大正政略恋物語

遠野まさみ

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薔薇の約束

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「これでいいですか?」

 書面に署名された筆跡を眺める。招待状の筆致と瓜二つだ。

「十分な出来だわ」

 にい、と口の端が上がる。あの娘が彼の隣に居られるのも、あとわずか。

「大丈夫よ、彼はわたくしが慰めて差し上げるから」

 ねっとりと零した言葉は夜の闇に飲まれた。



 
 *
 
 玄関から呼び声がして、対応に出ると、そこには森内が居た。

「まあ、森内さま。今日はどのようなご用件でしたでしょうか?」

 健斗は仕事のあと、用事も済ませてくると言って家を外しており、もしかして仕事の話だったらどうしようかと思っていると、実は楓に頼みたいことがある、と言う。

「どのような事でしょうか。私でお役に立てるのでしたら良いのですが……」

 緊張して言うと、実は琴子のことなのだが、と切り出された。琴子の名に緊張が一気に増して、背筋を伸ばす。しかし森内が微笑みながら切り出した話は、緊張とは全く真逆のことだった。

「実は、先日のパーティーのあとに少し堀下琴子さまとお話をする機会があったのですが、琴子さまから楓さまに、これまでの非礼を謝罪したい旨をご相談いただいたのです。それで、もし楓さまさえ宜しければ、琴子さまにお会いいただきたいのですが……」

「まあ」

 突然のことに驚くが、楓にとっては願ってもない喜びである。もし琴子と仲直りが出来れば、彼女に健斗の妻として認めてもらえるかもしれないし、そうすればもう、琴子の影におびえなくても済む。琴子との関係が修復できれば、茂三や良子との仲も改善でき、もしかしたら良好な実家との関係が築けるかもしれない。

「是非、琴子さんとお会いしたいです。琴子さんはご一緒に?」

 期待に心が躍り、楓が問うと、森内は微笑んで、では一緒に来てほしい、と言った。

「琴子さまは私の家で楓さまをお待ちです。おそらく、琴子さまが堀下子爵や夫人も説得されて、堀下家として楓さまに謝罪があると思います。なので、仲介役である僕の家に行く必要がございます」

「そ、そうですか……」

 少し悩む。健斗に断りもなく出掛けてもいいものだろうか。しかし、琴子は心を固めている、と森内から再度促され、楓は二つ返事で頷き、静子に出掛けてくる旨を伝えると、森内と共に堀下へ向かうことにした。門の前に人力車に乗り込むと、森内が車夫に行先を告げ、車輪に揺られながら森内の話を聞く。

「琴子さまは大変良いお方ですね。広く、色々な視点の人間の話を聞く耳をお持ちだ」

「そうなのですね」

「あのパーティーの時に僕が琴子さまの勘違いをいさめたではないですか。当初お怒りだったところに僕が説明申し上げたら、勘違いをして恥ずかしいと恥じ入っておられました。爵位持ちの方は気位が高い方が多いのかと思いましたけど、琴子さまは違いますね」

「そ、そうでしたか」

 森内から聞く琴子の話は、楓が今まで接して来た琴子との落差が大きく、素直にそうなのか、と頷けなかったが、案外利害のない人間から諭されると、自分の間違いに気づくものなのかもしれない。
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