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クナイ
咎人の後悔15
しおりを挟む再びハンナを別の土地に連れて行かねばならないが、解放すると宣言したばかりであるため、理由を説明すれば納得するとは思うが……ハンナはこの家の息子を気にかけていた。犯罪に巻き込まれている子どもを放って、自分だけ逃げるのはできないと言い出しそうだ。
ならば、隣家の男を殺して妻子どもを解放するか……と考えていると、誰かが玄関に近づいてくる音がしたため、一時的に屋根裏へと隠れる。
帰ってきたのは隣家の男だった。
男は絨毯を剥いで地下室の扉を開け、子どもだけを外に出し、何かを指示している。
「いいか? お母さんが怪我をしたと叫んで扉を叩いて、助けてと懇願しろ。家に来てくれと言え」
「はい……で、でもずっと断られているから……お願いしても来てくれないかも……」
「それなら、裏手通りにある診療所に行って医者を呼んできてほしいと頼め。裏手通りで待機している者がいるから、そっちの道へ行くようちゃんと言うんだ。もう注文が入っている商品なんだ。モタモタやっている時間はない」
裏手通りで人目がなくなったところで確保すると男が言うと、子どもはコクリと頷いて玄関から出て行った。男も家の庭へ出て、死角になる位置で子どもの様子を窺っている。
確実にハンナに狙いをつけている。注文、という単語からあの男はやはり人身売買に関与している。買主から納品を急がされたのか、路上でかどわかすという乱暴な方法に出るつもりらしい。
「仕方がない。殺すか」
男を殺してひとまずどこかへ遺体を隠しておけばいい。処理は後回しだ。指示役の男がいなくなれば子どもは役目を失うから、ハンナに近づく理由もなくなる。
さっさと処理してしまおうとナイフを取り出し、姿を消したまま男の後ろに近づき盆の窪へ突き刺す。
「……!」
確実に刺したと思ったが、男が身を翻したため、ナイフはわずかに首を掠めただけで空を切った。続けて、下から男の足が俺の顎を狙って蹴り上げられた。それをかわし、一旦男から距離を取る。
男の気配からして、訓練を受けた人間とは感じなかったので油断していた。だが攻撃をしたとたん、一瞬にして裏稼業の顔に切り替わった。魔術ではないが、気配まで変える技を習得している。
「お前は誰だ? 視認しにくいな……なんの術だ?」
姿くらましの術は発動しているにも関わらず、居場所を目で追われている。ただの人買いかと油断していた自分に舌打ちしたい気分になる。戦地でもなく治安のよい土地でこんな手練れが潜んでいるとは思わなかった。
走りながらナイフを投げるが、刺さる直前で弾かれる。男はナイフが飛んでくる方向で俺の居場所を定め距離を詰めてくる。接近戦で仕留めるしかないかと、小型のナイフから刀に持ち替えた。
その時、視界の端に子どもとハンナの姿が見えた。まずい、と動揺したのが気配にでてしまったのか、来るなと俺が叫ぶより早く男が子どもに向かって指示を飛ばした。
「女を捕らえろ!」
弾かれたように子どもがハンナに飛びつき、首にしがみついて引き倒す。
「おい、女を殺されたくなかったら武器を捨てて跪け」
子どもにナイフを投げるか一瞬迷ったが、ハンナの真っ青な顔を見て大人しく指示に従った。
「お、ようやく姿がはっきり見えたな。どういう仕組みだ? 珍しい技を使う奴だな」
「彼女をどうするつもりだ」
「白い肌に黒髪は神秘的で美しいからなあ。この国にはあまりいない人種だから高値で売れるんだよ。俺は移民の中から売れそうな女を見繕って出荷する仕事をしているんだ。悪いがその女はもう買い手がついているんだ。邪魔しないでくれよ」
ハンナのほうへ目線をずらした瞬間、男に蹴り飛ばされ地面に踏みつけられる。
「お前も裏家業の人間か? 隠れるのが上手いな。危ない危ない、うっかり見落とすところだった」
一般人の擬態が上手い奴は厄介だからなぁと笑いながら、短刀を手にしてためらいなく俺の心臓に突き刺す。
「ぐっ!」
身をずらし心臓を避けたが、深く突き刺さった刀から血が溢れる。視界の端に驚愕するハンナの姿が見えた。
「クナイ!!!」
「おい、口を押さえろ。騒がれて人に聞かれたら面倒だろ」
男は俺に背を向けて子どもに指示を出している。すでに致命傷を与えたと考え興味を無くているが、ふと返り血を浴びた己の手に目を落とした。
「あ……? なんだこれ」
刺したナイフと手に付いた血がざわざわと動き始め、文字を紡いでいく。形を成した文字は蛇のように男の手にからみ、それはやがて体中に広がっていった。
「なっ、なんだこれは!? あっ、ぎゃ、ぎゃああ痛い痛い痛い!と、取ってくれ! 痛い!いたいいいいいい」
血文字が体中に巻き付き、紡がれた文字から呪いが発動する。
男は痛みに悶絶しながら体をよじりやがてぐちゃりと地面に崩れ落ちた。
「クナイ! 大丈夫!?」
恐怖で固まる子どもの手が緩んだところでハンナがこちらに駆け寄ってくる。
「来るな! 血に触れるとお前も呪われるぞ!」
怒声をあげるとハンナがビクッとしてその場に立ち止まる。
「呪い……?」
俺の体にはいたるところに呪詛が書き込まれている。秘術が失われることを恐れた呪術師が諜報員だった俺の体にあらん限りの術式をかき込んだのだから、この体は呪いそのもの、呪物と変わらない。
書き込まれた呪詛に刀を突き立てた男は、その呪いを受けて死んだのだ。あの遺体も呪いの媒介になるだろう。
「俺の血に触れただけでどんな呪いを受けるかわからん。人が集まってくる前にハンナも逃げろ。俺もどこかに身をひそめるから、ここでお別れだ」
そばにいれば血に触れてしまう可能性もある。ハンナも犯罪組織に目をつけられているのなら、今すぐにこの町を出るべきだ。
先ほどまでハンナを拘束していた子どもは、しばらく茫然としていたが、死んだ男に近寄ることなく急いで家に入っていった。お母さん! と呼ぶ声が聞こえる。恐らく母親を人質にとられ家族役を演じさせられていたのだろう。ならばあちらはもう脅威ではない。
「俺の部屋にある荷物を取ってこい。あれに当面の旅費と、隠してある財産の保管場所の地図が入っている。それを持って今すぐこの地を離れろ」
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