149 / 198
134 ある王妃付き侍女の話 中編
しおりを挟む
私が妃殿下付きの侍女になって二月が経とうとしていた。
この二月の間で妃殿下について分かった事は、美しくて優しくて穏やかで、聡明で勤勉で責任感があって努力家であるという事。
与えられた仕事のその意味を考え、責任感を持って政務に取り込む姿は純粋に尊敬出来る。
が、しかし。優しい人柄である故に、妃殿下は争い事には向かない方であると思った。人間の醜い部分からは、遠く離れた場所にいる方なのだと。
この二月の間で妃殿下が私たち専属侍女や他の人たちに対し、怒りを露にしただとか、理不尽な事を言うだとか、機嫌で態度を変えたり容姿の事を差別したりなど一切無かった。
いつも穏やかで、変わらず小さな事にも感謝の言葉を伝えて、政務以外は笑顔を心掛けていらっしゃる。
表情が豊かなのもきっと、心が豊かであるからだ。
だからこそ、余計に争い事には向かないと感じる。
人間の醜い、卑しい、汚い部分、その矛先が妃殿下に向いてしまった時は誰かが守って差し上げないとと、そう強く思う。
具体的に言うとだ。
今現在廊下を歩いている妃殿下に向かって頭を下げている上級侍女たちの、身勝手な妬みや嫉みから、とか。
婚儀を挙げてからの一月、何事も無かったのは様子見をしていたからなのだろう。
婚約者であらせられた時から妃殿下はよく王宮へ来られていたが、私たち侍女とはそれ程接点はなかった。
優しい人柄であると噂は聞いていたものの、当時はそれが本当か嘘かなど分からない。
だから一月の間は妃殿下がどんな方なのか、彼女たちは伺っていたに違いない。
女というのは面倒な生き物だ。
男も面倒だけれど、女より単純でまだ扱いやすい生き物だと思う。
実家でもそうだった。
父よりも母の方が機嫌の変化が分かりづらかった。
兄よりも妹の方がずっとずる賢くて、私が怒られているのを見てこっそりとほくそ笑んでいる。正直性格がねじ曲がっていると何度も思った。
城で働き出して、母や妹のような人間は沢山いるのだと知った。
どいつもこいつも、自分の事しか頭にない。
如何に他人より自分が優位に立てるか、如何に自分が優れているか、特別な存在かを競っている。
態度に出さずとも、自分以外の人間を小馬鹿にしているのが分かる。
女というのは恐ろしい生き物だ。
誰かを悪者にし、悪口や陰口を言って楽しんでいる。
その誰かは沢山だ。一人を長くターゲットにする事もあれば、翌日には違う誰かの悪口を言って笑っている。
私も同僚たちも当然彼女たちのターゲットになっていたし、不快でしかない言葉を幾度も聞かされた事がある。
そして現在は…侍女という立場であるにも関わらず、妃殿下が彼女たちのターゲットとなっていた。
「殿方は妃殿下の何処がいいのかしら。」
「確かに美しいけれど、…ねぇ。
言われているような性格ではないと思うの。皆さんはどう思われます?」
「わたくしも同じ意見よ。
それに、男好きなんでしょうね。
実際、お相手は陛下だけではないもの。」
「そうそう。陛下の他に三人の婚約者。
それも、全員かなりの権力者ですものね。…容姿は別として、死ぬまで生活には苦労しない方々。」
「妃殿下、殿方からの贈り物が絶えないのは知ってまして?
陛下と婚儀を上げてからお祝いと称して今日までも沢山届いているのですって。
管理をしている者から聞きましたの。」
「きっと世の中の殿方は全員自分を好きになると思っているに違いないわ。」
まるで女神のように美しい容姿、優しい人柄で多くの人間に慕われている妃殿下。
陛下を始め三人の権力者を婚約者に持つ妃殿下。
そして貴族や平民、老若男女問わず視線を集め、好意を持たれている妃殿下を彼女たちは良く思っていない。
妬み嫉みからきているのは明らかだった。
「実は…わたくし、妃殿下とすれ違った時にご挨拶をしたのだけど…無視されてしまいましたの。」
「まあ…。」
「わたくしは睨まれた事がありますわ。」
「そんな…お優しいと聞いていたのに。やはり根は噂されているものとは全く違うのですね。」
全くもって事実無根であり、誰が聞いているかも分からない場所であっても平気でこういう話をしているその神経が理解出来ない。
もしかしたら態とであるかも知れないが、この城では妃殿下を慕っている人間の方が多いので彼女たちの企みは一向に実を結んではいないと言える。
この城にいる者たちは特に、妃殿下が陛下にどれ程ご寵愛されているかを知っている筈なのだ。
なのに、彼女たちは自分たちの無礼な行いが陛下の耳に入っていないと思っているらしい。相当に御目出度い頭をしていると思う。
恐らくはこれまで特に誰かが罰せられたりしなかった為と思われるが…陛下は決してお優しい方ではない。
妃殿下ご自身の事は兎も角、妃殿下の周囲に関して…彼女たちの事を陛下にご報告するたび恐ろしい思いをしているのだ。私は。
激昂はされず、静かに怒る。けれどその瞳は背筋が凍えそうになる程冷たく、冷静に見えてその実、激しい怒りを胸の内に感じていらっしゃる。
…何れ、彼女たちは裁かれるのだろう。怒れる陛下の手によって。
けれど、同情はしない。実の所…私も腹が立っていたりする。
この二月の間お側で仕えさせて頂いて…主としては勿論のこと、妃殿下という一人の人間に対しても、尊敬の念を持った。それは純粋に、ごく自然に。妃殿下という方は尊敬するに値する方であった。
尊敬しているから、当然好意もある。
故に、私は彼女たちの愚かな行為を腹立たしく感じながら、その一方で妃殿下の優しい性格が不安でならない。
優しい方だから。思いやりに長けた、心の美しい方であるから…浅ましさや汚さ、醜さだとか、人間のそういったものからは程遠い存在に思えて。
妃殿下が決して弱くはない方だと理解はしている。
ただ、側で妃殿下を見ていると…どうしても、争い事には不向きな方だと思わずにいられないのだ。
言うなればそう、『綺麗』な存在であるから。
妃殿下の世界は信じられない程優しく美しい。
醜い私たちを蔑む事はしない。不当な扱いや理不尽だと思う扱いもしない。
一人の人間として、至極当たり前に、真っ当に接してくれるその世界に私は足を踏み入れている。
だからこそ分かる。その夢のような世界の、美しさ、尊さを。
そして、そんな優しい世界を現実に作り出している妃殿下だから、人間の汚い部分、その何もかもから遠ざけたいと…妃殿下を良く知り、大切に思っている者たちは強く思うのだろう。
私たちがそうであるように。
「…どうもねぇ……好いた男が妃殿下に惚れているみたいなのよぉ。一目惚れってやつみたいねぇ。
思ってるだけならまぁ、いいと思うわぁ。ねぇ、ヒルダ。」
「…まあ、惚れているとしても相手は陛下。奪うなどそれこそ無理な話です。陛下と妃殿下、お二人が相思相愛である事は周囲の事実ですから、男の方は現実さえ見る事が出来れば目が覚めるでしょう。問題は女の方。」
「それだよー!惚れた男が妃殿下を好きになったからってその矛先を妃殿下に向けないで欲しいよねー!妃殿下何もしてないじゃんー!というか関係ないじゃんさー!
なーんで妃殿下が悪く言われてるのか意味分かんないよー!」
「女は感情で動く生き物よ。
妃殿下に非は一つもありませんわ。けれど、頭も心も妬み嫉みでいっぱいな彼女たちに真っ当な判断なんて出来ませんわ。現に、国母という尊い立場である妃殿下に対して無礼を働いていますもの。」
「…なあ。一つ言っていいかな。」
「どしたのー?ミーシャ。」
「…妬み嫉みと言うが……彼女たちは自分たちの容姿を…妃殿下と同じ位置、とは言わないにしろ…その少し下、くらいにいると思っているんじゃないだろうな?」
『………。』
ミーシャの言葉に思わず沈黙が落ちる。
彼女たちの容姿は私たちのような存在から言うと普通に羨ましいと思う容姿だ。
そう、人から差別される事もない、普通の容姿だからだ。
だが社交界で専ら噂されているような美しい令嬢たちに比べると…良くも悪くも普通である。化粧やヘアアレンジ、ドレスや装飾品でいくらでも化ける事は出来るだろう。
ただ、最早次元が違う妃殿下とは……比べる事すら出来ない。
「……まさか、だよな…?」
「私たちみたいな存在からすればさー、普通の容姿な人たち全般を羨ましく思う…って事だよねー?
それを、…んと、一人に絞るような感じかなー?」
「エヴァン、少し違うと思うのぉ。
エヴァンはぁ、純粋に羨ましいって事よねぇ?」
「えー?うん。だってさー、普通の容姿だったらこんなに嫌な思いしなかっただろうしー?」
「彼女たちの妬み嫉みはぁ、純粋なものじゃなくてぇ。うーん、何て言ったらいいのかしらねぇ。」
「…要するに、自分が一番優れていないと気が済まない。自分の前に誰かがいるのが許せないのでしょう。」
私の妹がそうだった。
父と母、そして兄や使用人たちから可愛がられ愛されていた妹は常に私を見下していた。
私が妹より何か一つでも出来る事があれば、妹は私に牙を向いた。
意のままに周りを味方に付け、私を責めた。
可愛らしく泣きじゃくり、『お姉様が酷いの』と私を悪者にした。
妹と彼女たちは似ている。
きっと、幼い頃から可愛い可愛いと育てられてきたのだろう。
何をするにも褒められ、肯定され生きてきたのだろう。
恵まれた環境で、自分たちに優しく、甘い世界で生きてきたのだろう。
「…他の方たちに影響が出ないと良いが…。」
「大丈夫よぉ、ミーシャ。
彼女たちがいくら妃殿下の陰口を言った所でぇ、影響しない所は影響しないわぁ。」
「…そうだろうか…。」
「うふふ、そうよぉ。だって、妃殿下の事をちゃあんと知っている方たちはぁ、彼女たちの言葉なんて信じないものぉ。騎士様たちなんて特にそうじゃなぁい?」
「…あ、…確かに。」
「…この状況もあと少しでしょう。
陰口に窃盗。仕えるべき、敬うべき方に対しての無礼。彼女たちの行為は許されるものではありません。
彼女たちへの罰は陛下が。
…私たちのすべきことは…」
『妃殿下に心穏やかに過ごして頂くこと。』
「です。」
けれど、きっと似たような事はこれからも起こってしまう。
妃殿下の優しい人柄を知って、舐めた態度を、無礼を働く者たちがいるように。
あの美しい方を、優しい世界を作り出す綺麗な方を、守って差し上げたい。
それはあの美しい世界にいる唯一の人を、ずっと見ていたいから。
見ていると此方まで幸せな気持ちになれる。
人として当たり前の、真っ当な扱いがどれだけ嬉しい事か。
些細な心配りが、どれだけ嬉しい事か。
気遣われ、感謝され、肯定される事が、どれだけ…幸せな事か。
あの方の側に美しい世界があるから、その世界の一部になりたくて。
何の憂いもないように、争い事から遠ざけ、何も知らず、気付かず、心穏やかに毎日を過ごして欲しいとそう思うのは…妃殿下を大切に思う者たち全ての願いだろう。
美しい、綺麗な世界を作り出す妃殿下の、その温かな世界を知った者たちは妃殿下が傷付く事を、妃殿下の豊かな心が傷付く事を許しはしない。
私もその一部になりつつあった…その数日後の事。
「……。」
「…妃殿下、如何されましたか?」
「…怒るのは、疲れるのだけど…そうも言っていられないかな…。」
「妃殿下…?」
いつも通りの一日になると、そう思っていた。
陛下の寝室でお目覚めになられた妃殿下の身支度を整え、朝食ならぬ昼食を届け、食べ終えた妃殿下は自室に戻りご自身の政務へ取りかかる。
一時間程妃殿下の様子を扉付近で眺め、そろそろ一度目の休息になるだろうからと、飲み物の準備をする為にお側を離れ戻ってきてみれば…妃殿下の空気が変わっていた。
「ヒルダ。今日、上級侍女たちはいつも通りの仕事をしているのかしら。」
「え?あ、はい。本日は特にイレギュラーもなく各々が割り振られた仕事をしているはずですが…念の為、侍女長に確認致しましょうか?」
「ええ、お願い。…急用などがなければ…侍女長に空いている部屋に上級侍女全員を集めてもらえるよう、伝えてもらえる?」
「全員…で御座いますか?」
「ええ、全員。」
「畏まりました。」
にこりと笑う妃殿下に何故か背筋が冷やりとした。
城で働く侍女たち全体の割合で言えば、上級侍女たちの数は少ない。
それでも、一つの部屋に上級侍女全員を…となると、それなりに広い部屋が必要になる。
侍女長に妃殿下からの言付けを伝えると侍女長は“分かりました。”と目を伏せ、私を見る。
「…ヒルダ、此方は構いませんから貴女は陛下の元に行きご報告をなさい。上級侍女たちは陛下や皆様が会議を行う部屋に集めておきます。あの部屋であれば上級侍女全員が入っても余裕がありますし…本日は使用しないと聞いていますからね。」
「畏まりました。」
上級侍女たちの妃殿下への舐めた態度、無礼な態度は当然侍女長も知っていた事だろう。
けれど、これまで特に咎めなかったという事は…恐らく、侍女長は侍女長で陛下から何かしらの指示を出されていたのだと思う。
私たちが妃殿下に関する、あらゆる事の報告を陛下ご自身から指示されたように。
「…報告は以上で御座います。」
「そうか…サイカ自らが動くか。」
「……。」
どうして、陛下は楽しそうな顔をされているのだろうか。
妃殿下の事を何よりも大切にされているのは陛下であるのに。
人の争いは醜いものばかりだ。
女の争いなんて、面倒で醜い最たるもの。
自分たちの中で勝手な優劣や序列を決め、卑しい笑みを浮かべながら集団になって誰かを見下し、蔑み、陰口や意図して聞こえるように悪口を言い、言われた誰かが傷付くのを見て楽しんでいるあの醜い令嬢たちの中に…大切にされているはずの妃殿下を立たせる、だなんて。
そんな私の考えを読み取ったのか、陛下は『不満そうだな』と笑った。
「そなたは俺の最愛の妃をどう見る。
許す、正直に答えよ。」
「…私から見た妃殿下は…お優しく。気配りを忘れず。思い遣りに長けた方と。それから…真面目で誠実、責任感もあり努力家で勤勉。
尊敬に値する方と、そう思っております。」
「それだけではないだろう?」
「……。」
「妃の、優しく温かな世界に触れたそなたはこう思っただろう。
“綺麗な存在だ”と。
理想の世界を作り出しているサイカは美しく、汚れというものとは程遠い存在に見えているのではないか?」
「……、」
「当たりか。…そうよな。サイカのあの容姿も相まって、余計にそう見えるだろう。人の醜さ、浅ましさ、卑しさ、汚さ…そういったものから誰かが守ってやらねばと。」
「…はい。…ですが、私個人が…思うのです。
汚れて欲しくないと…、そう…思ってしまうのです。」
「気持ちは分かる。サイカを大切に思う者、皆が同じ気持ちだからな。
…だがな、サイカはこの程度では汚れぬし変わらんよ。」
「……?」
「もっと深く知れば分かる。まだ四半世紀程しか生きてはおらんが…なに、年を取るだけが経験ではない。サイカはこれまで生きてきた人生で様々な事を経験している。世間のせの字も知らぬ箱入りではなく、二十六年の短い人生の中でも、色んな人間を見てきた女だ。
案ずる事はない。」
「……。」
「俺の言葉は今日、証明される。
よく見ておくといい。…そなたらが仕える女主人を。今日、そなたらは妃の本質を知るだろう。」
頭を下げ陛下の元を去ろうとした瞬間、“まぁ…咎めなし、には決してせぬがな”とその言葉を聞いて…しっかりと罰は与えるのだなと察した。
侍女長から聞いていた部屋に行くと、既に今日出勤している上級侍女全員と侍女長補佐二人がきっちりとした列を作って揃っていた。
侍女長は恐らく妃殿下を呼びに行かれたのだろう。
暫くすると妃殿下の後ろに付き従う侍女長、そしてラスティ、エヴァン、カルラ、ミーシャも部屋に入り列に加わると…にこりと笑いながらも冷えた空気のまま、妃殿下が言葉を発した。
この二月の間で妃殿下について分かった事は、美しくて優しくて穏やかで、聡明で勤勉で責任感があって努力家であるという事。
与えられた仕事のその意味を考え、責任感を持って政務に取り込む姿は純粋に尊敬出来る。
が、しかし。優しい人柄である故に、妃殿下は争い事には向かない方であると思った。人間の醜い部分からは、遠く離れた場所にいる方なのだと。
この二月の間で妃殿下が私たち専属侍女や他の人たちに対し、怒りを露にしただとか、理不尽な事を言うだとか、機嫌で態度を変えたり容姿の事を差別したりなど一切無かった。
いつも穏やかで、変わらず小さな事にも感謝の言葉を伝えて、政務以外は笑顔を心掛けていらっしゃる。
表情が豊かなのもきっと、心が豊かであるからだ。
だからこそ、余計に争い事には向かないと感じる。
人間の醜い、卑しい、汚い部分、その矛先が妃殿下に向いてしまった時は誰かが守って差し上げないとと、そう強く思う。
具体的に言うとだ。
今現在廊下を歩いている妃殿下に向かって頭を下げている上級侍女たちの、身勝手な妬みや嫉みから、とか。
婚儀を挙げてからの一月、何事も無かったのは様子見をしていたからなのだろう。
婚約者であらせられた時から妃殿下はよく王宮へ来られていたが、私たち侍女とはそれ程接点はなかった。
優しい人柄であると噂は聞いていたものの、当時はそれが本当か嘘かなど分からない。
だから一月の間は妃殿下がどんな方なのか、彼女たちは伺っていたに違いない。
女というのは面倒な生き物だ。
男も面倒だけれど、女より単純でまだ扱いやすい生き物だと思う。
実家でもそうだった。
父よりも母の方が機嫌の変化が分かりづらかった。
兄よりも妹の方がずっとずる賢くて、私が怒られているのを見てこっそりとほくそ笑んでいる。正直性格がねじ曲がっていると何度も思った。
城で働き出して、母や妹のような人間は沢山いるのだと知った。
どいつもこいつも、自分の事しか頭にない。
如何に他人より自分が優位に立てるか、如何に自分が優れているか、特別な存在かを競っている。
態度に出さずとも、自分以外の人間を小馬鹿にしているのが分かる。
女というのは恐ろしい生き物だ。
誰かを悪者にし、悪口や陰口を言って楽しんでいる。
その誰かは沢山だ。一人を長くターゲットにする事もあれば、翌日には違う誰かの悪口を言って笑っている。
私も同僚たちも当然彼女たちのターゲットになっていたし、不快でしかない言葉を幾度も聞かされた事がある。
そして現在は…侍女という立場であるにも関わらず、妃殿下が彼女たちのターゲットとなっていた。
「殿方は妃殿下の何処がいいのかしら。」
「確かに美しいけれど、…ねぇ。
言われているような性格ではないと思うの。皆さんはどう思われます?」
「わたくしも同じ意見よ。
それに、男好きなんでしょうね。
実際、お相手は陛下だけではないもの。」
「そうそう。陛下の他に三人の婚約者。
それも、全員かなりの権力者ですものね。…容姿は別として、死ぬまで生活には苦労しない方々。」
「妃殿下、殿方からの贈り物が絶えないのは知ってまして?
陛下と婚儀を上げてからお祝いと称して今日までも沢山届いているのですって。
管理をしている者から聞きましたの。」
「きっと世の中の殿方は全員自分を好きになると思っているに違いないわ。」
まるで女神のように美しい容姿、優しい人柄で多くの人間に慕われている妃殿下。
陛下を始め三人の権力者を婚約者に持つ妃殿下。
そして貴族や平民、老若男女問わず視線を集め、好意を持たれている妃殿下を彼女たちは良く思っていない。
妬み嫉みからきているのは明らかだった。
「実は…わたくし、妃殿下とすれ違った時にご挨拶をしたのだけど…無視されてしまいましたの。」
「まあ…。」
「わたくしは睨まれた事がありますわ。」
「そんな…お優しいと聞いていたのに。やはり根は噂されているものとは全く違うのですね。」
全くもって事実無根であり、誰が聞いているかも分からない場所であっても平気でこういう話をしているその神経が理解出来ない。
もしかしたら態とであるかも知れないが、この城では妃殿下を慕っている人間の方が多いので彼女たちの企みは一向に実を結んではいないと言える。
この城にいる者たちは特に、妃殿下が陛下にどれ程ご寵愛されているかを知っている筈なのだ。
なのに、彼女たちは自分たちの無礼な行いが陛下の耳に入っていないと思っているらしい。相当に御目出度い頭をしていると思う。
恐らくはこれまで特に誰かが罰せられたりしなかった為と思われるが…陛下は決してお優しい方ではない。
妃殿下ご自身の事は兎も角、妃殿下の周囲に関して…彼女たちの事を陛下にご報告するたび恐ろしい思いをしているのだ。私は。
激昂はされず、静かに怒る。けれどその瞳は背筋が凍えそうになる程冷たく、冷静に見えてその実、激しい怒りを胸の内に感じていらっしゃる。
…何れ、彼女たちは裁かれるのだろう。怒れる陛下の手によって。
けれど、同情はしない。実の所…私も腹が立っていたりする。
この二月の間お側で仕えさせて頂いて…主としては勿論のこと、妃殿下という一人の人間に対しても、尊敬の念を持った。それは純粋に、ごく自然に。妃殿下という方は尊敬するに値する方であった。
尊敬しているから、当然好意もある。
故に、私は彼女たちの愚かな行為を腹立たしく感じながら、その一方で妃殿下の優しい性格が不安でならない。
優しい方だから。思いやりに長けた、心の美しい方であるから…浅ましさや汚さ、醜さだとか、人間のそういったものからは程遠い存在に思えて。
妃殿下が決して弱くはない方だと理解はしている。
ただ、側で妃殿下を見ていると…どうしても、争い事には不向きな方だと思わずにいられないのだ。
言うなればそう、『綺麗』な存在であるから。
妃殿下の世界は信じられない程優しく美しい。
醜い私たちを蔑む事はしない。不当な扱いや理不尽だと思う扱いもしない。
一人の人間として、至極当たり前に、真っ当に接してくれるその世界に私は足を踏み入れている。
だからこそ分かる。その夢のような世界の、美しさ、尊さを。
そして、そんな優しい世界を現実に作り出している妃殿下だから、人間の汚い部分、その何もかもから遠ざけたいと…妃殿下を良く知り、大切に思っている者たちは強く思うのだろう。
私たちがそうであるように。
「…どうもねぇ……好いた男が妃殿下に惚れているみたいなのよぉ。一目惚れってやつみたいねぇ。
思ってるだけならまぁ、いいと思うわぁ。ねぇ、ヒルダ。」
「…まあ、惚れているとしても相手は陛下。奪うなどそれこそ無理な話です。陛下と妃殿下、お二人が相思相愛である事は周囲の事実ですから、男の方は現実さえ見る事が出来れば目が覚めるでしょう。問題は女の方。」
「それだよー!惚れた男が妃殿下を好きになったからってその矛先を妃殿下に向けないで欲しいよねー!妃殿下何もしてないじゃんー!というか関係ないじゃんさー!
なーんで妃殿下が悪く言われてるのか意味分かんないよー!」
「女は感情で動く生き物よ。
妃殿下に非は一つもありませんわ。けれど、頭も心も妬み嫉みでいっぱいな彼女たちに真っ当な判断なんて出来ませんわ。現に、国母という尊い立場である妃殿下に対して無礼を働いていますもの。」
「…なあ。一つ言っていいかな。」
「どしたのー?ミーシャ。」
「…妬み嫉みと言うが……彼女たちは自分たちの容姿を…妃殿下と同じ位置、とは言わないにしろ…その少し下、くらいにいると思っているんじゃないだろうな?」
『………。』
ミーシャの言葉に思わず沈黙が落ちる。
彼女たちの容姿は私たちのような存在から言うと普通に羨ましいと思う容姿だ。
そう、人から差別される事もない、普通の容姿だからだ。
だが社交界で専ら噂されているような美しい令嬢たちに比べると…良くも悪くも普通である。化粧やヘアアレンジ、ドレスや装飾品でいくらでも化ける事は出来るだろう。
ただ、最早次元が違う妃殿下とは……比べる事すら出来ない。
「……まさか、だよな…?」
「私たちみたいな存在からすればさー、普通の容姿な人たち全般を羨ましく思う…って事だよねー?
それを、…んと、一人に絞るような感じかなー?」
「エヴァン、少し違うと思うのぉ。
エヴァンはぁ、純粋に羨ましいって事よねぇ?」
「えー?うん。だってさー、普通の容姿だったらこんなに嫌な思いしなかっただろうしー?」
「彼女たちの妬み嫉みはぁ、純粋なものじゃなくてぇ。うーん、何て言ったらいいのかしらねぇ。」
「…要するに、自分が一番優れていないと気が済まない。自分の前に誰かがいるのが許せないのでしょう。」
私の妹がそうだった。
父と母、そして兄や使用人たちから可愛がられ愛されていた妹は常に私を見下していた。
私が妹より何か一つでも出来る事があれば、妹は私に牙を向いた。
意のままに周りを味方に付け、私を責めた。
可愛らしく泣きじゃくり、『お姉様が酷いの』と私を悪者にした。
妹と彼女たちは似ている。
きっと、幼い頃から可愛い可愛いと育てられてきたのだろう。
何をするにも褒められ、肯定され生きてきたのだろう。
恵まれた環境で、自分たちに優しく、甘い世界で生きてきたのだろう。
「…他の方たちに影響が出ないと良いが…。」
「大丈夫よぉ、ミーシャ。
彼女たちがいくら妃殿下の陰口を言った所でぇ、影響しない所は影響しないわぁ。」
「…そうだろうか…。」
「うふふ、そうよぉ。だって、妃殿下の事をちゃあんと知っている方たちはぁ、彼女たちの言葉なんて信じないものぉ。騎士様たちなんて特にそうじゃなぁい?」
「…あ、…確かに。」
「…この状況もあと少しでしょう。
陰口に窃盗。仕えるべき、敬うべき方に対しての無礼。彼女たちの行為は許されるものではありません。
彼女たちへの罰は陛下が。
…私たちのすべきことは…」
『妃殿下に心穏やかに過ごして頂くこと。』
「です。」
けれど、きっと似たような事はこれからも起こってしまう。
妃殿下の優しい人柄を知って、舐めた態度を、無礼を働く者たちがいるように。
あの美しい方を、優しい世界を作り出す綺麗な方を、守って差し上げたい。
それはあの美しい世界にいる唯一の人を、ずっと見ていたいから。
見ていると此方まで幸せな気持ちになれる。
人として当たり前の、真っ当な扱いがどれだけ嬉しい事か。
些細な心配りが、どれだけ嬉しい事か。
気遣われ、感謝され、肯定される事が、どれだけ…幸せな事か。
あの方の側に美しい世界があるから、その世界の一部になりたくて。
何の憂いもないように、争い事から遠ざけ、何も知らず、気付かず、心穏やかに毎日を過ごして欲しいとそう思うのは…妃殿下を大切に思う者たち全ての願いだろう。
美しい、綺麗な世界を作り出す妃殿下の、その温かな世界を知った者たちは妃殿下が傷付く事を、妃殿下の豊かな心が傷付く事を許しはしない。
私もその一部になりつつあった…その数日後の事。
「……。」
「…妃殿下、如何されましたか?」
「…怒るのは、疲れるのだけど…そうも言っていられないかな…。」
「妃殿下…?」
いつも通りの一日になると、そう思っていた。
陛下の寝室でお目覚めになられた妃殿下の身支度を整え、朝食ならぬ昼食を届け、食べ終えた妃殿下は自室に戻りご自身の政務へ取りかかる。
一時間程妃殿下の様子を扉付近で眺め、そろそろ一度目の休息になるだろうからと、飲み物の準備をする為にお側を離れ戻ってきてみれば…妃殿下の空気が変わっていた。
「ヒルダ。今日、上級侍女たちはいつも通りの仕事をしているのかしら。」
「え?あ、はい。本日は特にイレギュラーもなく各々が割り振られた仕事をしているはずですが…念の為、侍女長に確認致しましょうか?」
「ええ、お願い。…急用などがなければ…侍女長に空いている部屋に上級侍女全員を集めてもらえるよう、伝えてもらえる?」
「全員…で御座いますか?」
「ええ、全員。」
「畏まりました。」
にこりと笑う妃殿下に何故か背筋が冷やりとした。
城で働く侍女たち全体の割合で言えば、上級侍女たちの数は少ない。
それでも、一つの部屋に上級侍女全員を…となると、それなりに広い部屋が必要になる。
侍女長に妃殿下からの言付けを伝えると侍女長は“分かりました。”と目を伏せ、私を見る。
「…ヒルダ、此方は構いませんから貴女は陛下の元に行きご報告をなさい。上級侍女たちは陛下や皆様が会議を行う部屋に集めておきます。あの部屋であれば上級侍女全員が入っても余裕がありますし…本日は使用しないと聞いていますからね。」
「畏まりました。」
上級侍女たちの妃殿下への舐めた態度、無礼な態度は当然侍女長も知っていた事だろう。
けれど、これまで特に咎めなかったという事は…恐らく、侍女長は侍女長で陛下から何かしらの指示を出されていたのだと思う。
私たちが妃殿下に関する、あらゆる事の報告を陛下ご自身から指示されたように。
「…報告は以上で御座います。」
「そうか…サイカ自らが動くか。」
「……。」
どうして、陛下は楽しそうな顔をされているのだろうか。
妃殿下の事を何よりも大切にされているのは陛下であるのに。
人の争いは醜いものばかりだ。
女の争いなんて、面倒で醜い最たるもの。
自分たちの中で勝手な優劣や序列を決め、卑しい笑みを浮かべながら集団になって誰かを見下し、蔑み、陰口や意図して聞こえるように悪口を言い、言われた誰かが傷付くのを見て楽しんでいるあの醜い令嬢たちの中に…大切にされているはずの妃殿下を立たせる、だなんて。
そんな私の考えを読み取ったのか、陛下は『不満そうだな』と笑った。
「そなたは俺の最愛の妃をどう見る。
許す、正直に答えよ。」
「…私から見た妃殿下は…お優しく。気配りを忘れず。思い遣りに長けた方と。それから…真面目で誠実、責任感もあり努力家で勤勉。
尊敬に値する方と、そう思っております。」
「それだけではないだろう?」
「……。」
「妃の、優しく温かな世界に触れたそなたはこう思っただろう。
“綺麗な存在だ”と。
理想の世界を作り出しているサイカは美しく、汚れというものとは程遠い存在に見えているのではないか?」
「……、」
「当たりか。…そうよな。サイカのあの容姿も相まって、余計にそう見えるだろう。人の醜さ、浅ましさ、卑しさ、汚さ…そういったものから誰かが守ってやらねばと。」
「…はい。…ですが、私個人が…思うのです。
汚れて欲しくないと…、そう…思ってしまうのです。」
「気持ちは分かる。サイカを大切に思う者、皆が同じ気持ちだからな。
…だがな、サイカはこの程度では汚れぬし変わらんよ。」
「……?」
「もっと深く知れば分かる。まだ四半世紀程しか生きてはおらんが…なに、年を取るだけが経験ではない。サイカはこれまで生きてきた人生で様々な事を経験している。世間のせの字も知らぬ箱入りではなく、二十六年の短い人生の中でも、色んな人間を見てきた女だ。
案ずる事はない。」
「……。」
「俺の言葉は今日、証明される。
よく見ておくといい。…そなたらが仕える女主人を。今日、そなたらは妃の本質を知るだろう。」
頭を下げ陛下の元を去ろうとした瞬間、“まぁ…咎めなし、には決してせぬがな”とその言葉を聞いて…しっかりと罰は与えるのだなと察した。
侍女長から聞いていた部屋に行くと、既に今日出勤している上級侍女全員と侍女長補佐二人がきっちりとした列を作って揃っていた。
侍女長は恐らく妃殿下を呼びに行かれたのだろう。
暫くすると妃殿下の後ろに付き従う侍女長、そしてラスティ、エヴァン、カルラ、ミーシャも部屋に入り列に加わると…にこりと笑いながらも冷えた空気のまま、妃殿下が言葉を発した。
35
お気に入りに追加
5,323
あなたにおすすめの小説

女性の少ない異世界に生まれ変わったら
Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。
目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!?
なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!!
ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!!
そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!?
これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?
青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。
そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。
そんなユヅキの逆ハーレムのお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


ヤンデレ義父に執着されている娘の話
アオ
恋愛
美少女に転生した主人公が義父に執着、溺愛されつつ執着させていることに気が付かない話。
色々拗らせてます。
前世の2人という話はメリバ。
バッドエンド苦手な方は閲覧注意です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる