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クナイ
咎人の後悔14
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「どうしてそんなことをしたの?」
質問をするハンナからは、魔力の揺らぎも感じられない。表情からは感情を読み取るのは難しい。あの男を憎まなかったように、陥れた俺のことも許すのだろうか。それとも怒りの感情を抱くほど興味を持てないのか。
いずれにせよ、賭けの約束はここで終わりだ。
全てを話して終わりにする。
「ハンナに、俺のいるところまで墜ちてきてほしかった。憎しみに駆られてお前が手を汚せば、汚れた俺が触れても許される気がしたんだ」
呪いも殺しも無縁の場所で、綺麗なものだけ見て生きてきた彼女の姿は、あまりにも遠いところにあって、汚れた俺の手では触れられなかった。
ぐちゃぐちゃに汚れて堕ちてきたら、呪いまみれの俺が抱きしめても許されるような気がした。
全ては俺の身勝手な欲望から始めたことだ。
顔を上げると、ハンナは遠くへ目線をやり青い海を眺めている。聞いていたのか不安になったが、しばらくの沈黙の後、ふとこちらを向いて口を開いた。
「……そんな遠回りなことをせず、思っていることを私に直接言ってくれれば良かったのに」
まさかそんな言葉がかえってくるとは思わず、憎しみのこもった反応を想定していた俺は肩透かしを食らった気分になり、言葉につまる。
「どうして今、その話を私にしたの?」
「だから……そうだな、元より賭けは成立していなかったのだから、いい加減お前を解放してやろうと思ったんだ。もう自由にしていい。この地に留まるでもどこか別の地に行くでも構わない。移住に不安があるなら生活の基盤が整うよう支援する」
どうする? と問うとハンナは困ったように首をかしげる。
「私が思うに、クナイは普段の言葉が足りなさすぎるんだと思うわ。結論を出す前に、私と相談してみようとどうして思わないのかしら」
何と答えたものか分からず黙っていると、まあいいわと話を切り上げられてしまった。
本当に話を聞いていたのだろうか? そんな言葉が出てくるような内容ではなかったはずだ。
「少し考える時間をくれないかしら。それでまた今度話し合いましょう」
「あ、ああ……ハンナが、それでいい、なら」
この反応は俺にとって理解不能でハンナが何を考えているのか全く分からず、ぎこちない言葉をようやく返したが、内心は混乱して何を言えばいいかわからなくなっていた。
海で遊ぶ気分じゃなくなっちゃったわとそこは責めるように言われ、悪かったとぎこちなく謝罪する。
事実を告げた後はもうこの場で永遠の別れになるかとも思っていただけに、着た時と同じように同じ家に帰るのは奇妙極まりない感覚だった。
それからもハンナはこれまでどおりの雰囲気で食事の相談などを持ちかけて、帰る途中の港町で食料の買い出しをしたいと言われ、戸惑いながら頷く。
……本当に、ハンナは俺の話を理解していないのか?
自分の人生をめちゃくちゃにした男とまだ同じ屋根の下で暮らし食事を振る舞うつもりでいるハンナの考えていることが全く分からない。
特に会話もなく、ハンナの買い物に荷物持ちのようなかたちで着いて行き、無言のまま荷物を持って家に帰った。
玄関前で家に入る前にふと視線を感じて目線をやると、隣家の夫が窓越しにこちらを見ている目と合った。一瞬のことで、すいと目を逸らして窓辺から消えていった。
普段俺が出入りする時は気配を消しているため、隣家の夫と顔を合わせたことはなかったが、ハンナが出入りする時はこうして様子を窺っているのかもしれないと感じた。
隣家の窓はいつも閉じられていて、厚いカーテンがかけられている。
ハンナの言うように、何か奇妙な音が聞こえることもあるが、時々息子は父親と連れ立って出かける姿も見かける。
今のところ、すぐに脅威になるような要素は感じられないが、もしハンナが一人でここに定住したいと言い出しても、家は転居させたほうがいいだろう。ハンナが一人になった時、安全に暮らせる場所を今から探しておく必要がある。
***
ハンナは何かをじっと考えているようで、口数が少なくなくなり、時々俺のほうを話しかけるでもなくじっと見ている時がある。それ以外はいつも通り食事を作り掃除をして、空いた時間で商品にする刺繍をして過ごしていた。
いつ話し合いとやらをするのか、落ち着かないのは俺だけのようで、何事もない日々が過ぎて行き、それと並行して別の家を探して、ハンナがいつでも住めるように準備を進めていた頃、隣家から再びハンナに接触があった。
俺の不在時に隣家の夫が訪ねてきたと、帰宅した俺にハンナが報告してきた。
「奥様が体調を崩されているようで、時々でいいからお子さんを見ていてくれないかと言われて……」
夫に聞いてみないと返事ができないと保留にしておいたからまた来るだろうから、対応を考えたいと相談された。
「その話に嘘は混じっていたか?」
「……全ての言葉が偽りだったわ」
別の目的があってハンナを騙すために言葉を紡いでいたと断言する。彼女がここまではっきりと言い切るのは珍しいことで、嘘の言葉以上に何か警戒心を覚えているようだ。
「隣家の男は何か犯罪目的でハンナに近づいているのかもしれない。少し探ってみるからお前は家から出ずに居留守を使ってくれ」
家中の鍵を施錠して、久しぶりに隠密の服を身にまとい隣家へ潜入してみることにした。
どうも隣家の男はハンナに執着しているようだ。今後彼女が俺と離れ一人になった時に危険となる要素は排除しておきたい。
姿を消してドアのカギを開け中に入ると、リビングには居るはずの妻も子どもも姿が見えない。よく見ると窓には内側に格子がついている。
外側からでは分からなかったが、明らかに普通の家ではない。犯罪組織の隠れ家のひとつか、もしくは監禁場所として利用する場所に見える。
予想していたより、個々の家族は厄介な存在だった。ハンナを家に誘い込もうとしている時点で、彼女をかどわかすつもりだったのだろうと分かり、平和ボケしていた自分に舌打ちしたい気分になる。
耳を澄ますと、コトコトと足元から音が聞こえてくる。足に伝わる振動を頼りに出入り口を探すと、絨毯の下に地下への入り口を発見した。わずかに聞こえる声の様子から、隣家の子どもと、まだ顔を見ていない妻だろう。恐らく本当の家族ではないだろうが。
比較的安全な土地かと思っていたが、こうなってしまえばもうすぐにでもこの町を離れたほうがいい。ハンナに目を付けた理由が分からないが、隣家の男の裏に大きな犯罪組織がいるなら、少々居住地を替えても追ってくる可能性がある。
質問をするハンナからは、魔力の揺らぎも感じられない。表情からは感情を読み取るのは難しい。あの男を憎まなかったように、陥れた俺のことも許すのだろうか。それとも怒りの感情を抱くほど興味を持てないのか。
いずれにせよ、賭けの約束はここで終わりだ。
全てを話して終わりにする。
「ハンナに、俺のいるところまで墜ちてきてほしかった。憎しみに駆られてお前が手を汚せば、汚れた俺が触れても許される気がしたんだ」
呪いも殺しも無縁の場所で、綺麗なものだけ見て生きてきた彼女の姿は、あまりにも遠いところにあって、汚れた俺の手では触れられなかった。
ぐちゃぐちゃに汚れて堕ちてきたら、呪いまみれの俺が抱きしめても許されるような気がした。
全ては俺の身勝手な欲望から始めたことだ。
顔を上げると、ハンナは遠くへ目線をやり青い海を眺めている。聞いていたのか不安になったが、しばらくの沈黙の後、ふとこちらを向いて口を開いた。
「……そんな遠回りなことをせず、思っていることを私に直接言ってくれれば良かったのに」
まさかそんな言葉がかえってくるとは思わず、憎しみのこもった反応を想定していた俺は肩透かしを食らった気分になり、言葉につまる。
「どうして今、その話を私にしたの?」
「だから……そうだな、元より賭けは成立していなかったのだから、いい加減お前を解放してやろうと思ったんだ。もう自由にしていい。この地に留まるでもどこか別の地に行くでも構わない。移住に不安があるなら生活の基盤が整うよう支援する」
どうする? と問うとハンナは困ったように首をかしげる。
「私が思うに、クナイは普段の言葉が足りなさすぎるんだと思うわ。結論を出す前に、私と相談してみようとどうして思わないのかしら」
何と答えたものか分からず黙っていると、まあいいわと話を切り上げられてしまった。
本当に話を聞いていたのだろうか? そんな言葉が出てくるような内容ではなかったはずだ。
「少し考える時間をくれないかしら。それでまた今度話し合いましょう」
「あ、ああ……ハンナが、それでいい、なら」
この反応は俺にとって理解不能でハンナが何を考えているのか全く分からず、ぎこちない言葉をようやく返したが、内心は混乱して何を言えばいいかわからなくなっていた。
海で遊ぶ気分じゃなくなっちゃったわとそこは責めるように言われ、悪かったとぎこちなく謝罪する。
事実を告げた後はもうこの場で永遠の別れになるかとも思っていただけに、着た時と同じように同じ家に帰るのは奇妙極まりない感覚だった。
それからもハンナはこれまでどおりの雰囲気で食事の相談などを持ちかけて、帰る途中の港町で食料の買い出しをしたいと言われ、戸惑いながら頷く。
……本当に、ハンナは俺の話を理解していないのか?
自分の人生をめちゃくちゃにした男とまだ同じ屋根の下で暮らし食事を振る舞うつもりでいるハンナの考えていることが全く分からない。
特に会話もなく、ハンナの買い物に荷物持ちのようなかたちで着いて行き、無言のまま荷物を持って家に帰った。
玄関前で家に入る前にふと視線を感じて目線をやると、隣家の夫が窓越しにこちらを見ている目と合った。一瞬のことで、すいと目を逸らして窓辺から消えていった。
普段俺が出入りする時は気配を消しているため、隣家の夫と顔を合わせたことはなかったが、ハンナが出入りする時はこうして様子を窺っているのかもしれないと感じた。
隣家の窓はいつも閉じられていて、厚いカーテンがかけられている。
ハンナの言うように、何か奇妙な音が聞こえることもあるが、時々息子は父親と連れ立って出かける姿も見かける。
今のところ、すぐに脅威になるような要素は感じられないが、もしハンナが一人でここに定住したいと言い出しても、家は転居させたほうがいいだろう。ハンナが一人になった時、安全に暮らせる場所を今から探しておく必要がある。
***
ハンナは何かをじっと考えているようで、口数が少なくなくなり、時々俺のほうを話しかけるでもなくじっと見ている時がある。それ以外はいつも通り食事を作り掃除をして、空いた時間で商品にする刺繍をして過ごしていた。
いつ話し合いとやらをするのか、落ち着かないのは俺だけのようで、何事もない日々が過ぎて行き、それと並行して別の家を探して、ハンナがいつでも住めるように準備を進めていた頃、隣家から再びハンナに接触があった。
俺の不在時に隣家の夫が訪ねてきたと、帰宅した俺にハンナが報告してきた。
「奥様が体調を崩されているようで、時々でいいからお子さんを見ていてくれないかと言われて……」
夫に聞いてみないと返事ができないと保留にしておいたからまた来るだろうから、対応を考えたいと相談された。
「その話に嘘は混じっていたか?」
「……全ての言葉が偽りだったわ」
別の目的があってハンナを騙すために言葉を紡いでいたと断言する。彼女がここまではっきりと言い切るのは珍しいことで、嘘の言葉以上に何か警戒心を覚えているようだ。
「隣家の男は何か犯罪目的でハンナに近づいているのかもしれない。少し探ってみるからお前は家から出ずに居留守を使ってくれ」
家中の鍵を施錠して、久しぶりに隠密の服を身にまとい隣家へ潜入してみることにした。
どうも隣家の男はハンナに執着しているようだ。今後彼女が俺と離れ一人になった時に危険となる要素は排除しておきたい。
姿を消してドアのカギを開け中に入ると、リビングには居るはずの妻も子どもも姿が見えない。よく見ると窓には内側に格子がついている。
外側からでは分からなかったが、明らかに普通の家ではない。犯罪組織の隠れ家のひとつか、もしくは監禁場所として利用する場所に見える。
予想していたより、個々の家族は厄介な存在だった。ハンナを家に誘い込もうとしている時点で、彼女をかどわかすつもりだったのだろうと分かり、平和ボケしていた自分に舌打ちしたい気分になる。
耳を澄ますと、コトコトと足元から音が聞こえてくる。足に伝わる振動を頼りに出入り口を探すと、絨毯の下に地下への入り口を発見した。わずかに聞こえる声の様子から、隣家の子どもと、まだ顔を見ていない妻だろう。恐らく本当の家族ではないだろうが。
比較的安全な土地かと思っていたが、こうなってしまえばもうすぐにでもこの町を離れたほうがいい。ハンナに目を付けた理由が分からないが、隣家の男の裏に大きな犯罪組織がいるなら、少々居住地を替えても追ってくる可能性がある。
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