「こんな私が好き」の判断軸とは、具体的にどんなものなのでしょうか?
私たちは日々、起こった出来事に対して何かを「選択」しながら生きています。ランチに誘われたときの返事も、トラブルにどう対処するかも、すべては自分の選択です。
しかし人は、「選択」しているつもりが実は「反応」しているだけのことがよくあります。
次のようなことに覚えはないでしょうか?
意地悪をしてきた人にイラついて、つい自分も意地悪な態度を取ってしまう。不真面目な人から適当に依頼された仕事は、自分も適当にやって返してしまう。
こんなふうに相手の態度に「反応」して起こした行動は、どこか後味が悪いものです。
なぜってその中途半端な仕事をしたのはあくまで「自分」で、その事実はずっとつきまといます。「相手が意地悪だから私もそうしました」と付箋を貼ってはおけません。感情的な「反応」で起こした行動には、あまりいいことがないのです。
はたまた、私たちは多勢にも弱いです。私たちの人生に、正解のある選択問題は決して多くありません。明確な答えがないからこそ、自分の意見が周囲と全然違っていたら、それはなかなか表明しにくいものです。
多数派に流れたものの、実は自分の答えが正解だったら、今度はひどく後悔します。人と同じだから、それが常識だからといった判断軸だけで物事を選ぶのも危険なのです。
以上はすべて「こうあるべき」「こうしなければならない」というshouldの価値観に「反応」した態度です。
そして「反応」の反対こそ、「無反応」ではなく「選択」です。
「こうしたい」「こんな自分が好き」というwantに基づき、自ら選ぶ態度です。
反応であれ選択であれ、「自分で選んだ責任」はつきまといます。もちろん、その選択には恐れや不安を伴うこともあるでしょう。
ただ自分の「選択」で「責任」を果たしていく生き方は、不安があったとしてもその先に成長や気づきがあります。責任を放棄し、ただその場で不満をいっている態度とは大きく違います。不安が湧くのは、すなわち未来を見ている証なのです。
「それでも、自分に自信を持つなんてやっぱり難しい」と感じるかもしれません。それはおそらく、「こんな自分が好き」を軸にした行動にただ慣れていないだけ。
本来はそんなに難しいことでも、怖いことでもありません。そしてこれを続けていると、自分の価値観で、自分のために生きていいのだといった、肚の底からの納得がちゃんとついてきます。
城ノ石ゆかり「そろそろ『わたし』でいきていく~今日から自分を好きになるために~」書籍の詳細はこちら