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第七章 狂者の昂進
狂者の昂進(4)
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「記憶がない」だなんて、そんな話、にわかには信じられなかった。
ありえない。
それなら、もしも音成さんがユウの時に兄を殺していたら、それも「覚えていない」と言うのだろうか。
あんなことをしておいて。
何度も何度も兄の体に包丁を刺して、石膏像のように美しい兄の綺麗な体を切り裂いて、人を殺しておきながら、「覚えていない」と言うのだろうか。
ありえない。
そんなことが、あっていいはずがない。
許せない。
あんな無残な殺され方をしたのだ。
一体、どんな理由があって兄を殺したのか、それは、本当に殺されるに値するような理由だったのだろうか。
このままでは、このどうしようもない怒りを、別の人に向けるところだった。
今の話は衝撃の事実なのか、それとも、事前に用意されていた罪を軽くするためのシナリオだろうか。
何が本当で、何が嘘で、どこから間違っていたのかもわからない。
「では、音成さんは、どこの病院に入院しているかわかりますか?」
私とは反対に、古住弁護士は至極冷静だった。
身内のしたことに申し訳なさそうな表情を浮かべていた店長さんは、古住弁護士の質問に真摯に答えているように見える。
でも、それだって偽りかもしれないと、私は疑いの目を向けたまま、黙っていた。
今すぐにでも、その病院に乗り込んで、兄を殺した音成さんに問いたかった。
「あなたは何故、兄を殺したのですか」と問いたかったからだ。
ところが、店長さんはその病院がどこかまでは知らなかった。
「専務……優の父親にはすでに会っているんですよね?」
「ええ、音成優さんは入院されているとは聞いてます。お話したのはお父様と弁護士のみで、本人とは直接お話できていませんし、あの様子では、させていただくのは難しいかなと思っていました」
「でしたら、母親の方に確認してみます」
「お母様に……?」
「あそこの夫婦は、形だけなんです。専務は世間体を気にして臭いものには蓋をしたがるタイプの人間ですが、母親の方は違います」
そうして、母親の方に確認をとってみれば、なんと音成優は入院していなかった。
とっくに退院して、実家で暮らしているらしい。
ほとんど部屋に引きこもっているらしいが、たまに外に出ている。
私たちがエレベーターの前ですれ違ったのは、その外に出ているたまにの時だった。
AJIYA食品の広報課で働いている社員とは学生時代からの友人だそうで、おそらく彼女に会いに行ったのではないかという話だ。
今も、彼女に会いに外出している。今日は大学の同窓会があるのだとか。
会場は、AJIYA食品の子会社が経営している居酒屋だった。
今行けば、音成優に会えるかも知れない。
私は居酒屋に早く行こうと、古住弁護士を急かした。ところが、古住弁護士は冷静に言う。
「ダメです。相手は殺人犯なんですよ? それに、居酒屋ということは、その場には他に大勢人がいるでしょうし……」
「でも……!!」
「気持ちはわかりますが、落ち着いてください。陽菜さん、あなたはまだ未成年で、子供です。それに、相手は男性です。いくら外見を女性らしく装っていても、男性の力にはかなわない。襲ってきたらどうするんですか? 殺人犯なんですよ? 陽菜さんじゃなくても、逆上してその場にいる他の誰かを傷つけるかもしれない。また、誰かを殺すかもしれない。そんなところに、何の対策もなくあなたを行かせるわけにはいきません」
古住弁護士の言う通りだ。
私はまだ子供で、女で、相手は大人で、男で、人殺しで————きっと、犯人を目の前にしたら、私は取り乱すだろう。
冷静ではいられない。
兄の仇だと、犯人を殺そうとするかもしれない。
逆に殺されるかもしれない。危険な目にあうかもしれない。でも、それでも……
「それでも、それでも、私は知りたいんです。兄がどうして、殺されなければならなかったのか……」
涙が止まらなかった。
何もできない自分が悔しくて、悲しくて。
こんなはずじゃなかった。私はただ、生前の兄のことを知りたかっただけなのに————
「陽菜さん、大丈夫です。私に任せてください。刑事さんに連絡して、身柄を拘束してもらいます。直接話がしたいなら、その後面会すればいい。必ず私がそうできるようにしますから」
古住弁護士は、そう言って泣きじゃくっていた私をタクシーに乗せると、七海ちゃんの家まで送り届けてくれた。
明日、明後日にはまた連絡すると言って、その日はそれで別れた。
* * *
「————陽菜! こんな時間まで、どこに行っていたの!? 何度も電話したのよ!?」
七海ちゃんの家に着くと、なぜか母がいた。
「ごめん、気づかなかった」
スマホの画面を確認すると、何通も通知が来ていた。マナーモードに設定していて、すっかり忘れていた。
「そんなことより、どうしてここにいるの?」
聞けば母は私が七海ちゃんと兄の事件について話しているのを、七海ちゃんのお母さんから聞いて迎えに来たという。
遊びに行くと言って、それっきりなんの連絡もよこさない私を心配して、様子を伺うのに七海ちゃんのお母さんと話して、そこで気づかれた。私がこの街に来た本当の理由を。
「犯人はもう捕まっているじゃない。そんな、探偵の真似事みたいなことをして……」
「違う! あの女は、横田葵は、お兄ちゃんを殺してなかった!」
「……何よそれ、どういうこと?」
「お兄ちゃんを殺したのは、音成優だよ。隣の201号室に住んでた」
「音成……?」
私がその名前を口にすると、母の目の色が明らかに変わった。
それまでは、私を心配して、呆れていると言う感じの目だったのに……
「まさか、あの男とまだ、関係が続いていたの!?」
母は、眉間に深くシワを寄せ、声を張り上げた。
ありえない。
それなら、もしも音成さんがユウの時に兄を殺していたら、それも「覚えていない」と言うのだろうか。
あんなことをしておいて。
何度も何度も兄の体に包丁を刺して、石膏像のように美しい兄の綺麗な体を切り裂いて、人を殺しておきながら、「覚えていない」と言うのだろうか。
ありえない。
そんなことが、あっていいはずがない。
許せない。
あんな無残な殺され方をしたのだ。
一体、どんな理由があって兄を殺したのか、それは、本当に殺されるに値するような理由だったのだろうか。
このままでは、このどうしようもない怒りを、別の人に向けるところだった。
今の話は衝撃の事実なのか、それとも、事前に用意されていた罪を軽くするためのシナリオだろうか。
何が本当で、何が嘘で、どこから間違っていたのかもわからない。
「では、音成さんは、どこの病院に入院しているかわかりますか?」
私とは反対に、古住弁護士は至極冷静だった。
身内のしたことに申し訳なさそうな表情を浮かべていた店長さんは、古住弁護士の質問に真摯に答えているように見える。
でも、それだって偽りかもしれないと、私は疑いの目を向けたまま、黙っていた。
今すぐにでも、その病院に乗り込んで、兄を殺した音成さんに問いたかった。
「あなたは何故、兄を殺したのですか」と問いたかったからだ。
ところが、店長さんはその病院がどこかまでは知らなかった。
「専務……優の父親にはすでに会っているんですよね?」
「ええ、音成優さんは入院されているとは聞いてます。お話したのはお父様と弁護士のみで、本人とは直接お話できていませんし、あの様子では、させていただくのは難しいかなと思っていました」
「でしたら、母親の方に確認してみます」
「お母様に……?」
「あそこの夫婦は、形だけなんです。専務は世間体を気にして臭いものには蓋をしたがるタイプの人間ですが、母親の方は違います」
そうして、母親の方に確認をとってみれば、なんと音成優は入院していなかった。
とっくに退院して、実家で暮らしているらしい。
ほとんど部屋に引きこもっているらしいが、たまに外に出ている。
私たちがエレベーターの前ですれ違ったのは、その外に出ているたまにの時だった。
AJIYA食品の広報課で働いている社員とは学生時代からの友人だそうで、おそらく彼女に会いに行ったのではないかという話だ。
今も、彼女に会いに外出している。今日は大学の同窓会があるのだとか。
会場は、AJIYA食品の子会社が経営している居酒屋だった。
今行けば、音成優に会えるかも知れない。
私は居酒屋に早く行こうと、古住弁護士を急かした。ところが、古住弁護士は冷静に言う。
「ダメです。相手は殺人犯なんですよ? それに、居酒屋ということは、その場には他に大勢人がいるでしょうし……」
「でも……!!」
「気持ちはわかりますが、落ち着いてください。陽菜さん、あなたはまだ未成年で、子供です。それに、相手は男性です。いくら外見を女性らしく装っていても、男性の力にはかなわない。襲ってきたらどうするんですか? 殺人犯なんですよ? 陽菜さんじゃなくても、逆上してその場にいる他の誰かを傷つけるかもしれない。また、誰かを殺すかもしれない。そんなところに、何の対策もなくあなたを行かせるわけにはいきません」
古住弁護士の言う通りだ。
私はまだ子供で、女で、相手は大人で、男で、人殺しで————きっと、犯人を目の前にしたら、私は取り乱すだろう。
冷静ではいられない。
兄の仇だと、犯人を殺そうとするかもしれない。
逆に殺されるかもしれない。危険な目にあうかもしれない。でも、それでも……
「それでも、それでも、私は知りたいんです。兄がどうして、殺されなければならなかったのか……」
涙が止まらなかった。
何もできない自分が悔しくて、悲しくて。
こんなはずじゃなかった。私はただ、生前の兄のことを知りたかっただけなのに————
「陽菜さん、大丈夫です。私に任せてください。刑事さんに連絡して、身柄を拘束してもらいます。直接話がしたいなら、その後面会すればいい。必ず私がそうできるようにしますから」
古住弁護士は、そう言って泣きじゃくっていた私をタクシーに乗せると、七海ちゃんの家まで送り届けてくれた。
明日、明後日にはまた連絡すると言って、その日はそれで別れた。
* * *
「————陽菜! こんな時間まで、どこに行っていたの!? 何度も電話したのよ!?」
七海ちゃんの家に着くと、なぜか母がいた。
「ごめん、気づかなかった」
スマホの画面を確認すると、何通も通知が来ていた。マナーモードに設定していて、すっかり忘れていた。
「そんなことより、どうしてここにいるの?」
聞けば母は私が七海ちゃんと兄の事件について話しているのを、七海ちゃんのお母さんから聞いて迎えに来たという。
遊びに行くと言って、それっきりなんの連絡もよこさない私を心配して、様子を伺うのに七海ちゃんのお母さんと話して、そこで気づかれた。私がこの街に来た本当の理由を。
「犯人はもう捕まっているじゃない。そんな、探偵の真似事みたいなことをして……」
「違う! あの女は、横田葵は、お兄ちゃんを殺してなかった!」
「……何よそれ、どういうこと?」
「お兄ちゃんを殺したのは、音成優だよ。隣の201号室に住んでた」
「音成……?」
私がその名前を口にすると、母の目の色が明らかに変わった。
それまでは、私を心配して、呆れていると言う感じの目だったのに……
「まさか、あの男とまだ、関係が続いていたの!?」
母は、眉間に深くシワを寄せ、声を張り上げた。
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