コミュニケーションで大事なことは、話すことより「聴くこと」にある。私は「コミュニケーション10カ条」(後の回で詳しく紹介する)というコミュニケーションの要諦をつくり、私自身がそれを厳守・励行するとともに、多くのリーダーたちに実践を推奨し続けている。その「コミュニケーション10カ条」の冒頭には、「コミュニケーションはまず聴くことから始めよ」と、「聴く力」が掲げられている。では、「聴く力」にはどんな効用があるのか。
その説明の前に、そもそもなぜ「聞く」ではなく「聴く」なのか、そこから説明したい。「聞く」が門の中で耳に入ってくる音を受動的に聞いているのに対し、「聴く」は耳+目、それに心を込めて聴いている。偉い人の話を拝聴するとはいうが、「拝聞する」とはいわない。「聴く」とは、真摯な態度なのである。
人の話を聴くには、「聞く」ではダメなのだ。なぜなら、漠然と聞き流しているようでは、話し手は、この人は話に関心がない、自分のことなどまったく重要視していないと感じ取るからである。人は、自分を尊重(リスペクト)する人を尊重する。相手に反感や失望しか与えない態度では、リーダーは失格だ。よいリーダーは、よい話し手である前に「よい聴き手」でなくてはならない。
「聴く」という態度によって、話し手は、聴き手が自分の話に関心を持っている、一人の人間として自分を尊重している、誠意を持って話を聞いてくれている、という印象を抱く。また、意見の異なる相手であっても、真剣に耳を傾けてくれる態度に、話し手は聴き手に人間的な度量の広さと好感を覚えるだろう。部下が「この人のためなら」と思って、よろこんでついて行くのは、「聴くリーダー」である。
アメリカのとある役所に、税金の滞納を解決する凄腕の交渉人がいた。彼の管轄する地域に税金を滞納している年配の男性がおり、これまで役所の人間が何人も督促に行ったのだが、男性はその都度、いろいろな理由をつけてまったく支払いに応じようとしなかった。男性に所得がなかったわけではない。少額ではあったが納税義務はあるのだ。
いよいよ、これでダメならもう強制執行しかないという段になって、凄腕の交渉人と評判の高い人物の出番となった。しかし、相手の男性もこれまで何人もの役人を相手に、頑として首を縦に振らなかった猛者である。いかに凄腕のトラブルシューターといえども、一度くらいの訪問では交渉は成功に至らない。交渉人は、その後、二度、三度と男性の家を訪れることになる。そして、三度目の訪問の帰り、今までかたくなに支払いを拒んでいた男性は滞納していた税金を支払い、延滞による加算金も追って支払う旨を約束してくれた。
これまで何度も男性と交渉する度に失敗していた役所の人間たちは、この交渉人がいったいどんな説得をして、男性に税金を支払わせたのかと興味津々だった。そこで、全員でその交渉人に、経緯を聞くこととなった。
交渉人の話は、意外なものだった。彼は、男性の家に行くと税金滞納の話は一切せずに、ただ、男性の話に耳を傾けていただけだった。その男性の話は、自分はなぜ税金を払わないのか、その理由から始まり、男性のこれまでの半生、別れた家族のこと、故郷のことなど多岐にわたった。交渉人は、特に話に口をはさむこともなく、ときおり話の前後関係を質問する程度だった。そうして二度、三度と男性の家を訪問するたびに、2時間あまり男性の話を聴き続け、ついに三度目の訪問の帰りに男性は、用意したお金をそっと交渉人に手渡したという。交渉人のやったことは、男性の話に対して真摯に耳を傾けて聴いただけである。
しかし、交渉人は男性の話を丁寧に聴くことによって、男性との間に心の通う人間関係(ラポール)を築いたのだ。税金を滞納していた男性は、交渉人が自分を尊重し、自分の話に関心を持ち、誠意ある態度で話を聴いていることを認め、その結果、その男性は「この人が言うのならば」と、長年滞納を続けてきた税金を進んで払うようになったのである。