本当にやりたいこと(want)は、やるべきこと(should)とできること(can)に取り組んだ先や、その過程の中で見つかるケースが大半です。
しかしなんらかの理由からやりたいこと(want)にフタをし続けてしまった人は、そもそもやるべきことに取り組む意欲が湧かなくなっています。
つまり、本当にやるべきことに対する意欲が湧かないことを、「やりたいことがわからない」にすり替えて、回避している可能性もあるのです。
といっても「やるべきこと」は、難しい学びや修行のようなこと、社会に役立つことだけとは限りません。
休む、遊ぶ、逃げる、やめる……そんなshouldに気づけず逃げ続けている大人も多いです。
「がんばらなきゃ」「楽しまなきゃ」「やりたいことをやらなきゃ」。
ありもしないwantを探して「本当にやるべきこと」から目を背けていたら、人生はいつまでも「やりたいこと探し」の堂々巡りです。
だとすれば、いままず手をつけなければならないことはなんでしょう?
その答えはもうすでに出ている可能性が高いと思います。
それをいくつか完了させて初めて、本当のwantに出会えるのだと思います。