自制心が、人生を成功させる重要なファクターであることを証明した実験がある。スタンフォード大学のビング保育園で行われた「マシュマロテスト」がそれだ。4歳児たちの前にマシュマロを置いて、「いま食べてもよいが、15分間食べるのを我慢して待てば、もうひとつマシュマロがもらえる」とした。結果は、当然のことながら15分間我慢した子どものグループと、我慢せずに途中で食べてしまった子供のグループに分かれた。
実験から10数年後、実験者であるスタンフォード大学教授のウォルター・ミシェルとエッベ・B・エッベセンは、この子どもたちの追跡調査を開始した。マシュマロテストの被験者は延べ約600人であり、その中にはミシェル教授の教え子もいた。
調査の結果、1分以内にマシュマロを食べた子どもたちは、学校でも家庭でも行動上の問題を抱えているケースが目立ち、15分待った子どもたちは平均してSAT(大学進学適性試験)のスコアが高い傾向があるということがわかった。さらにその後も定期的に追跡調査を続けると、社会人になってからの目標達成率や生活程度、精神的な安定度でも15分待った子供たちのほうがよい結果を示していた。世界的にも有名な実験なので、ご承知の読者も多いと思うが、これが「マシュマロテスト」の概要である。
自制心とは「自らを律する」ことである。自らを律することは、自らを利することにもつながるということが、この実験から見えてくる。自らを律することのできない、すなわち自らを制する心を失えば、人はたちまち自分を甘やかしてしまう。自分を甘やかすことが常態化すれば、困難に直面するとすぐにあきらめる、手間をかけることが苦になれば、とたんに手抜きをする。
自分に甘ければ、組織にも怠惰を許し、堕落を許すことになる。怠惰、堕落は落伍、没落を招く。トップやリーダーが怠惰に陥り堕落すれば、組織は競争力を失う。魚は頭から腐る。上流がわずかでも濁っていれば、下流はその数倍汚染されるのだ。
トップやリーダーが、すぐにあきらめる、手を抜くというような人間であれば、社員やフォロワーも必ずトップの行動に倣(なら)い、負の連鎖反応が拡大する。トップの自制心、自分を律する心が重要であるのは、これまでにも本連載で口が酸っぱくなるほど述べてきたことだ。
戦争中、フィリピンの山中をさまよった日本兵でも、自制心の強いリーダーに率いられたグループは、死亡率70数%という凄惨(せいさん)な飢餓地獄の中でわずかな食料を分け合い、全員が生還したという例がある。
不祥事を起こす企業には共通することがある。それは不祥事を隠し通そうとすることだ。袋の中の針は自ずと頭角を現すという。優れた才能は目立たないところに置かれていたとしても、自ずとその才能が発揮され、周りから注目されるという意味だが、これは逆の場合にも言える。すなわち、不正や悪事はどんなに隠そうとしても、まさに〝天知る、地知る、己知る〟であり、遅かれ早かれ必ず露見するということだ。所詮、隠し切れるものなどないのだ。
近江商人の商人道には、有名な「三方よし」がある。「三方よし」とは「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことだ。ここで肝心なのは「世間よし」である。売り手と買い手がよしとするだけでは、双方になれ合いや甘えが生じ、そのビジネスが不正なものであっても成立してしまう。正しい経営をするためには、当事者だけの都合ではなく、常に世間の目を意識しなければいけない。正しい経営とは、近江商人のように300年を超えて、なお繁栄を続ける企業を創る経営のことである。
近年、日本のメーカーにおける不祥事が絶えない。東芝、三菱自動車、神戸製鋼、日産、東レ、旭化成建材、SUBARU、三菱マテリアルなどなど、文字どおり枚挙にいとまなしである。これらのメーカーの例では、売り手だけがよしで、買い手も世間もよしではなかった。それぞれのメーカーの社内にあっては、製造担当者、検査担当者も「よし」だった。「社内よし」だけがあって、世間よしが決定的に欠けていたのである。
数100年を超えて継続的に繁栄している企業には、必ず「三方よし」が顕在している。「三方よし」のない企業は、いかに巨大企業であろうとも、世間が許さないことは、上記のメーカーの不祥事例が如実に示している。売り手と買い手だけがよし、あるいは我よし、相手よしというだけというのは、当事者間だけ、または社内だけにしか許されない内輪の論理だ。
内輪の論理とは、まさに自制心、自立心に欠けた「甘えの構造」に他ならない。内輪の論理で仕事を進める代表例は「お役所」だが、大手銀行や大企業でも時折見かけることのある弊習である。内輪の論理だけで仕事を進めることを常態化させれば、その組織はともすれば堕落に陥り、世間から見放され、生存競争から落伍し、没落の道をたどることになる。