大正政略恋物語

遠野まさみ

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幸福の燕

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「で、でも、森内さまも、その娘とダンスをしたあとにカフスを失くしたとおっしゃっていたではありませんか!」

「カフスを? 僕が? 失くしたと?」

 思い当たらない、と言ったように、森内が燕尾の袖口からシャツのカフスを見せる。確かに真珠のカフスが着けられており、失くしてはいないようだった。

「……っ!? で、でも、あなた……!」

 当惑する琴子に森内は微笑んだ。

「僕が楓さまと踊った後にカフスを弄っていたのを、見間違えたのでしょうか。兎も角、カフスは無事ですし、ご心配には及びません」

 森内の弁に、何故か琴子は悔しそうな顔をする。そして何も言わずに会場を後にしてしまった。……何が起こったのだろう。ぽかんとしていると、森内が寄って来て、良かったですね、と語り掛けてくれた。

「い、いえ……、森内さまにはお世話を掛けてしまい、申し訳ございませんでした。私も、私のバッグから三浦さまのブローチが出てきた時には、頭が真っ白になってしまって……」

 戸惑いながら言うと、森内も、突然のことだと仕方ないですよね、と苦笑してくれた。

「ともあれ、無事、楓さまの疑惑が晴れて良かったです。僕も頼りになるでしょう?」

 ぱちんと片目をつむるところも似合っている、健斗はこういうことをしない。ホッとしながら、頷いた。

「本当にありがとうございました。このご恩は必ず」

「いえいえ、お気になさらないでください」

 そう言って楓のもとを去っていく。入れ替わりに健斗が歩み寄ったが、そのすれ違いざま、森内は健斗に囁いた。

「あなたは偶然の幸運で楓さまを手に入れたようですが、この前も、そして今日も、楓さまを守ったのは僕だ」

「……っ」

 やけに挑戦的な目つきで健斗を見る。そのまま行ってしまった森内の後姿を悔しそうに見つめながら、健斗は振り切るように楓に寄り添った。

「すまない、助けてやれなくて」

 健斗の顔には無念の念が溢れている。楓は今のことを気にして欲しくなくて、殊更明るく振舞った。

「いえ。こんなことが起こるなんて、思っても居ませんでしたし、ああいう女性への問いかけは森内さまが慣れていらっしゃるようでしたから、良かったです」

「……そうだな……。兎に角、とんだ波乱があったが、無事に終えられそうでよかった。最後のお客さまを見送ったら、私たちも帰ろう」

「はい」

 さわさわとざわめく場を取り仕切りながら、楓は健斗に付き従った。




 
「森内さま、話が違います!」

 帝国ホテルを離れたほど近く、琴子は森内と相対していた。激昂する琴子を、まあまあといさめる。

「まあまあではありませんわ! あのときは森内さまもカフスを盗まれたと証言してくださる計画だったではありませんか! そうして楓を健斗さまの妻の座から引きずり降ろし、森内さまは傷心の楓を攫うという算段だったはず!」

 琴子が森内に持ち掛けられた提案はそのようなはずであった。それなのに、土壇場に来て森内は手のひらを返した。これが怒りにならなくて、なにが怒りになろうか。

「そうですね、ここで楓さまを健斗さまから離して、僕が手に入れても良かった。しかしそれでは、僕が盗人を妻に迎えることになりますからね。思い直したのです」

「だからといって……!」

 尚も文句を言いたそうな琴子を制し、森内は続ける。

「今回のことで、僕は一層楓さんの信頼を得たと思います。であれば、琴子さま。これを利用しない手はないかと」

 森内の怪しげに光る瞳を、琴子が訝る。

「……どういうこと……?」

「今日のことで、楓さまに隙が出来る筈です。その好機を、逃さず捕らえましょう」




 
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