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第4章 仕官編

(24)静寂

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 日付が変わって、土曜日。部屋を引き払って、俺たちは一旦帰ることにした。これまでは、お互い別々に部屋を出入りしていたので、そう人目を気にすることはなかったんだが、こういう場合、二人で部屋を出るのは、周りからどう見られるんだろう。急に気になってきた。

「付き合ってるんだろ、俺たち」

 彼はぼそりと呟くが、俺はこれが仮初かりそめの関係だって知ってる。幸い部屋の清算の手続きなどは、さすがに一流のホテルだけあって、客の事情を汲んで内々に処理してくれるが、一緒になってホテルから出て行くのはまずいだろう。俺はいいが、ナイジェルに不名誉な噂が付きまとうのは良くない。

「俺んまで跳ぶけど、いいか?」

 まだ彼の前で偽装は解いてないが、相応の転移が出来ることはもう彼にも分かっている。俺はナイジェルを連れて、父上の家へ跳んだ。

「本当に、簡単に跳ぶんだな」

 ナイジェルは改めて驚いていた。いや、淫魔って大体転移できるだろ。

「転移スキルは、相当練度を上げないと、そう距離を移動できないはず。まして、人を連れてなど」

「そうなの?」

 俺、周りに淫魔がいなくて、初めて跳んだのがスキルマスキルレベルマックスになった後だったから、分からなかった。そういえば、最初は小さな穴しか開けられなかったわけだしな。そうなんだ。

「やっぱりお前、とんでもないな。殿下に推挙すべきじゃなかったかもしれない」

 何それこわい。王太子殿下ってヤバいヤツなの?

「それよりナイジェル、改めてここが今の俺ん家。あと、お前ん家にも送るよ。王宮からなら近いんだろ?」

「ああ」



 彼の住む官舎は、王宮の敷地内にあった。学園で言う、寮のような位置付けだ。ここは彼のような未婚の大貴族の子女や、高位の法衣貴族が住んでいる。もっと身分の低い者には、相応の官舎が敷地外に用意されている。

「どうぞ」

 彼の部屋は、何と言うか、殺風景だった。もちろん調度品は備え付けのものがあるが、それ以外のものがほとんど見当たらない。ホテルのよう、と言えば聞こえは良いが、生活感がまるでない。

「お前、休みの日、何やってんの…」

「何って、学園の時と同じ。剣術の稽古して、本読んで」

「仙人かよ!」

「センニン?」

 ああ、つい異世界の俺の思考が出て来てしまった。まあ、俺もそう変わらないっちゃ、変わらないか。学園時代は出来損ない連中とツルんでたくらいで、あとは実家で引きこもり。王都に出て来てからは、図書館通い。うん、どこに出しても恥ずかしい立派な陰キャだ。

「で、今日も稽古すんだろ?」

「いや」

「俺もちょっと用事済ませてくる。昼には帰って来るけど、何か食いモン要る?あ、ここ跳んでも大丈夫なとこ?」

「ああ」

「じゃ、後でな」

 俺はその足で、改めて王都で手頃な手土産を調達し、実家に跳んだ。



 ほんの三日前に帰省したばかり。ちょっと気まずいけど、改めて実家の門を叩く。門番の出迎えの後、マーサがまたすぐに飛んできてくれた。あれから服は、追加で作ってくれていたみたいだ。こないだ俺に持たせるのを忘れたと言って謝られた。ごめん、俺もちょっと気がいていて、完全に失念していた。まあ、そんなに長く仕官する気がないのもある。俺としては、こっちにはもう俺の型紙パターンがあるわけだし、申し訳ないけどこれからもしばらく領都で服の仕立てを依頼することにする。

 大き目のスーツケースに、出来ている服を全て詰め、俺は早々に辞去する。弟が学園を出るまでは、もうしばらくだけ、こうしてちょくちょく帰りたい。そういえば、手土産を渡し忘れるところだった。こちらにはあまり流通していない、南国の果物を使った焼き菓子。前回はマーサとミアだけに用意したが、それではちょっと配慮がなさすぎた。みんなで食べてくれと大箱を押し付けて、家を出た。

 久々に領都の街に出て、今度はナイジェルに何か手土産を用意しようと思う。とはいえ、俺は男が喜ぶプレゼントも、女が喜ぶプレゼントも、何も知らない。なんせコミュ障の陰キャだからな。伯爵家の子息としては、上っ面の取り繕い方くらい知っているが、誰かを心から喜ばせようと何かを選んだことなんて、これまでなかった。こればっかりは、異世界の俺も同じだったので、彼の記憶とて何の参考にもならない。

 そういえば、これまで浮かれていてすっかり失念していたが、ナイジェルの方こそ、婚約者とか彼女とか居たんじゃないか。彼の横暴なアプローチをかわすため、必要に迫られて魅了を使った結果、仮の恋人関係になったわけだが、俺は完全にお邪魔虫なのではないだろうか。だからあの仕立て屋も、俺に愛人らしい下着を勧めてきたわけで…。

 何だかそんなことを考えていたら、一気に足取りが重くなってしまった。まあ、あれだ。形に残らないものにしよう。さっき食い物の調達を宣言して来たわけだし。こっちで美味いもんと言えば、腸詰に、ワイン。ああ、彼は飲めないから、軽いシードルでいいか。あんまり待たせてもいけないし、屋台でパパっと買って帰ろう。…しまった、礼服で、スーツケース持って買いに来るところじゃなかったな…。

 一旦父上の家に帰って、荷物を置いて、軽く汗を流して私服に着替えて、俺は改めてナイジェルの部屋に跳んだ。



「悪い、着替えてて、ちょっと遅くなった」

 俺が急に出現したものだから、ナイジェルは驚いていた。

「本当に急に出現するもんなんだな」

 俺はいつも跳ぶ側だから、分からない。そしてダイニングテーブルに、先程調達してきた食料を並べる。

「こういうの、口に合うか分からんが、すぐ食えるモンってことで」

「まだ温かいじゃないか」

「ああ、さっき買って来たばっかって言ったろ」

 彼はシードルのボトルをまじまじと眺めている。

「本当にお前、マガリッジ領まで…」

「お前がどういうの好きか分かんなかったから、あっちで一番普通な感じの…何?」

「いや。頂こう」

 シードルをグラスに注いでいると、彼はナイフとフォークを用意しようとしている。

「いやいや、これ歩きながら、手で持って食べるんだよ。こう」

 包み紙ごと持って、食べるジェスチャーをする。改めて、二人でテーブルに着いて、お行儀悪くいただきます。

「何だこれ、美味い」

「だろ」

 熱々の腸詰をキャベツの酢漬けと共にパンに挟んで、スパイスとソースを掛けたもの。今日はシードルを合わせたが、エールにもワインにも合う。このシードル、甘すぎたと思ったんだが、ナイジェルの口には合ったようだ。彼は甘党か。

「あー、やっぱちょっと冷めちゃったな。本当は、出来立てを食べた方が美味いんだけど」

「屋台なんて行ったことない」

 ああそうか。高位の貴族のお坊ちゃんなんて、そんなとこ行ったことないだろうな。下手に毒殺とかされたらたまらんし。

「毒ならある程度は、自分で何とか出来る」

「ああ、キュアー持ってるからか」

「何故知ってる」

 やっべ。

「ま、まあ、また屋台回ろうぜ。王都にもいっぱい出てるし。明日にでも、行くか?」

「本当か?」

 よかった。話を逸らすのに成功したようだ。



 さて、腹も満たされたし、これで本当にやることがなくなった。昨夜も結局ずっとヤってたことだし、彼ものんびりしたいだろう。

「じゃあ、もし予定がなかったら、明日街に出るか?」

 俺はテーブルを片付けながら尋ねる。こういうの、メイドがやってくれるんだろうけど、なんか落ち着かない。そして無口なナイジェルは、また押し黙っている。もう、ほんとコイツ…

静寂サイレンス

 何の前触れもなく、彼はいきなり防音結界を張った。そして

「帰さない」

 そう言って、俺を後ろから抱き締めてきた。

 そうか。静寂サイレンスには、音声を遮断する上に、スキルの発動を妨害する効果がある。あの狭い宿の一室で使った時も、声を漏らさないためじゃなくて、俺を跳ばせないためだったのかもしれない。悲しいかな、彼の魔力では、俺の転移を防ぐことは出来ないんだけど…

 俺は振り返り、改めてナイジェルを抱き締め、口付けた。
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