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133 ある王妃付き侍女の話 前編

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女というのはつくづく面倒な生き物だな、と思う。


「本日より、妃殿下の身の回りのお世話をさせて頂きます。
ヒルダ・ターライトと申します。」

「此れから宜しくお願いしますね、ヒルダ。」

「はい。お任せ下さい、妃殿下。」

初めて間近で妃殿下と対面した時、惚けて息を飲むくらい、とんでもなく美しい方だと思った。
けれどそれも一瞬で、私はすぐに自分の立場を思い出し、いつもの冷静な自分を取り戻した。

「あーん、暇ですわねぇ。」

「いつも通りなら妃殿下がお目覚めになるのはお昼が過ぎてから。
それまでにやれる事を…と言ってもそんなにないものね。いつ呼ばれてもいいように待機しておくだけ…なのも少し辛いわね。」

「そうそう!妃殿下のお世話っていっても妃殿下、政務ばかりしてるもんねー!たまに庭園を散歩されるくらいで。…もっと自由にしたらいいのにー!着飾ったりしたーい!」

「そうですわね。妃殿下はちょっと働きすぎだと思いますの。ねぇ、ヒルダ。どなたでしたっけ…?小国の王女だった方。あの方なんて遊ぶ事しかしてなかった気がするのですけど。
あの方付きではなかったけれど…毎日毎日楽しそうな話しか聞かなかったじゃない?」

「私に振らないで下さい。」

沢山いる侍女たちの中から私が妃殿下付きの侍女に選ばれた理由は大きく二つ。
それは私が武芸を嗜んでいたことと、滅多なことでは動じない性格をしているからだ。
それから私の他に五人、妃殿下付きに選ばれた侍女たちも…同じく選ばれたなりの理由がある。

この城で、と言うか。この世界のどの国でも同じと思うが…王族の元で働いている侍女たちにはランクがある。
下級侍女、中級侍女、上級侍女、侍女長補佐、侍女長とランクがあり、そのランクによって持ち場や仕事内容が変わる。
例えば下級侍女。
彼女たちは貴族ではなく殆どが平民であり、主に掃除やゴミ捨てなど城内の雑用を仕事としている。
城の中心部で働く方たちの雑用ではなく、彼らを補佐している裏方側の雑用だ。故に身分のある方たちとの直接な接点は無いに等しい。

中級侍女は下級侍女のような雑務もするが、他国からの要人であったり城でパーティーを開いた際に表に立てる。
表に立てると言っても食事や飲み物を運んだり、補充したりというもの。
けれど、下級侍女と中級侍女の差は大きい。
それは下級侍女たちには教養がなく、中級侍女たちは教養があるから。
教養のない人間には王族や貴族が集まる場の給仕はさせない。これは常識で、礼儀だ。
下級侍女は平民。では中級侍女はどんな女たちがなれるのかと言えば…お察しだろう。
彼女たちは順貴族であったり、下位貴族であったり、没落した貴族であったり。
兎も角、位は低くとも貴族出身であれば中級侍女にはなれるのだ。

故に平民であり、教養のない下級侍女は完全に裏方の仕事しか出来ないが、教養のある中級侍女は裏方もあれば表にも出れる。
表に出れるとはつまり、どういう事かと言うと…例え食事や飲み物を運ぶだけの時間であっても、それなりに身分のある貴族の前に姿を現せるということであり、運が良ければ見初められ結婚出来るということだ。
運よく貴族の男に見初められ寿退職した侍女もそう少なくはない。
城勤めの侍女というのは人気の職業だ。
平民がなれる下級侍女であれば、町で汗水垂らしながら働いても貰える給金は多くない。
けれど城に勤めればそれなりに良い給金が貰える。
下位貴族がなれる中級侍女は、給金も然り、運が良ければそこそこの身分がある貴族に嫁げるという可能性があるのだから。

因みに私は上級侍女。
もうお分かりの通り上級侍女はそれなりに身分ある家の出でなくてはならない。何故なら上級侍女の仕事は自国だけでなく、他国の王族や貴族が城に来た際のお世話が重要な仕事だからだ。
勿論それだけが仕事ではないけれど。
今日、仕事が休みである一人もそうだが…私然り、妃殿下付きの侍女に選ばれた者は伯爵家の令嬢であったり、それなりに身分の高い家の者で、私はこの国で四つしかない侯爵家の人間である。
そんな私が何故、城に勤めているかと言うと…それは単純に。私という人間が“貴族令嬢”らしからぬ人間だから。
そして、その貴族令嬢らしからぬ存在であるが故に、陛下直々に妃殿下のお世話を賜る事が出来たと言える。

リィンーー…

「あ、呼び鈴鳴ったー!お目覚めになったみたいだよ!」

「あらぁ!今日はまだお昼になっていないわぁ。初夜からほぼ毎日お目覚めになるのはお昼が過ぎて、だったのに。」

「ふふっ。昨晩は手加減して頂いたのじゃない?
ここ最近、妃殿下はお疲れになった様子だったもの。」

「愛されるというのも中々、大変ですわよね。」

「下らないことを言ってないでさっさと行きましょう。」

「あん。ヒルダったら相変わらず冷めてるのねぇ。」

きゃっきゃとはしゃぐ同僚たちに溜め息を吐きながら先頭を歩く。
正直に言うと、私は色恋沙汰に興味がない。これっぽちも。そして女という生き物が特に苦手だ。
性別上では同じ女であるが…私と私の周りにいる一般的な女は別の生き物だと思っている。まぁ、同僚たちも私と似た様なものではあるが。

「おはようございます、妃殿下。」

『おはようございます、妃殿下。』

「…ふぁ、…おはよう、ヒルダ。
皆も、おはよう…。」

妃殿下はもう、…もう。別の意味で私とは…否、私たちとは違う生き物だと思う。
毎日お会いしても慣れない。この方の人ならざる美しさには。

「はぁ…、今日も、何て美しさかしら…目が幸せ…。」

「ああん、今日も朝から妃殿下のお体をじっくり見られるなんて…これぞ妃殿下付き侍女の特権ねぇ。」

「うわぁ。…陛下ってば毎日毎日すんごぉい性欲!
妃殿下に無理ばっかりさせてー!」

「さ、妃殿下。早速お体を洗いましょう。今日も…ドレスは首まで隠れるものが良いですわね。…ああ、背中も隠れるものでないといけませんわ。寵愛の証が増えていますもの!」

「アリア、エヴァンはドレスの用意を。カルラはタオルを持って来なさい。
ラスティは私と共に湯殿で妃殿下のお世話です。」

四人に指示を出し、寝ぼけ眼な妃殿下を湯殿へ連れて行く。
近くに寄ると性の匂いに混じってふわりと、甘い匂いがした。
妃殿下を湯殿へ案内し、指先から足先まで丹念に磨き上げ、頭を洗う。
気持ち良さそうに目を閉じる妃殿下は連日の伽にやはりお疲れの様子だった。
無理もない。陛下と婚姻されてからほぼ毎日こうしてお世話をさせて頂いているが…目覚めた妃殿下が寝巻きを着ていたことなど、これまでに一度もないのだから。

「私は妃殿下の食事を持って参りますので。その間、宜しくお願いします。」

「はーい、行ってらっしゃーい!」

「ええ、任せて下さいな。」

広い大理石の廊下にコツコツと、ヒールの音が響く。
陛下と妃殿下の部屋がある階から少し離れると先程までの静かな空間から一変して賑やかに。
きゃっきゃと何が楽しいのか、お喋りをしながら窓を拭いているのは上級侍女たち。
この城では、下級、中級、上級侍女で持ち場がある。
城の中でも、重要な部署で働く貴族たちが集まる場所を持ち場に仕事をするのが私たち上級侍女。
中級侍女も城の中の掃除を担当する者が多いが言ってしまうと下っぱ部署が並ぶ階を担当している。
私が向かっている第一調理場は陛下や妃殿下、城を訪問した身分ある貴族や他国の王族貴族に出す料理を作っている場所で、第二調理場は重要部署で働く身分ある貴族たちの為に食事を作っており、第三調理場はその他の為にある。

「妃殿下の食事を取りに来ました。」

「丁度用意出来てますよ!」

ワゴンの上には既に出来立ての料理が並んでおり、ワゴンを押しながら再び妃殿下の元へ戻る。
窓を拭いていた侍女たちは手を止め、男の話や結婚の話で盛り上がっていた。…下らない。


「んん……今日も美味しい…。」

「ふふ、それはようございました。」

「妃殿下はいつも美味しそうに召し上がりますものぉ。
見ている此方も幸せになりますわぁ。」

「これだけ美味しそうに食べて貰えるんだから、料理長も嬉しいって思ってますよー!」

食事一つで幸せそうな顔をしている妃殿下。
その妃殿下を見て、頬を弛める同僚たち。
気が緩みすぎているのが気になるが…仕事を忘れないでいるならいい。

「…ヒルダ。」

「…ラスティ、何かあったのですか。」

「ええ、…少し。」

妃殿下の周りにいる三人を見れば、先程の緩んだ顔から一瞬真顔になり、そしてまたにこにこと笑顔に戻った。
“此方は任せて”
その意図を正確に汲んだ私は妃殿下に少し離れる事を伝え、ラスティの後を着いて行く。

「…妃殿下の装飾品が一つ無くなっていますの。小振りのルビーが付いたものよ。昨日は間違いなくありましたわ。確認しましたもの。」

「……こそ泥共が。」

妃殿下の部屋がある階に来られるのは上級侍女のみ。
そして、妃殿下の部屋を掃除するのも上級侍女たちの仕事。
私たち五人も妃殿下の部屋を掃除する事もあるが、主な仕事は妃殿下のお世話。その為妃殿下の側にいる必要があり、掃除等の雑務は他の上級侍女が受け持つ事の方が多い。

「昨日までちゃんとあったという事でしたら今日掃除に入った方を調べれば分かりますね。
貴族令嬢たる者が賎しいこそ泥の真似事なんて…恥ずかしい。」

「妃殿下がお優しい人柄だから…舐められていますわね。
だけど心外ですわ。わたくしたちが妃殿下の持ち物を把握していないと思われていることが。」

「ええ。立場を弁えない馬鹿がいるのは確かです。」


女というのは浅知恵の良く働く生き物だ。
私はそれを、良く知っている。
妃殿下は多くの人から慕われている。
優しく、そしてとても美しい。
その優しさは相手が貴族であろうと平民であろうと平等だ。
町に出れば相手が子供であろうと感謝の言葉を述べ、気さくに振る舞う。
それは良いことではあるが、良くないことでもある。
例えばそう、高慢で自尊心の塊でしかない一部の貴族令嬢たちには…妃殿下のそういった気さくな部分や隔てない優しさは癪に障るのだ。“偽善者”と。

ただ、客観的に見れば妃殿下の態度も本来であれば余りよろしいものではない。
この世界は貴族社会。
故に。平等に、隔てない優しさで誰彼接するのはこれまで貴族の厳しい上下社会の中で生きてきた者たちからすれば…気に食わない者が出てくるのは仕方ないというものだ。気に食わないと言うか、そいった優しさを馬鹿にする者がいる。
とは言え妃殿下へは貴族も平民も、その大半が好感しか持っていないのが事実。
ごちゃごちゃと言っているのは一部。そう、一部の、おのが立場を分かっていない馬鹿共だ。
その馬鹿共はこの城の中にもいる。
仕えるべき立場である妃殿下に対し、無礼極まりない考えで接している者たちがいるのを、私は知っている。


「泳がせておきましょう。」

「いいのかしら?」

「陛下のお考えでは…膿はまとめてとのことですから。」

「では、わたくしたちは引き続き、わたくしたちの仕事をするだけですわね。」

「そういうことです。」


妃殿下付きの侍女に選ばれた私たち六人には共通点がある。
それは武芸を嗜んでいる事と、結婚する意思がない事。意思がないというよりは…結婚に関して強い拒否感がある。
そして、“醜い”という共通点だ。
醜い故に家族に虐げられてきた者もいれば、過剰な程過保護にされ部屋から出される事もなく、隠匿されかけた者もいる。
家の恥と罵られ、耐え続けてきた者も。
私も、両親や兄、妹から存在を無視され続けてきた人間だ。
とは言え幸いだったのは、優しい祖父母がいたお陰で殺される事もなくひもじい思いをする事もなく、貴族令嬢として当たり前の教育を受けさせてくれた事と、色々と私の好きなようにさせてもくれた事。その一つが武芸である。
祖父母以外の家族や一部の使用人たちに物理的な嫌がらせをされる事もあった為、護身術を兼ねて武芸を学ばせてもらった。
その祖父母が自分たちの死後、私の扱いがどうなるかを憂い、伝を使って私をこの城の侍女へと推薦してくれたのだ。

私を面接してくれたのは当時の侍女長。
今も現役で陛下のお世話をされている執事長、ミケーレ・クレミー伯爵の妻であるマーサ夫人で、美醜に偏見のないマーサ夫人のお陰で従来のしきたり通り、こうして上級侍女として働けるようになった。
聞けば他の五人も似たような状況で侍女になれたと言っていた。
この世界では、如何に高位な貴族の家に生まれようと醜ければ蔑まれる。
女に生まれなければまだ、良かったのかも知れない。
嫁ぎ先もない貴族の女はお荷物でしかない。
貴族の女が働ける場所は少ない。それはこの国の、否、この世界の貴族令嬢は大半が何処かの家に嫁ぐからで、生涯働く必要のない人生を送るからだ。
そも、私たちのような醜い容姿の女は何処へ行っても門前払いになる。いくら能力があっても。

結婚出来ない女、子供が出来ない女は価値がないなんて、何て理不尽な世界だろう。実に腹立たしい。下らない。
だからこそ、思う。よく感じる。妃殿下の異質さを。

「お待たせ致しました。
妃殿下、食べ終えたのでしたらお下げしても宜しいでしょうか。」

「お願いします。今日も美味しかったと伝えてくれる?」

「畏まりました。」

「ありがとう、ヒルダ。」

そう。どこの世界の令嬢が、王妃が下の者に礼を尽くすのだろう。
料理を作った者然り、私のような侍女然り。
妃殿下にお仕えするようになってからこうした何てことない、私たちにとっては当たり前である仕事に関しても礼を言う妃殿下のその異質さ。
この方の隔てない優しさが、私には恐かった。


「…報告は以上です。」

「そうか。この城にこそ泥がいたか。
犯人の目星は。」

「付いております。
その者に荷担する者も数名把握しておりますが全てではありませんので、追って調査致しております。」

「…ふむ。では頼む。
それで。サイカに変わりはないか?」

「はい。本日はお昼前に起床され幸せそうに食事をお召し上がりになられました。現在はディアゴ村関連の政務に励まれております。」

「そうか。…サイカは働き者だな。良い事だろうが逆に心配になる。
ヒルダ。妃が疲れた様子を見せたらすぐ休ませてくれ。」

「畏まりました。」

陛下の執務室を出れば、強張っていた肩の力が抜けるのを感じた。
妃殿下関連の事を陛下に報告する時はいつも覚悟がいる。
こそ泥の件を伝えた時、表情こそ変えないが陛下の周りの空気が冷たいものへと変わり、生きた心地がしなかった。
ぞわぞわと恐怖で体が固まるのは本能が危険を知らせているからだ。
妃殿下のこととなると、陛下は恐ろしく冷酷な人間にもなる。
数十分。たった数十分だ。陛下の前に立ったのは。なのに、嫌な汗でびっしょりだった。



「妃殿下、休憩されますか?」

「…ええ!そろそろ集中力が切れそう。」

「ではリラックス出来る紅茶をご用意致します。」

「ありがとう、ヒルダ。」

「…いいえ、当然のことです。」


妃殿下の優しさは私にとって、まるで毒だ。
これまで沢山嫌な事があった。否、嫌な事ばかりだった。
家族だけでなく、使用人たちにも当然のように蔑まれ、嫌がらせされてきた。
この城に勤めてからも同じ。
容姿の醜い私を、私よりも身分が下である人間が笑い、貶す。
遣り甲斐?喜び?そんなものはない。
そう、無かったのだ。実際。この仕事は、結婚しない貴族令嬢の私が一人で生きていく為に必要だから。遣り甲斐も、喜びも、楽しみもない。
ただ、生きる為だけに働いている。


「……ほぅ。落ち着く…。
ヒルダの淹れる紅茶、好きよ。
選んでくれる茶葉がもう、絶妙にその時の気分に合ってると言うか…今回のもそう。とても落ち着く…。」

「…勿体無い、お言葉で…ございます…。」

「まだまだ頑張れそう!
ありがとう、ヒルダ。」

「……。」

まるで毒だ。この方の優しさは。気遣い、心遣いは。
ぽつりと一滴の毒が、水に混じるみたいに。
ゆっくりとゆっくりと、溶け込んでいく。
静かな、揺れもしなかった水面に…落ちる毒が円を描くように広がっていく。

「妃殿下ぁ、お探しの資料、幾つかお持ち致しましたぁ。」

「ありがとう、重かったでしょう?
……あ、そうそう!これ!こういう資料が欲しかったの!どうして分かったの!?本当にありがとう、カルラ!」

「いいえぇ、妃殿下のお役に立てて嬉しいですわぁ!」

「妃殿下は本当に、勤勉でいらっしゃいますね。
過去の色んな村の事までご自身でお調べになって…素晴らしい事です。
ですが、根を詰めないで下さいませ。」

「そうですよー!ほんと、城で仕事する男たち、それから仕事してるようでしてない侍女たちに見習って欲しいですー!
それから、妃殿下はもう少しサボってもいいと思いますー!」

「ふふ、ありがとう。」

妃殿下付きの侍女に選ばれた時、何故、私が…という思いでいっぱいだった。
武芸を嗜んでいる変わり者とは言え、私の容姿は醜い。
過去、城を訪問した貴族のお世話をした事もあるが…堪ったものではなかった。
人の姿を見るなり顔をしかめたり、罵倒したり、嫌味を言ったり。
それは令嬢でも同じ。
こちらの家の方が格上と知っても態度は同じ。馬鹿にした態度、見下した態度を取られてきた。
これまで受けてきた仕打ちは忘れたくとも忘れられない。
だから、妃殿下が美醜に偏見のない方であろうと…気持ちは晴れなかった。

それに、当時は妃殿下の事をこう思っていた。
“愛される為に生まれた方”だと。
その容姿の美しさから、大切に大切に守られ、誰からも愛されてきた“お姫様”。
きっと嫌な世界を見る事もなく、綺麗な世界だけで生きてきた。
砂糖菓子のように甘い世界で大切にされ、苦労や苦しみ、絶望など何も知らない世界で生きてきたのだと。
純粋であるが故に、だから、誰に対しても優しく出来るのだと。
だけど妃殿下と日々を過ごして、そうではないとすぐ気付いた。


「責任感を持って取り組むのは当たり前でしょう?
この書類一つにだって、意味がある。
意味がないのならこの書類は今、ここにないはずだもの。」

『……。』

「…私のしている仕事はそう重要なものではないかも知れない。だけど意味はある。
小さな仕事一つでも。自分のしている仕事が何に繋がるか、どうして必要かを考えたら…何も考えず、調べずにサインをするのは違うと思う。
知っておくべきじゃない?自分が関わっている仕事の事。」

「……その、通りでございます。」

これが、ただ甘やかされただけの人間なものか。
ただ、大切に守られ続けてきただけの人間なものか。
愛される為だけに生まれた?
いいや、違う。愛されるには愛されるだけの理由がある。
だってこの方はただ愛されるだけで良しとしていない。
愛されて生きるのは多くの女たちの幸せだろう。
けれど、妃殿下はそれだけに留まらない方だった。
陛下に愛されるだけでなく、陛下の隣に立とうとしているのだ。
陛下の隣でただ、愛らしく微笑むだけの女ではなくて、陛下と共に国の舵取りをしようと、それを心掛けている方だった。

この方は毒だ。この方自体が、毒だ。
その毒の味を知れば、二度と戻れない。
だって現に、私の心はこの方の毒に侵されている。
自分を見てくれる、自分の仕事を褒めて、感謝してくれる。
何をしても、小さな事をしても。
さも当然のように感謝してくる。
静かな、決して揺らぐ事のなかった水面に一滴の毒が流れ、円を描いて揺らぐ。
じわじわと、ゆっくりと。小さな円が大きく広がっていく。
ただ生きていく為だけの生活に、それだけだった人生に、喜びが芽生えていく。
遣り甲斐が、芽生えていく。
私を認めて欲しいと、欲求が芽生えていく。

ああ、毒だ。
この優しい毒が抜けた後が…酷く、恐ろしい。
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