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幸福の燕
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健斗に去られてしまった琴子は、怒り心頭でレストルームに向かっていた。琴子の人生で、あんな風に男性に冷たくあしらわれたのは初めてである。しかしその怒りは健斗自身には向かず、自分の収まるべき座に収まっている楓に向かった。
(あの娘が堀下を好き勝手に悪く言っているのだわ! 何て性悪なのかしら!)
荒い手つきでレストルームの扉を開けた琴子は、丁度出てくるところだった女性とぶつかりそうになった。
「……っ!」
「あ、あら、ごめんなさい。急いでいたものだから」
レストルームから出てきたのは、三浦と言っただろうか、たしか公爵夫人である。急いで出てきたようだが、指をしきりに触っていて、怪我でもしたのだろうか。
「どうされたのですか? お怪我でも?」
良家の令嬢らしく穏やかに微笑んで話し掛けると、おっとりした様子の夫人はブローチのピンで刺してしまって、と答えた。確かに先ほどホールで見かけたときに胸につけていた、燕のブローチをしていない。
「目のサファイアが片方取れてしまって、鞄に仕舞いに来たの。胸から外すときに、ピンで刺してしまって。駄目ね、年を取るとこんなこともドジになるのね」
夫が待っているから、と言って夫人が立ち去ると、琴子は笑みを深くした。そしてそそくさとレストルームに入り、室内を見渡した。レストルームにはいくつものソファと小さなテーブル、それに鏡台が設えてある。
琴子はそこに置いてある、招待客の女性たちの鞄の中身を確かめながら、三浦夫人のブローチを見つけ出した。そしてそれを、主賓室に置いてあった楓のバッグの中に入れる。
(ふふふ。誰のバッグからと思っていたけど、三浦さまにはさっき健斗さまから紹介されていたから、丁度良かったわ。こんなこと(ぬすみ)があっては、三浦さまと親しくされておられる健斗さまの妻で居るのは難しいでしょうね。大丈夫よ、お前が失脚した暁には、健斗さまに一番ふさわしいわたくしが妻の座についてあげる)
琴子は楓のバッグの蓋をパチンと締め、レストルームを後にした。
談笑の中、パーティーが終わり、楓たちは招待客を見送っていた。そんな中、レストルームの方から騒ぎが聞こえた。ばたばたとホテルの従業員が廊下を行き交い、なにか大事が起きたのだと知る。
「どうされたのですか?」
楓が従業員に問うと、彼はとても気まずそうに、招待客のアクセサリーがなくなったのだと教えてくれた。今日の招待客と言えば、誰もが上等なものを身に着けており、中でも女性のアクセサリーは一目で高価なものと分かるものばかりだった。
大変なことになった、と、楓と健斗がレストルームに赴けば、既にそこを出入りするドレス姿の女性たちと、部屋の前を取り巻く男性たちが沢山居た。
「アクセサリーを紛失された方がいらっしゃるとお聞きしました」
楓が声を掛けると、ざわめく人たちが一斉に楓たちに目を向ける。レストルームに健斗が入るわけにはいかず、楓がその役を負い、中に入ると、部屋には幾人かの女性たちが一人の夫人を取り囲んでいた。
「三浦さま」
困った顔で楓を見たのは、女性たちに囲まれていた三浦夫人である。夫人は鞄を手にしており、楓さん、と弱ったように縋って来た。
「ブローチがないのよ。ごあいさつした後、目のサファイアが取れてしまって、私なくすといけないからと思って、ダンスが始まる前に外して鞄の中にしまっておいたのだけど、今帰ってきて鞄を確認したら、何処にもないの」
楓も健斗から贈ってもらったかんざしを失くした経験があるから、夫人の今の気持ちがとてもよく分かる。楓は夫人の傍に駆け寄って、彼女を励ました。
「三浦さま、探しましょう。今日、このフロアは峯山が借り受けておりますので、ここに出入りした方にご招待客さま以外の方がいらっしゃらなかったか、調べてまいります。大丈夫です、きっと見つかります」
途方に暮れた様子の夫人も、楓の言葉に力を得たようで、そ、そうね、お願いするわ、と楓を頼って来た。その時、声高に楓を罵る人がいた。
「まあ、いい人ぶって三浦さまの目をくらまそうというのかしら。わたくし、はっきりと見ましたのよ。あなたが三浦さまのブローチを盗んで主賓室に消えていったところを」
琴子だった。琴子は大勢がレストルームに集まる中、主賓室に入り、楓の鞄を暴いた。雪輪の鞄からはころりと片目の燕がこぼれ落ち、何故そんなところに三浦夫人のブローチが? と混乱する楓を他所に、勝ち誇ったように楓を糾弾した。
(あの娘が堀下を好き勝手に悪く言っているのだわ! 何て性悪なのかしら!)
荒い手つきでレストルームの扉を開けた琴子は、丁度出てくるところだった女性とぶつかりそうになった。
「……っ!」
「あ、あら、ごめんなさい。急いでいたものだから」
レストルームから出てきたのは、三浦と言っただろうか、たしか公爵夫人である。急いで出てきたようだが、指をしきりに触っていて、怪我でもしたのだろうか。
「どうされたのですか? お怪我でも?」
良家の令嬢らしく穏やかに微笑んで話し掛けると、おっとりした様子の夫人はブローチのピンで刺してしまって、と答えた。確かに先ほどホールで見かけたときに胸につけていた、燕のブローチをしていない。
「目のサファイアが片方取れてしまって、鞄に仕舞いに来たの。胸から外すときに、ピンで刺してしまって。駄目ね、年を取るとこんなこともドジになるのね」
夫が待っているから、と言って夫人が立ち去ると、琴子は笑みを深くした。そしてそそくさとレストルームに入り、室内を見渡した。レストルームにはいくつものソファと小さなテーブル、それに鏡台が設えてある。
琴子はそこに置いてある、招待客の女性たちの鞄の中身を確かめながら、三浦夫人のブローチを見つけ出した。そしてそれを、主賓室に置いてあった楓のバッグの中に入れる。
(ふふふ。誰のバッグからと思っていたけど、三浦さまにはさっき健斗さまから紹介されていたから、丁度良かったわ。こんなこと(ぬすみ)があっては、三浦さまと親しくされておられる健斗さまの妻で居るのは難しいでしょうね。大丈夫よ、お前が失脚した暁には、健斗さまに一番ふさわしいわたくしが妻の座についてあげる)
琴子は楓のバッグの蓋をパチンと締め、レストルームを後にした。
談笑の中、パーティーが終わり、楓たちは招待客を見送っていた。そんな中、レストルームの方から騒ぎが聞こえた。ばたばたとホテルの従業員が廊下を行き交い、なにか大事が起きたのだと知る。
「どうされたのですか?」
楓が従業員に問うと、彼はとても気まずそうに、招待客のアクセサリーがなくなったのだと教えてくれた。今日の招待客と言えば、誰もが上等なものを身に着けており、中でも女性のアクセサリーは一目で高価なものと分かるものばかりだった。
大変なことになった、と、楓と健斗がレストルームに赴けば、既にそこを出入りするドレス姿の女性たちと、部屋の前を取り巻く男性たちが沢山居た。
「アクセサリーを紛失された方がいらっしゃるとお聞きしました」
楓が声を掛けると、ざわめく人たちが一斉に楓たちに目を向ける。レストルームに健斗が入るわけにはいかず、楓がその役を負い、中に入ると、部屋には幾人かの女性たちが一人の夫人を取り囲んでいた。
「三浦さま」
困った顔で楓を見たのは、女性たちに囲まれていた三浦夫人である。夫人は鞄を手にしており、楓さん、と弱ったように縋って来た。
「ブローチがないのよ。ごあいさつした後、目のサファイアが取れてしまって、私なくすといけないからと思って、ダンスが始まる前に外して鞄の中にしまっておいたのだけど、今帰ってきて鞄を確認したら、何処にもないの」
楓も健斗から贈ってもらったかんざしを失くした経験があるから、夫人の今の気持ちがとてもよく分かる。楓は夫人の傍に駆け寄って、彼女を励ました。
「三浦さま、探しましょう。今日、このフロアは峯山が借り受けておりますので、ここに出入りした方にご招待客さま以外の方がいらっしゃらなかったか、調べてまいります。大丈夫です、きっと見つかります」
途方に暮れた様子の夫人も、楓の言葉に力を得たようで、そ、そうね、お願いするわ、と楓を頼って来た。その時、声高に楓を罵る人がいた。
「まあ、いい人ぶって三浦さまの目をくらまそうというのかしら。わたくし、はっきりと見ましたのよ。あなたが三浦さまのブローチを盗んで主賓室に消えていったところを」
琴子だった。琴子は大勢がレストルームに集まる中、主賓室に入り、楓の鞄を暴いた。雪輪の鞄からはころりと片目の燕がこぼれ落ち、何故そんなところに三浦夫人のブローチが? と混乱する楓を他所に、勝ち誇ったように楓を糾弾した。
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