井手氏:アルバイトとパチンコ三昧というすさんだ生活でしたが、学校は無事卒業でき、就職も大手電機メーカーではありませんでしたが、希望だったオーディオメーカーの設計技術の職を、東京で得ることができました。
ところが面接時に「なんでもやります」と答えていたため、配属されたのは、希望していた音楽部門ではなく、コンピュータ周辺機器の部署でした。ところが、その部署は幸か不幸か、世界的なシェアを誇っていました。ぼくは、すぐに会社の花形として、まわりからちやほやされるような身分に。平日でも深酒をして次の日はお休みするようなことも平気になっていて、有給の使い途はほとんど「二日酔い」という、もう完全に天狗になりきった、今考えるとあり得ない状態でした。
――仕事の方は、「順調」だったんでしょうか。
井手氏:チヤホヤされるのですが、評価は高くありませんでした。当たり前ですが、ぼくの能力ではなく、あくまで会社が仕事を受注しているわけです。降ってきた仕事を、そつなくこなしていただけの受け身の姿勢を、上司はちゃんと見ていました。給料も、条件もよかったのですが、ぼく自身もそうした受け身の仕事を続けるのに飽きてしまい、「ここでやるべきことはやった。何か新しい仕事がしたい」と、生意気な言葉を上司に伝え、辞めてしまいました。
我が強く、「こうするべき」と思ったらとことん進んでしまう性格が、次に進んだ仕事で災いしました。世間知らずで、理想と現実のギャップに耐えるだけの器量を持ち合わせていなくて、自分の甘さを思い知らされ、半年で辞めることに。今まで、なんだかんだそつなくこなしてきた自分が、最初にぶつかった壁でした。
「自分は一体何がしたいんだろう……」。
退職したのはちょうど夏のころでしたが、ぼくはじっとしていられず、目的もなく、お金が尽きるまで、東北や北海道をバイクで走り回っていました。疲れたら、空き地や駐車場で寝る毎日。26歳のころでした。
――26歳、居場所を探し続けた時期だったんですね。
井手氏:あてもなくバイクで走る旅を続けていくと、だんだんと気持ちが落ち着いていく自分に気がつきました。お腹が空けば、川に入って大好きな釣りで魚を釣ればいい。自給自足のような生活を送る中で、自立のために頑張ってきた仕事への想いが徐々に変化し、働く意味は、自立だけではないんじゃないか。もっと違う意味や意義を求めて、人は働いているんじゃないか。そう考えると、なんだか肩の荷が下りたような気持ちになりました。
当時、まわりには、ぼくと同じように社会からドロップアウトしたバイク仲間がたくさんいて、彼らから「風太郎」と呼ばれていました。お互い素性も知らない、ふわっとした関係性でしたが、だからこそ悩みを分かち合えたこともありました。順風満帆に歩んでいたら、味わえなかった時間だったかもしれません。こうして、たくさんの自然と仲間たちに元気をもらい、ぼくはまた前に進むことにしました。
――旅を通して見える景色も変わってきたんですね。
井手氏:せっかくいい体験ができ、「次は、自然のある場所へ」と思っていたのですが、前職の貯金も底をつき、すぐに動くことはできず、その日の生活をパチンコで食いつなぐありさまでした。それでも「自然の豊かなところで働きたい」という気持ちは変わらず、北海道と長野を中心に就職情報誌をチェックしていました。そのとき、目に留まったのが、軽井沢のタウン誌の求人でした。職種は営業で未経験だったのですが、何かに惹かれるように、すぐに電話。すでに募集は締め切っていましたが、次の日の試験になんとか入れ込んでもらえました。
ところが、せっかく受けさせてもらった入社試験は、英語も国語も散々の結果。「これはだめだな、どうせ落ちるな」と軽い気持ちでそのまま面接に臨んだのですが、なぜかそこで「旅とパチンコ」の話をすることになり、結局50人の中からまさかの合格。トントン拍子で話は進み、翌週から働くことに。引っ越し代もなかったので、友人と一緒に荷造りをして、トラックで軽井沢に。そこで新しい人生が始まりました。
井手氏:新しい環境で楽しくやっていましたが、個性的な経営者と、意見の相違で衝突することも多くなり、わずか3年でそのタウン誌の仕事は退職してしまいました。このころになると肝も座って(!?)、「次はどこへ行こうか」「青年海外協力隊に参加しよう」などと、のんきに構えながらパチンコ生活に逆戻りでした。そんなどうしようもない時に、お客さんだった星野リゾートの広報担当者から、一本の電話が。
――どういう内容だったんです?
井手氏:「井手さん、ビールつくりませんか?」って。最初は何のことか分からず、興味もなかったのでお断りし、相変わらずパチンコの日々でした。すると数日後、今度は留守電にメッセージが残っていました。
「井手さん、会ってくれないかな?」今度は、星野佳路から直接のメッセージでした。タウン誌の営業時代に、気軽に挨拶を交す仲だったこともあり、無視するのは悪いと思い、一回会ってみたんです。そうしたら結局、あのカリスマ性にそそのかされて(笑)。直接、星野の運転する車で醸造所を見せられ、話を聞くうちに胸が踊り、創業メンバーとして入社することになりました。星野が好き、家が近い、ビールが好き……。これが直接の理由でした。