闇の残火―近江に潜む闇―

渋川宙

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第40話 姉妹の熾烈なケンカ

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「あんたなんか大嫌いよ!」
 そこに繭の絶叫が聞こえてきて、いよいよ拙いと必死に文人は登る。取り敢えず、繭は本当に墓の前にいたようだ。
「だからって、何もかも捨てていいわけ?」
 それに続く毬の声。一応、説得しようとしているらしい。が、火に油を注ぐ言い方だ。
「いいわよ!お姉ちゃんが不幸になればいいんだから!!」
 ほら、見事にとんでもない発言を引き出している。文人はやれやれと思いつつ、必死に残りをよじ登る。早く行かないと姉妹で殺し合いを始めかねない雰囲気だ。
「不幸に?どうして?」
「どうしてって。私ばっかりとばっちりを受けるからよ」
「それは父さんのことを言ってるの?それとも兄さん?」
「どっちもよ。私なんてどうでもいいみたいな。お前なんてハニートラップくらいしか出来ないんだろうみたいな」
「それは違うわよ。少なくとも兄さんは」
「どうだか」
 よじ登っている間も完全な水掛け論が続いているので、文人は気が気ではない。というか毬。もう少し冷静に話し合ってくれ。普段は非常に冷静だというのに、どうして家族に対してはああなのか。彼女も彼女なりに家族に対して不満を溜め込んでいるということか。
「それよりあなた、かなりの幻惑の術が使えるみたいだけど、本当に父さんと寝たの?ひょっとして惑わせただけじゃないの?」
 しかも、しかも直球の質問を全力でぶん投げている。怖い。怖すぎる。何だか必死に登るのも、自然と遅くなってしまう。
「あら。それにも気づいてたんだ」
「ええ。日向から、父さんは臆病者だという情報を得ていたからね。ひょっとしたら、寝ていないんじゃないか。いや、寝たと思い込まされているんじゃないかって思ったのよ。焔兄さんのどっぷり術に掛かっている感じからしても、父さんを幻惑させるのは簡単だった」
「ちっ。あの鬼め」
 毬の指摘に繭は舌打ち。え、そうなのか。ちょっと安心。あれ。でも、その場合は巌は完全に欺されていたってことか。どっちにしろ、あの姉妹二人の能力が男たちを上回っているというわけか。
「で、どうして操っているのに、こんなことをしたの?」
「だから言ってるでしょ。お姉ちゃんに不幸になってもらいたかったって」
 犯行動機に関して、それしかなかったのか。何とも未熟な子どもらしいと、文人はようやく最後の垂直登りに入りつつ思う。この、もう腕の力が限界ってところで垂直は止めてほしい。しかし、気力を振り絞ってよじ登る。
「たったそれだけ?」
「ええ。それだけよ。だから大事な友人たちを奪ってあげようと思ったの。さすがにあの鬼には手出し出来ないから、二人を狙うことにしたのよ。麻央さんは予想外だったわ。兄さんに掛けた術に気づいちゃうんだもの」
 そこで繭がにやっと笑うのが見えた。そうか、駒形家は幻術を得意としている。ならば、術に掛けられている人を見抜くのも得意だというわけか。
「そう。たったそれだけ」
 一方、毬は自分が予測していたような、この村を滅ぼすのが目的だというのと違って落胆しているようだった。いや、現実問題は滅ぼすことに直結することになる事件だが、それにしても、自分個人に向いていたのは、よほど意外だったらしい。
「兄さんは、可哀想だから私とちゃんと関係を結んで貰ったわ。だって、すでに人間不信に陥っていて、その心は壊れかけていたんだもの。そして、その心を総て破壊するんですもの。童貞のままじゃあ可哀想でしょ」
「あら?その点に関しては、実際のところは解らないじゃない?あの人だって一応は忍びとしての仕事をこなしているんだから。陽忍として、どっかで経験しているかもしれないわよ」
「ふん。そんな度胸、あるわけないでしょ」
「――」
 しかし、しんみり空気をぶち壊す会話が続いてくれる。おい、止めろ。同じ男として、凄く切なくなる言い合いだぞ。しかも、童貞だったとしても妹とは駄目だろ。犯罪だよ。思いとどまれよ焔。
「まあ、実際は私の身体に溺れたんだから、結果は同じよね」
 勝ったとばかりに笑う繭に向け、何も解ってないわねと毬は首を振る。
「違うわよ。あなたに同情しただけよ。だから術が掛りやすかっただけ」
「そんなことない!」
「そんなことあるわよ。焔兄さんは、私を大事に思っていたのだとすれば、あなたのことも大事に思っていたはずよ。あなたの勘違いを正そうとしただけだわ。それを、あなたは術を駆使するためにおかしくしただけよ」
「そんなわけあるかっ!」
 繭がムキになって毬に怒鳴る。なるほど、毬は焔のことは信用していたのか。色々とぼろっかすに言ってたけど。
「あなたは何も見てないのよ。それなのに、勝手に嫉妬しているだけだわ。ちゃんと術を使えるというのに、それを正しく使えていないだけ。忍びが衰退の道を辿っているとはいえ、仕事はゼロじゃない。幻惑の術ならば、色々と使いようがある。それが得意であるというのは、暗殺依頼が減る中で重要な仕事を担えることなるはずだもの。だから父さんは、あなたには積極的に幻惑の術を教えたんだわ。まあ、襲おうとしたのは自業自得よね。馬鹿なのよ。その点は返り討ちに遭っても仕方ないと思うわ。そういう感覚は昔のままの人だから」
「で、でも」
「私に手出ししなかったのは、もし当主とするならば乙女でなければ困ると、そういう昔ながらの判断に基づいているだけよ。他から婿を貰う場合でも、やっぱり乙女でなければ後々困ると、そう思っているだけなの。いい。役割を押しつけられているのは、何もあなただけじゃない。私は――もし好きな人が出来ても、両親がいる限りは勝手に結婚することは許されないのよ」
「――」
 そういう事情もあったのかと、文人は目から鱗が落ちる気分だった。そういえば、ハニートラップをしない場合に関して、毬ははっきり答えていなかった。それは自分に関わることだからか。
「でも、私はお姉ちゃんが嫌い。そしてこんな変な決まりばっかりの村も大嫌い。だから、消えればいいのよ」
 ややトーンダウンしたものの、繭はぎっと毬を睨み続ける。それは村の存続を何より望む毬を許さないことで保っている、繭なりの矜持のようなものだ。
「そう。でも、あなたが兄さんを唆した事実は消えないわ。きっちり罪を償って貰う。さっさと術を放棄しなさい」
 毬はざっと両手にくないを構えて繭を睨む。一方の繭も、しっかり鎖鎌を握っていた。繭はあの時と同じく中学の制服姿だが、鎖鎌を構える姿は様になっていた。と、見惚れている場合ではない。マジか、ここでバトルする気かと文人は驚く。
「お、おいっ」
「危なくないところに隠れていて」
「で、でも」
 バトルなんてしていいのかと、そう思っていたら足元に手裏剣が飛んできた。
「丁度いいわ。総てを知る禍も消して上げる」
「ぎゃああ」
 繭が妖艶に笑ってこっちに手裏剣を投げてくる。文人は全力で逃げるしかなかった。当たらなかったのは、毬が払ってくれたおかげだ。
「そうやって誰かに責任を押しつけたって、現実は変わらないのよ」
「変えれるわ」
「いいえ。あなたはずっと、自分の幻術の中で生きていくだけ。周囲はただのお人形しかいなくなるわね。それでも、兄さんのように都合のいい人形なんて出来ないわよ」
「っつ」
 繭の攻撃が、そこで完全に毬にシフトした。文人は怖ええと思いつつも、木の陰から必死に二人を見守る。
 それにしても、焔は繭が自分と似たような存在だと気づいて同情したということか。今までの会話の流れからして、そういうことなのだろう。
 目立つがゆえに人を信じられず、内向的な性格。焔はそれでも自分で出来ることを見つけ、この秘密の村ならば隠れて生活できると解っていて、この村を離れずに生きていたのだ。たまに、嫌々ながら忍びの仕事を手伝うことになっても、それを上回るだけの恩恵があることを、焔は知っていた。
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