編集部 それが入社のお祝いですか。初対面でなかなか手厳しいですね。プレゼントというより先制パンチのようです。
日本人というのは、いまでも世界的に見ると会議で発言することが少ない国民です。
私の若いころは、現在に輪をかけてその傾向が強かったので、マクラレン氏はそれでは国際ビジネスでは成功しないよと忠告をしてくれたのでしょうね。
また、こうも言われました。2つ目の忠告です。
「会議やミーティングで何も発言しない人間は、会社に何の貢献もしていないのと同じだ。貢献していないばかりか、人の話を聞いているだけの人間というのは、アイデア泥棒、意見泥棒である。君は泥棒になるな。我が社に泥棒はいらない。
この2つのアドバイスが、私から君への入社祝いだ」
スピーク・アウトしないと、君は会社からアウトになるよと宣告されたわけです。
もちろん私も英語のスピーク・アウトという言葉自体は知っていましたが、このように具体的な意味合いを込めて教わったことはなかったので、とても新鮮に感じたものでした。
以後、スピーク・アウトは私の「座右の銘」のひとつになっています。
私が何社かの経営を任されたときに、必ずやったことのひとつが職場にこの「スピーク・アウト」の習慣を根付かせることでした。
そういう意味では、マクラレン氏からのプレゼントは、本当によいプレゼントだったということができます。
編集部 新さんご自身の行動は、それから変わりましたか。
私はいまでは弁の立つほうと見られているようですが、当時は口下手でなかなか大勢の前でうまく意見を述べることができませんでした。
また、日本人は、とかく自分の意見に絶対の自信をもてないうちは発言を控えるという傾向があります。私もご多分に漏れず、そのひとりでした。
しかし、無能者や泥棒になるわけにはいきません。自信がなくても、とにかく発言することが大事と割り切って考えるようになりました。
無能者や泥棒にならないために、会議やミーティングンの場ではとにかく積極的に発言するよう務めました。
アイデアや意見がないときには、感想やコメントでもよいから発言するようになりました。
その結果、それまではよいことを思いついたから発言するという姿勢でしたが、発言しているうちによいことが思いつくというように変わりました。
千の繰り返しを鍛といい、万の繰り返しを錬といいますが、発言を繰り返していくうちに表現力や内容的な深みは備わってくるものです。
スピーク・アウトを習慣化していくうちに、私は次第に他人の異見や反論を恐れなくなりました。
発言することによって、自分が思っていたよりもよい意見であると評価されることもあります。
また、自分では見落としていた点を誰かが補足してくれることもあります。
意見は議論を経ることで磨かれます。
しかし、日本人は争いを好まないので、甲論乙駁(こうろんおつばく)の議論を避けたがります。
一方、欧米人、とくにアメリカ人は幼いころからディベートで鍛えられた議論好きの国民ですから、一般的に日本人よりも議論が上手です。
議論に慣れてない人は、議論を論争に変えてしまいがちです。
日本人は、言い争いを避けようとするあまり議論下手になり、かえって議論を不毛な論争にしてしまっているように見えます。
議論の質を上げるのも、まず発言から始まります。
発言しない人に対しては、異見も反論もなければ、賛同もありません。考え方やアイデアは、お互いの意見交換を経て、より進歩発展するものです。
スピーク・アウトしないで、胸の内にしまい込んだままでは、どんなによいアイデアであっても成就することはありません。
大事なのは口からアウト(出す)こと。
スピーク・アウトは、32歳の私の行動を変え、その後ずっと私のビジネス人生を支えてくれた言葉です。
以下中編に続く