闇の残火―近江に潜む闇―

渋川宙

文字の大きさ
上 下
42 / 42

最終話 変わるために必要なこと

しおりを挟む
「忍びとして、見逃してくれ」
 日向の言葉に対する答えは、それだけだった。だから、二人はどうしても止める事が出来なかった。
 死ぬことは絶対に正解じゃない。罪を償う。それでいいはずだ。しかし、秘密を守るために死を選ぶのは、忍びとして正しい道でもある。
「焔さんは、この村と、繭さんを守りたいんですね」
「――間違ってるけどな」
 日向と多聞は、その場にへたり込んでしまった。こんな結末、どうしろって言うんだよ。そんな気分だ。しかし、日向はすぐに立ち上がる。
「ど、どうした?」
「行きましょう。多聞君も間違っていると思うのならば、止めなければいけません。それに、この結末は毬さんを悲しませるものでしかない。忍びとしてと仰るのならば、忍びならではの方法を使いましょう」
「っていうと」
「この家が静かなのはどうしてだったか、思い出せませんか?」
「――なるほど。身代わりか」
「ええ」
 二人はそう決心すると、猛ダッシュで焔を追い掛けたのだった。





 一週間後――
「まさか早乙女の総代が犯人だったなんて」
「酒に酔った末にだったらしいわ。まあ、女癖の悪さは、なんとなく気づいていましたけどね」
「でも、お子さん三人だけになっちゃって」
 滋賀県大津市の駅前にある斎場にて。村の人たちは口々にそんなことを言っていた。さすがに巌が死んでしまっては村で葬儀をすることは出来ず、急遽市内で行うことになったのだ。
 あの後、焔を追い掛けた日向と多聞の説得によって、焔は思い直してくれた。そして、すでに殺してしまっていた巌を犯人と仕立てることにしたのだ。雪は、総てを見抜いて自害していた。杉岡は大怪我で入院中だ。
 結果として、早乙女家は三人の兄妹だけになってしまった。それも、二人は罪人だ。毬はそれでも、総てを背負うと覚悟し、村のみんなに頭を下げて総てを告白した。忍びとして、この程度の罪は背負って当然。そう毅然と言い放ったのだ。こうして、事件は収束することとなったのだ。
 もちろん、鴨田は巌が犯人だと信じるしかないだろう。ぼろぼろだった死体には暴行の跡なんてなかったのに、いつの間にかあったことになっているカルテを丸っと信じるしかないわけで、やっぱり巌かと嘯くのみだ。
「ずっと葬式ばっかりでごめんね。今度はちゃんともてなすから」
 大津まで戻った文人も葬儀に参列していたが、そんな文人に向け、焔が頭を下げた。この人は何か憑き物が落ちたように丸くなっていた。
「いえ。これもいい経験かなって。普通の大学生だったら経験できない出来事の連続でしたから」
 ははっと笑い、文人は予定とはずいぶん違ったけど充実した夏休みだったと思っている。それに、歴史を見るというのは達成されたことだし。
「そうか?しかしその」
「ああ。日向のことですね。任せてください。無事に大学に合格したら、シェアハウスするってだけです」
 色々と言いたそうな焔に、大丈夫だってと苦笑してしまう。こうやって豪華な精進落としもごちそうになっているしと、目の前の、村とは違う豪勢な食事を前に涎も出る。
「半年後、よろしくお願いします」
 そこに日向がやって来て、東京の大学に一発合格しますからと胸を張ってみせる。こちらは雰囲気こそ変わっていないが、やはり前向きになったのを感じた。もう村の鬼としての役割を背負わなくていい。それだけでも大きいのだろう。
「こいつなら大丈夫だぜ。なにを隠そう学年一位。今までどうして進学しないんだってやきもきしていた先生たちも、日向の進学発言に燃えてるしな」
 後ろから現れた多聞が、俺の方が心配になってくるよと苦笑する。
「多聞は京都の大学だっけ?」
「そう。第一志望はR大学なんだけどね。どうなるやら。俺の方が浪人しそうで怖いよ」
「ははっ」
 今までにないくらい高校生らしい会話だなと、文人は思わず笑ってしまう。
「多聞もそう言いつつ頭はいいのよ」
 そこに近所の人への挨拶が済んだ毬と繭がやって来た。繭もどこか子どもらしくなって、可愛い感じになっている。繭の夢は実は漫画家だということを、この間初めて知ることになった。なるほど、忍者とは百八十度違う職業が夢だったのかと驚きつつも納得だった。ついでに幻術が得意なのも、そういうイメージ力が高いかららしい。
 一方の毬はより逞しくなった感じだ。葬儀の時も制服ではなく着物を纏い、すっと背筋を伸ばし、すでに村の総代の風格十分になっている。
「毬は?大学は」
「K大志望」
「――頑張れ」
 関西の頂点に君臨する大学を狙っていると知り、文人は応援の言葉を口にするしかなかった。いやはや、凄いメンツだ、本当に。
「文人も、あんな事件にめげずに頑張るのよ。まあ、歴史学者は諦めるのね。民俗学に絞りなさい」
「ははっ。そうだな。今回の刺激が大きすぎるからな」
「それと」
 そこで毬がじっと文人を見つめてくる。相変わらず美人だなと、文人は見つめ返して顔が赤くなるのを自覚した。
「村にも遊びに来なさいよ。あんたはもう、村の秘密の総てを知ってる。逃げようなんて思わないでね。日向だってお目付役なんだから」
 が、ちっともときめかないお言葉を頂戴することになった。まあ、そうだよねえと周囲を見ると、ついに告白かと見守っていたみんなが苦笑している。
「あと」
「はい」
「覚悟があるなら、婿に来ていいから」
「――」
 しかし、相変わらずのあけすけなままに、そんな事を言う。文人は卒倒しそうになって、思わず焔を確認してしまった。けれども焔はうんうんと頷いて、とても嬉しそうだった。おい、止めろよシスコン。
「村の秘密も知っちまったしな。ここは俺らの一員になるしかないよな。よ、総代の婿殿」
 多聞がすかさずそう茶化してくる。日向はと言うと苦笑するだけで止める気配なしだ。どうやら婿入りは村人たちにとって確定事項になっているらしい。困ったものだ。そりゃあ民俗学に絞るしかない。忍びの嫁がいるのに正当な歴史を追い掛けるなんて、本末転倒もいいところだ。
「みんないるんだから、いいでしょ。日向も、東京の大学に進学しても、いつでも帰ってきてね。その時は、村の正式な一員として」
 もうあなたは鬼じゃない。神子じゃない。でも、違った事実は残り続けるし、身体は違うままだ。しかしそれでも、忍びの正式な一員として認められた。それが、日向にとっては大きい。
「解っています。俺が帰るべきはあの村ですから」
「家はうちに変更だけどね。あの家はやっぱり差別の象徴だもの。うちは無駄に大きいし、人数も減ってさらに部屋が余っているから、日向も住んで貰うの」
「それはいいな」
 急に決定したのか、珍しく日向がぽかんとしているので、文人はすかさず日向の肩をバシバシ叩く。女装している時は不覚にもヤバいと思ったが、やっぱり肩はがっちりしていて男だなと思う。
「葬儀が終わったら引っ越しね。これで受験勉強もしやすいし」
「そうだな。みんなに言っておこう」
 毬の決定を、焔が伝えに行く。焔はあの事件以降、頑張ってみんなと関わるようにしていた。とはいえ、相変わらず仕事は家の中だが、それでも、もう関わらずに済ませようとすることはない。そんな変化を村人たちも歓迎しているようで、無理しないようさりげなくサポートしている。
「ちょっとずつ、変化していくんだな」
「そうね。歴史だって、ちょっとずつ変っていくもの」
 文人と毬は笑い合い、固い握手を交わしていた。




 こうしてドタバタとした夏休みは終了し、コインロッカーを延滞しまくって回収されていた自転車も何とか鴨田に助けてもらって受け取り、文人は東京へと帰ることになった。ちなみに帰りの新幹線代は詫びだと焔が自腹で出してくれた。おかげで指定席で悠々と東京に戻れることになった。
「でも、すぐに戻ってくるんだろうな」
 受験で上京する日向を迎えに来ることになるし、毬たちのことも心配だから、冬休みにはもう一度。遠ざかっていく滋賀県の景色を見つめながら、文人は思わず笑ってしまう。
 それまでは、特殊な、それでいて日本の闇の部分を支えた人たちとは、しばらくはお別れだ。
 すぐに、また忙しい大学生活が、日常が戻ってくる。そうなると、この夏休みなんて嘘みたいに思えるんだろうな。しばらくは忍びなんて関係ない、普通の生活だ。文人は新幹線に揺られながら、ゆっくりと思い出に浸っていたのだった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【毎日20時更新】アンメリー・オデッセイ

ユーレカ書房
ミステリー
からくり職人のドルトン氏が、何者かに殺害された。ドルトン氏の弟子のエドワードは、親方が生前大切にしていた本棚からとある本を見つける。表紙を宝石で飾り立てて中は手書きという、なにやらいわくありげなその本には、著名な作家アンソニー・ティリパットがドルトン氏とエドワードの父に宛てた中書きが記されていた。 【時と歯車の誠実な友、ウィリアム・ドルトンとアルフレッド・コーディに。 A・T】 なぜこんな本が店に置いてあったのか? 不思議に思うエドワードだったが、彼はすでにおかしな本とふたつの時計台を巡る危険な陰謀と冒険に巻き込まれていた……。 【登場人物】 エドワード・コーディ・・・・からくり職人見習い。十五歳。両親はすでに亡く、親方のドルトン氏とともに暮らしていた。ドルトン氏の死と不思議な本との関わりを探るうちに、とある陰謀の渦中に巻き込まれて町を出ることに。 ドルトン氏・・・・・・・・・エドワードの親方。優れた職人だったが、職人組合の会合に出かけた帰りに何者かによって射殺されてしまう。 マードック船長・・・・・・・商船〈アンメリー号〉の船長。町から逃げ出したエドワードを船にかくまい、船員として雇う。 アーシア・リンドローブ・・・マードック船長の親戚の少女。古書店を開くという夢を持っており、謎の本を持て余していたエドワードを助ける。 アンソニー・ティリパット・・著名な作家。エドワードが見つけた『セオとブラン・ダムのおはなし』の作者。実は、地方領主を務めてきたレイクフィールド家の元当主。故人。 クレイハー氏・・・・・・・・ティリパット氏の甥。とある目的のため、『セオとブラン・ダムのおはなし』を探している。

復讐の旋律

北川 悠
ミステリー
 昨年、特別賞を頂きました【嗜食】は現在、非公開とさせていただいておりますが、改稿を加え、近いうち再搭載させていただきますので、よろしくお願いします。  復讐の旋律 あらすじ    田代香苗の目の前で、彼女の元恋人で無職のチンピラ、入谷健吾が無残に殺されるという事件が起きる。犯人からの通報によって田代は保護され、警察病院に入院した。  県警本部の北川警部が率いるチームが、その事件を担当するが、圧力がかかって捜査本部は解散。そんな時、川島という医師が、田代香苗の元同級生である三枝京子を連れて、面会にやってくる。  事件に進展がないまま、時が過ぎていくが、ある暴力団組長からホワイト興産という、謎の団体の噂を聞く。犯人は誰なのか? ホワイト興産とははたして何者なのか?  まあ、なんというか古典的な復讐ミステリーです…… よかったら読んでみてください。  

雨の向こう側

サツキユキオ
ミステリー
山奥の保養所で行われるヨガの断食教室に参加した亀山佑月(かめやまゆづき)。他の参加者6人と共に独自ルールに支配された中での共同生活が始まるが────。

四次元残響の檻(おり)

葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。

ピエロの嘲笑が消えない

葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の叔母が入院している精神科診療所「クロウ・ハウス」で、不可解な現象が続いているというのだ。患者たちは一様に「ピエロを見た」と怯え、精神を病んでいく。葉羽は、彩由美と共に診療所を訪れ、調査を開始する。だが、そこは常識では計り知れない恐怖が支配する場所だった。患者たちの証言、院長の怪しい行動、そして診療所に隠された秘密。葉羽は持ち前の推理力で謎に挑むが、見えない敵は彼の想像を遥かに超える狡猾さで迫ってくる。ピエロの正体は何なのか? 診療所で何が行われているのか? そして、葉羽は愛する彩由美を守り抜き、この悪夢を終わらせることができるのか? 深層心理に潜む恐怖を暴き出す、戦慄の本格推理ホラー。

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
ミステリー
オカルトに魅了された主人公、しんいち君は、ある日、霊感を持つ少女「幽子」と出会う。彼女は不思議な力を持ち、様々な霊的な現象を感じ取ることができる。しんいち君は、幽子から依頼を受け、彼女の力を借りて数々のミステリアスな事件に挑むことになる。 彼らは、失われた魂の行方を追い、過去の悲劇に隠された真実を解き明かす旅に出る。幽子の霊感としんいち君の好奇心が交錯する中、彼らは次第に深い絆を築いていく。しかし、彼らの前には、恐ろしい霊や謎めいた存在が立ちはだかり、真実を知ることがどれほど危険であるかを思い知らされる。 果たして、しんいち君と幽子は、数々の試練を乗り越え、真実に辿り着くことができるのか?彼らの冒険は、オカルトの世界の奥深さと人間の心の闇を描き出す、ミステリアスな物語である。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...