私はゲームや漫画が大好きです。
小学校でファミコンを買うと、中学校でスーパーファミコン、高校でセガサターンとプレイステーションを購入し、毎日怒られるまでプレイしていました。学校帰りにはゲームセンターに直行し、ストリートファイターシリーズや餓狼伝説シリーズ、KOFシリーズで熱い対戦を繰り返します。中高時代はジャンプ黄金期で、他紙の連載も充実していたため、ゲームの合間には、ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン、ヤングマガジン、ヤングサンデーなど各誌を読み漁り、気に入った作品は単行本を揃えました。予算不足でチェックしきれない作品は漫画喫茶に通って読みました。大学受験の3か月以外は、学校と部活以外のすべての時間を娯楽にあてていました。
43歳の私と同年代には、そのような人がそれなりにいたと考えますが、おこづかいやお年玉はすべて漫画やゲームに消えました。起きている間はもちろん、夢でも漫画やゲームのことを考えていました。私の人格形成にも大きく影響を与えています。
20歳から現在まで格闘技を続けているのは、キン肉マンや北斗の拳に憧れたことが主な理由です。人の痛みがわかる強く優しい男を目指して、修行の日々を続けています。残念ながら、9歳の長男は漫画やゲームを与えても興味を示しません。時代錯誤なのは承知で、魁!男塾の江田島平八の送辞(男は幸せにならず、戦って死ぬべきであるという内容)を読ませたところ、「信じられない」という表情で固まっていました。
人気のあるゲームや漫画には、必ず強力なライバルが存在します。
餓狼伝説のギース・ハワード、北斗の拳のラオウ、キン肉マンのキン肉アタルやバッファローマン、ジョジョシリーズではディオなど、強大な敵でありながらも、時に分かり合うシーンもあり、主人公より人気のあるキャラも多いです。
もし、ライバルが存在しなければ、作品の魅力は間違いなく半減します。ライバルと戦うことで主人公の成長過程に説得力が生まれ、キャラの奥行きや深みが出て、作品が味わい深い立体的なものになるからです。
現実世界でも、ライバルの存在は成長の助けになります。
同年代でも自分よりすごい、と素直に思える人に出会えたら、選択肢はいくつかあります。一つは嫉妬して足を引っ張ること、もう一つはなるべく目に入らないように努めること、最後の一つは、追いつけるように努力することです。
建設的なのは、明らかに最後の選択であることに異論はないでしょう。
私の経験を振り返ると、格闘技に取り組んでいた頃は、強い選手がいれば出稽古に行って手合わせを挑んでいました。公認会計士として独立した後は、同級生で活躍する弁護士や、有望な企業経営者の姿を見て、日々刺激を受けています。彼らの姿や功績、時には苦しみを目の当たりにすることで、「このままではいけない」という思いが強くなり、努力するモチベーションにつながります。
長く辛い日々の続く資格試験においても、ライバルの存在によるメリットは多いです。
合格への強い目的があっても、努力を続けていると孤独と向き合う時間がどうしても多くなります。そんなとき、自分と同じ境遇にある人の存在は支えになります。
例えば、効率的な勉強方法を共有することで、お互いにアドバイスし合い、効率を高めることができます。
その他にも、同じ目標を立て、お互いに達成するための努力を繰り返すことで、一人で取り組むよりも、強い意欲をもって勉強に取り組めます。
また、模試などの結果を比較することで、努力の成果を定期的に確認することができ、合格という最終目標までのマイルストーンを適切に設置することができます。実力が足りない部分も、比較することで際立つようになるので、改善にもつなげやすいです。
最も大きいのは、同じ苦しみを分かち合うことができ、くじけそうになった時に支え合えることでしょう。
専門学校や大学などで勉強する場合は、自然に知り合いが増え、よきライバルが見つかるはずです。ところが、独学の場合は、最初から最後まで一人ぼっちで努力します。従って、辛い時に同じ目線で相談でき、切磋琢磨できるような仲間はいません。これが独学で取り組む場合のデメリットの一つです。
独学でもともに成長できる存在が欲しい――そんなときはインターネットで検索してみましょう。
Twitterやブログを検索すると、たくさんの受験生アカウントが見つかります。彼らの発信を見ることで、自分の抱えているものと同じ苦しみに耐え、目標に向かって努力している人々の存在を確認することができます。独学でライバルが存在しない場合は、彼らを電脳空間でのみ存在を確認する「仮想ライバル」として、日々の成長の糧としましょう