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クナイ

咎人の後悔16

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 立ち上がると溜まっていた血がどっと溢れる。呪術で出血箇所の血を止めるが、深いところまで刺されているので完全な止血は難しそうだ。
 失血で気を失う前にどこか身を隠せるところを探さねばならない。気絶して目くらましの術が途切れることを考えて、人目につかないところへ……と考えていると、後ろからハンナが俺の腕を取って支えようとしてきた。

「っ、おい! 血が付くから止めろ! お前も呪いを受けるぞ!」

「いいから。そのままじゃ血を流しすぎて死んでしまうわ。移動の前に傷を塞がないと」

 やめろという俺の言葉を無視して、ハンナは引きずるようにして家の中へ連れていく。俺をベッドに横たえるとすぐに湯を沸かし、針と糸を熱湯で消毒し始める。そしてハサミを道だし、服を裂いて刺された箇所の確認をしようとするので、声を荒らげてそれを止めた。

「だから血に触れるなと言っている! 傷口に触れたらお前もあの男のように呪いが体に回るぞ! 早くその手を浄化して俺から離れるんだ」

「呪いなんて今更でしょう。普通の人より耐性があるからすぐに死んだりしないわ……多分」

 何の根拠もない自信に怒鳴りつけたくなったが、ためらいなく傷口に触れるハンナを見て、何も言えなくなってしまった。

 ハンナは俺の血に染まった服を剥いで酒を含ませた布で傷口を拭う。肌を晒すのはこれが初めてだが、体中隙間なく書き込まれた呪詛を見て一瞬目を瞠ったが、迷わず傷口を縫い始めた。
 血が触れたハンナの指が黒く染まる。呪いに触れたからだ。それを気にも留めず傷を縫い、あて布をして布できつく縛って応急処置を終えた。

「塩、と酒で手を洗え……」

「分かってる、大丈夫。とにかく傷は塞いだからここから移動しましょう。歩ける?」

「ああ……あの男の仲間が来るだろうから、すぐにここを出たほうがいい」

 姿をくらませる術はハンナもそれなりに使える。術をかけて外に出ると、黒く変色した男の死体が目に入った。血を全身に浴びたわけでもないのに、あれだけの呪いを受けて死ぬのかと、己が抱えた呪いの強大さに嫌気が差す。
 俺に肩を貸すハンナの指先が黒く染まっている。

「すまん……お前にも穢れが移ってしまった。必ず、祓う、から」

「呪いには慣れているの。言ったでしょ、今更だって」

 俺の呪いも穢れも、さして気にした様子もないハンナの言葉にぐっと喉が苦しくなる。
 どうして彼女は……。

 何も言えず、ハンナもそれ以上何も言わず、俺の肩を担いで歩を進める。

 港町から離れて街道沿いの小さな旅籠に身を落ち着けた。もう少し先にある町にまで俺は移動するつもりだったが、ハンナがこれ以上の移動は無理だと言い、宿を取ってしまった。

「クナイ、酷い熱よ。薬を買ってくるからとにかく寝て」

「いい。体内で解毒しているから発熱しただけだ。薬は必要ない。毒に耐性があるぶん、薬も効かないんだ」

 男の短刀にはご丁寧に毒が塗られていた。俺は諜報員の時に毒耐性をつけられていたので死ぬことはないが、傷を負ったせいもあり解毒に時間がかかっていた。
 毒と聞いてハンナは顔色を無くしていたが、この程度で死にはしないと言うとホッとしたように息をついた。

 一晩である程度回復するだろうから放っておいてくれと言ったのに、ハンナはその日、一晩中俺のそばについて汗を拭いて発熱した体を冷やそうと看病してくれた。

「放っておいていいと言っている。お前を陥れた男の看病などどうしてできるんだ。お人よしにもほどがある……」

「それを言うなら、クナイは自分一人なら敵を倒せたはずでしょう? あの時、私がいたから抵抗せずに刺されたんのではないの? あなたを刺したら呪いで相手を倒せると分かっていたから、私の安全を優先して自分が傷つくほうを選んだ」

「それは……」

 指摘され、言葉につまる。
 あの男は手強かった。ハンナを人質に取られた状態では他に選択肢がなかっただけだ。刺されたところで、呪術で血を止めれば死にはしないだろうと判断したからに過ぎない。

「あなたが私に賭けを持ちかけた本当の理由を考えていたの。私に手を汚してほしかったとあなたは言ったけれど、その言葉には嘘が含まれていた。だからあなたの本当の理由が知りたかった」

 そう言ってハンナは、俺の刺された箇所に右手を置いた。

「でも、あなたの体に刻まれた呪いを見て、少しだけ分かった気がした。私に触れられないと思ったのは、この呪いのせいなのね?」

 服を捲り、黒く刻まれた呪詛を指でなぞる。その指先は呪いに触れたせいで黒く染まっている。ためらいなく俺の呪いに触れるハンナの姿を見て、ついにこらえていた感情が決壊した。

「お前の夫が……羨ましかったんだ……。呪われてもなお、お前に愛されるあの男が羨ましくて憎くてたまらなかった。俺は、お前に触れることすらできないのに」

 最初にあの男とハンナが共に歩いている場面を見た時に、強烈に感じたのは『羨望』だ。何のためらいもなくハンナの手を取れる男が羨ましく、同時に自分は彼女の隣に立つことすら未来永劫ないのだと、呪いを背負わされた自分の身を心底嫌悪した。
 あの男が呪いを受けた時、ハンナは少しも嫌悪せず呪いも裏切りも全て受け入れている姿を見て、俺と同じ呪いを受けた身であるのにどうしてあの男だけは何もかも赦されて愛されるのかと、憎しみが抑えられなくなった。
 
 だからハンナに賭けを持ち掛けた。彼女を自分のいるところにまで堕としてしまいたいという、身勝手な理由で。

 そんなことをした俺にはもう、彼女の優しさを受け取る権利などない、幼い頃当たり前のようにハンナと手をつないで遊んでいたあの頃にはもう戻れない。二度と彼女の手を取ることはできない。

「クナイは……寂しかったのね」

 傷口を撫でながらハンナが呟く。

「あの時、あなたを置いて行ってしまって、独りきりにして、ごめんね……」

 ハンナの瞳から涙があふれる。違う、と言いたかったが、嘘だと見抜かれてしまうから口に出せなかった。

「幼かったお前にはどうしようもなかったんだ。謝るな」

 俺が呪いを刻まれたのもハンナが負い目に感じることではない。だが彼女は、そうじゃないと首を振る。

「クナイと一緒にいるようになってからずっとね、泣き声が聞こえていた気がしたの。苦しい、助けてっていう声が、あなたの言葉の後ろから私に向かって訴えてきているみたいで……ずっとそれが気になっていた。あれはきっと……子どもの頃のクナイの声だったんだって、ようやく分かった」

「……俺、が?」

 助けを求める声はずっと聞こえていたと言われ、めまいを覚える。

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