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傷つけられた薔薇
(2)
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軋む音をさせて行き過ぎる路面電車が去った後に駆け寄ると、粉々に割れたかんざしの欠片がそこに散らばっていた。
(旦那さまが贈ってくださった、大切なものだったのに……!)
楓は割れた欠片を拾い上げ、涙を目に溜めた。
「あら。お前ははしたなくもおねだりが上手なのでしょう? いくら壊されても、峯山さまにせがめばいいじゃない。それとも峯山さまは、そんなかんざし着物ひとつしか与えて下さらない、ケチな男なの? 成金の男はがめつくてあさましいお前にピッタリね」
再び健斗をけなされて、楓の心に嵐が吹いた。
「旦那さまは、そのようなお方ではありません。私のようなものに心を砕いてくださる、おやさしい方です」
堀下に居た頃とは打って変わって、自分に意見する楓を、琴子は怒りのまなざしで見た。
(わたくしに意見するだなんて……! 堀下が拾わなければ、峯山さまに嫁ぐこともなかったくせに……!)
「この恩知らずが……!」
琴子の平手が楓に跳ぶ。……と思ったら。
「やあ、往来で喧嘩とはよろしくないですね」
ひょうひょうとした男の声と共に、琴子の平手が彼の手に受け止められた。
「なっ!」
「……っ!?」
山高帽にインパネコートを羽織った、スーツ姿の男性がそこに居た。背の高い彼はやすやすと琴子の腕を握り、楓に当たる筈だった平手を防いでいる。
「無礼ですよ! わたくしは堀下子爵令嬢でしてよ! この娘はうちの使用人なの! わたくしがこの娘をどうしようと、お前には関係ないことです!」
怒りを爆発させて言う琴子に、それでも喧嘩は頷けませんね、と青年は言った。
「それに、使用人でも、大事なものを壊されても良いということは、ないでしょう?」
諭されて、琴子は唇をかみしめた。悔しさをにじませながら、その場を去っていく。後に残された楓と青年は、速足で雑踏に消えていく琴子の背中を見つめながら、放心していた。肩の力が抜け、何も言えないでいると、隣から青年がそっとコートを羽織らせてくれた。
「口紅の汚れが目立ちますから、それを羽織って行くと良いですよ」
「そんな……、見ず知らずの方にご親切にして頂くわけにはまいりません」
楓はコートを脱ごうとするが、意外にも力の強い青年がコートの上から肩を押さえたため、脱ぐことが出来なかった。
「待ち合わせか何かなのでしょう? 待っている方に今のことをちゃんと説明されるおつもりでしたら、コートを受け取りますが、あなたはそうされないでしょうからね」
勿論、健斗に言うつもりはなかったが、会ったばかりの人に、何故そう思われたのだろう。
疑問顔だっただろうか、見つめた青年の顔が、ふふっと笑んだ。
「顔には人格が出ますからね。あなたはそういう顔をしてる」
そう言われたとき、雑踏を掻き分けて楓を呼ぶ声がした。
「楓」
健斗だった。健斗は楓が男性向けのコートを羽織っていることに驚き、そして楓の隣に男性が立ち並んでいることにも驚いたようだった。
「どうしたんだ、楓。それに森内も」
親し気に森内、と青年に名前を呼びかけた健斗にも驚いたが、健斗に挨拶をした青年にも驚いた。
「社長のお知り合いでしたか。いえ、偶然通りかかっただけなのですが」
二人のやり取りにきょとんとしていると、健斗が微笑んで説明してくれた。
「彼は峯山製糸(うち)の協力会社の社長だ。養蚕家を一手に纏めて峯山と取引をしている」
健斗が森内と楓を繋ぎ、説明する。楓は森内に対して頭を下げた。
「つ、妻の楓と申します。よろしくお願いいたします」
楓の言葉に、森内は顎に手を当て、思い当たった、と言うように訳知り顔をした。
「ははあ、成程。先程のご令嬢が堀下子爵令嬢を名乗っておられましたが、ごきょうだいでしたか」
琴子が使用人と言ったのに、何故姉妹だと思うのだろう。一瞬逡巡したが、そうかパーティーの招待状の所為か、と気が付いた。確かに『峯山健斗と堀下楓の結婚披露目パーティー』という体裁で招待状を送ってある。森内と言う名にも心当たりがあるし、きっと健斗の関係者として送った宛先の中の一人だろう。
「ええと……」
しかし琴子と姉妹だと言い切れずに言葉を濁すと、健斗が言葉の先を拾ってくれた。
「琴子殿は気位が高いからな。おおかた、先に楓の結婚が決まったことを不満に思っているのだろう。お前がそんなに気にする必要のある人間ではない」
「そうですか。まあ、確かに奥さまへの当たり方が酷いものでした」
そう言って森内は楓が手に包んでいたかんざしに視線を向けた。健斗も気づいていたようで、割られたのか、と楓に問うてくる。
(旦那さまが贈ってくださった、大切なものだったのに……!)
楓は割れた欠片を拾い上げ、涙を目に溜めた。
「あら。お前ははしたなくもおねだりが上手なのでしょう? いくら壊されても、峯山さまにせがめばいいじゃない。それとも峯山さまは、そんなかんざし着物ひとつしか与えて下さらない、ケチな男なの? 成金の男はがめつくてあさましいお前にピッタリね」
再び健斗をけなされて、楓の心に嵐が吹いた。
「旦那さまは、そのようなお方ではありません。私のようなものに心を砕いてくださる、おやさしい方です」
堀下に居た頃とは打って変わって、自分に意見する楓を、琴子は怒りのまなざしで見た。
(わたくしに意見するだなんて……! 堀下が拾わなければ、峯山さまに嫁ぐこともなかったくせに……!)
「この恩知らずが……!」
琴子の平手が楓に跳ぶ。……と思ったら。
「やあ、往来で喧嘩とはよろしくないですね」
ひょうひょうとした男の声と共に、琴子の平手が彼の手に受け止められた。
「なっ!」
「……っ!?」
山高帽にインパネコートを羽織った、スーツ姿の男性がそこに居た。背の高い彼はやすやすと琴子の腕を握り、楓に当たる筈だった平手を防いでいる。
「無礼ですよ! わたくしは堀下子爵令嬢でしてよ! この娘はうちの使用人なの! わたくしがこの娘をどうしようと、お前には関係ないことです!」
怒りを爆発させて言う琴子に、それでも喧嘩は頷けませんね、と青年は言った。
「それに、使用人でも、大事なものを壊されても良いということは、ないでしょう?」
諭されて、琴子は唇をかみしめた。悔しさをにじませながら、その場を去っていく。後に残された楓と青年は、速足で雑踏に消えていく琴子の背中を見つめながら、放心していた。肩の力が抜け、何も言えないでいると、隣から青年がそっとコートを羽織らせてくれた。
「口紅の汚れが目立ちますから、それを羽織って行くと良いですよ」
「そんな……、見ず知らずの方にご親切にして頂くわけにはまいりません」
楓はコートを脱ごうとするが、意外にも力の強い青年がコートの上から肩を押さえたため、脱ぐことが出来なかった。
「待ち合わせか何かなのでしょう? 待っている方に今のことをちゃんと説明されるおつもりでしたら、コートを受け取りますが、あなたはそうされないでしょうからね」
勿論、健斗に言うつもりはなかったが、会ったばかりの人に、何故そう思われたのだろう。
疑問顔だっただろうか、見つめた青年の顔が、ふふっと笑んだ。
「顔には人格が出ますからね。あなたはそういう顔をしてる」
そう言われたとき、雑踏を掻き分けて楓を呼ぶ声がした。
「楓」
健斗だった。健斗は楓が男性向けのコートを羽織っていることに驚き、そして楓の隣に男性が立ち並んでいることにも驚いたようだった。
「どうしたんだ、楓。それに森内も」
親し気に森内、と青年に名前を呼びかけた健斗にも驚いたが、健斗に挨拶をした青年にも驚いた。
「社長のお知り合いでしたか。いえ、偶然通りかかっただけなのですが」
二人のやり取りにきょとんとしていると、健斗が微笑んで説明してくれた。
「彼は峯山製糸(うち)の協力会社の社長だ。養蚕家を一手に纏めて峯山と取引をしている」
健斗が森内と楓を繋ぎ、説明する。楓は森内に対して頭を下げた。
「つ、妻の楓と申します。よろしくお願いいたします」
楓の言葉に、森内は顎に手を当て、思い当たった、と言うように訳知り顔をした。
「ははあ、成程。先程のご令嬢が堀下子爵令嬢を名乗っておられましたが、ごきょうだいでしたか」
琴子が使用人と言ったのに、何故姉妹だと思うのだろう。一瞬逡巡したが、そうかパーティーの招待状の所為か、と気が付いた。確かに『峯山健斗と堀下楓の結婚披露目パーティー』という体裁で招待状を送ってある。森内と言う名にも心当たりがあるし、きっと健斗の関係者として送った宛先の中の一人だろう。
「ええと……」
しかし琴子と姉妹だと言い切れずに言葉を濁すと、健斗が言葉の先を拾ってくれた。
「琴子殿は気位が高いからな。おおかた、先に楓の結婚が決まったことを不満に思っているのだろう。お前がそんなに気にする必要のある人間ではない」
「そうですか。まあ、確かに奥さまへの当たり方が酷いものでした」
そう言って森内は楓が手に包んでいたかんざしに視線を向けた。健斗も気づいていたようで、割られたのか、と楓に問うてくる。
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