闇の残火―近江に潜む闇―

渋川宙

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第41話 正しい選択は?

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 だから毬は、ずっと焔は信じることが出来たのだ。焔はメリットとデメリットを知った上でここで生活している。そんな生活を守ろうと、毬は自らが次の総代になることを決めた。二人の間で明確な会話はなかったかもしれない。しかし、二人の間にはしっかりとした信頼関係があったのだ。
 それを、思春期になって不安定な繭は知るよしもない。焔は自分が経験しているだけに、同情的になったのは当然だろう。そこを、幻惑の術を駆使できる繭につけ込まれた。
 そして、抗いながらも繭に従うしかなかった。繭に同情すればするほど術にどっぷりと掛かってしまい、自らも抜けられなくなってしまう。最悪の悪循環がそこにあったのだろう。そしてついに、繭が文人を引き入れて事件が始まってしまった。
 文人が史跡巡りをしていたのはたまたまだけれども、なんせ滋賀県だ。丁度いい人材なんて他にも見つけられるだろう。歴史を、それも表面だけではなく深く知る者は、今の時代ならばそれなりにいる。どれだけ若者の読書離れが叫ばれていても、知ろうとする人間、本を読み続ける人間は何時の時代も絶えないのだから。
「あっ」
 毬が石に足を取られてよろめいたところを、繭の鎖鎌が通過した。一瞬ひやっとしたが、毬はよろめいた不自然な体勢からもちゃんと横に飛び、いつの間にか木の上にいる。
「本当にお姉ちゃんは生粋の忍者よね」
「そうでもないわ。多聞と一緒に鍛錬しているだけよ」
「そうやって、自分が恵まれていることを自慢しないで!」
 繭が毬のいる木を攻撃する。何とも切れのいい鎖鎌だ。遠心力を利用したその武器は、見事に木をなぎ倒してしまう。どおんと重い音が、山中に響き渡った。これは、比叡山でも天狗の仕業になるんだろうか。そんな場違いなことを文人は思ってしまうのは、悲しい歴史好き脳みその性だ。
「ちっ」
 一方、毬は素早く地面に降りると、勢いよくくないを繭に向けて投げる。繭はそれをスカートをはためかせながら避けた。いやはや、姉妹そろって天晴れな身のこなしだ。
「あなただって一人前の忍びじゃない。なのに何が不満なの?」
 毬は立ち上がると理解できないと訊く。これは、永遠に平行線だなと文人は思った。しかし、部外者である文人には止める手段がない。というより、割って入っても止められない。
「不満よ。全部が不満なの。どうしてお姉ちゃんには解らないの。お兄ちゃんは解ってくれた。この村はおかしいのよ。歴史なんてどうでもいいでしょ!!」
 そう繭が叫んだ時、ビックリすることが起こった。
「えっ」
「――」
 繭も理解できないのか呆然としている。毬は、武器で攻撃することなく、繭の頬を思い切り張り飛ばしていた。
「どうでもいいわけないでしょ。どんな人でも、たとえ普通の高校生や中学生だとしても、歴史の上に立っているのよ。解ってないのはあなただけよ」
「っつ」
 静かならがも重い言葉だ。繭は頬を押えながら毬を見つめる。
「どんなに無関係だと嘯いてみても、近隣諸国は戦争のことを持ち出す。未だに解決しない問題として残っている。これは解りやすい例だけど、日本の国内にもそんな問題は山のようにあるのよ。同じ日本人同士でも、どうしても踏み込んじゃいけない部分があったりするの。私たちは、たまたまそれが見えやすいポジションにいるだけなの!」
 毬はしっかりと繭を見つめて言葉を紡ぐ。理解できるはずだと信じている。
「それに、日向を見ていればよく解るじゃない。人は、ちょっとの違いで排除するの。鬼として、別の世界のものとしてしまうの。それはどんな時代になろうと変わらない。これが、連綿に続く歴史なのよ」
 唇を噛んで告げる毬は、本当はこういうことをどうにかしたいと、最も考えている。日向のことを最も心配し、この村でのことは変えられるからと、自らが当主になるために頑張っているのだ。
「日向にすれば、この村に着いたのは幸運だったんだよ」
 ようやく出て行っても大丈夫そうだと、文人は毬の傍に行くと肩を叩いた。毅然としているが、今にも泣きそうなのがよく解る。毬は、あまりに多くのことを一人で抱え込みすぎだ。
 そして、それが繭には鼻持ちならないものに見えたのだろう。何でもこなせて、みんなから慕われて。目立ってもそれを受け流せて。でも、それは突っ張っているだけなのだ。ともすれば折れそうになるのを、多聞や日向、そして焔がそれとなく助けていた。しかし、矢面に立つというのは楽じゃない。
「毬は日向がこの先、自分の道を歩くって決めても送り出せるんだろ?日向はもう、鬼という役割を背負う必要はない」
 文人がそう訊ねると、毬は頷いた。そして、次に二人は繭を見る。
「繭だって同じだ。別の道に進みたいというのならば、毬ならば送り出してくれる。それが、総てを背負うって決めたってことなんだよ。この村は毬が守ってくれる。君は、無理に毬にならなくていいんだ」
「っつ」
 文人の指摘は、最も繭の心を揺さぶることに成功したようだ。ぽろぽろと、大粒の涙が零れる。
「繭。あなたは忍びとして完璧でなくていいの。だから、あなたのやりたいことを教えて」
 毬も言うべきことが解ったのだろう。泣く繭を抱き締めると、そう呟いた。
「私、どうしたら」
 許されて、後悔が押し寄せる。繭はとうとう大声を上げて泣き始めた。これでようやく終わったのか。文人は膝から力が抜けた。思えば、山の斜面を登って体力的にも限界だった。
「まったく、あなたってカッコイイのが一瞬よね」
 毬にそうからかわれても、言い返す元気はもう残っていなかった。




「毬、繭」
「あっ」
 じたばたと暴れていた焔が動きを止めた。そして二人の名前を呼んだので、多聞はようやく術が解けたのかとほっとした。
 結局あの後、大暴れの末に焔を家の隅の物置まで追い詰め、何とか取り押さえることに成功した。しかし、多聞も日向もぼろぼろだ。当然、押えられる焔も傷だらけである。
「俺は」
「兄さん。戻ったのか?」
「大丈夫ですか?」
 呆然とする焔に、多聞と日向は顔を覗き込んで訊いた。すると、焔はようやく正気を保った目で二人を捉える。
「ああ」
 そして、小さく嘆息を漏らした。どうやら何があったのか、総てを理解したらしい。
「俺が、二人を殺したんだ」
「それは」
「違いますよ。手伝ったのは事実でしょうが、繭さんが幻術で逃げられないようにして、ですよね。毬さんが、江崎さんの家でツボを刺激する針を見つけています。あなたには使えない術のはずです」
「――そう、だな。でも、あの子に罪を背負わせるわけにはいかないんだ」
 日向の指摘に、焔は毅然とそう答えた。そして、満身創痍だというのに立ち上がる。
「おいっ」
「犯人は俺だけだ。そして、総てを終わらせなければいけない」
 よろよろと、焔は二人を押しのけて物置を出て行こうとする。
「死ぬおつもりですか?」
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