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1章

22話 本当はこのまま二人で。

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胸が痛んで、つい返す言葉が消されてしまう。私は前へと向き直った。

ここからのシナリオはこうだ。
追手とつかず離れずの距離で一定距離逃げたのち、エリゼオだけがフェンの背から降りる。

そして、彼は言うのだ。

『そもそもは君たちのせいだったんだ』、と。

黒ドレスの妙な女に本気で恋をしてしまったそもそものワケは、催したくない茶会を開かされ相手にしたくもない女性と親密に振る舞うよう求められたせいだ。

待遇を改善してくれるのならば、もう彼女とは関わらない。

あたかも、禁断の恋に観念したかのようにそう独白するのである。

つまり、ここから先は私の手は貸せない。
そして、今日ここで私たちの妙な関係は終わりになる。

「どうだい、僕を助けるために変な申し出をしたことを後悔したんじゃないか?」

やがて、彼がこう聞いた。
私は前を向いたまま首を横に振る。

「いいえ。そりゃあ面倒くさいこともありましたし、今なんか最悪の状況ですけど、悔いはないですよ」

言葉にしてみると、うん、まったく間違いない。

シナリオを試せたことも、嫌いだ嫌いだと外側から断じていた彼の色々な側面を見れたことも良かった。

そして、それら成果に関係なく、過ごした日々は単に楽しくもあった。
振り返ってみると、そこに疑いはない。

「はじめて仲良くなれたのが、あなたでよかったです」
「……はじめて? 他に友人はいないのか」

しまった、失言だ。
熱くなる胸に任せて、そのまま口にしてしまった。

幸いなのは、実際アニータに友人が少ないことか。ジュリアに目をつけられているから、人が寄り付かないのだ。

「えっと、まぁとにかく特別でした。と、そういうことです」
「特別、か。そうだね、シナリオとやらを実行するための協力関係、しかも偽の恋人だなんて、そうそうない」

エリゼオがふふ、と吹き出す。やっとそのトーンに本音が混じったなと思っていたら、もう予め決めていた別れの地点が目に入ってきた。

街の中心、少し高いところにある大噴水だ。

なんの因果か、最初の偽デートの待ち合わせ場所と同じだった。

「ここでシナリオ計画とやらをはじめたのが昨日のことのようだよ」
「ですね、私も同じことを考えてました」
「……それは奇遇だ。ねぇアニータ。左手を離して、こちらを向くことはできるか?」

やけに詳細なお願いに疑問を覚えつつも、私は左肩を引いて彼の方へ顔をやる。

と、彼は私が宙に浮かせていた左手にそっと下から触れた。
いきなりの行為に驚いていたら、

「これを君に渡そうと思ってね。買う約束していただろう?」

そんなのは序の口だった。

彼がすっと差し入れたものを見るや、呼吸を失いそうになった。

つづらになった玉の一つ一つが神秘を思わせる。
一度現物を見ているから間違いない。これは、白水晶の腕輪だ。

「な、なんで! こんな高価なもの、もらえませんよ!」
「いいや、渡すと言ったら渡すよ。君が言っていたんじゃないか、いつか好きな人ができたら渡すものだと」

「だとしたら私じゃないですよ。もしかして、恋人関係だからってことですか? それはあくまでシナリオの設定上の話で……!」
「まだそのシナリオの途中なんだ。いいだろう? それに関係なく僕は………いや、今さら言う必要はないな」

少し言葉をあやふやにして、

「とにかく渡すと決めたんだ。受け取ってくれると嬉しい。あとは売るなり捨てるなりは勝手にしてくれ」

彼は私の腕から手を離す。
そのそばから、伝わってきていた熱がゆっくりと消えはじめた。

彼はまた笑顔を見せる。
別れる直前になって、また知らない笑顔を見た。
長いまつ毛の下、目角には小さな水の粒が絡んでいる。

おかしいくらいに、胸がずきずきと痛んだ。


そんなことを望んでしまってはいけない。
けれど、これで終わりになるのは嫌だ、なんて。ほんの少し考えさせられる。

が、もうこの坂道を登れば噴水地だ。

「本当に君には感謝をしているよ、アニータ」
「…………エリゼオ」
「そろそろ行くとしよう。本当はこのまま二人でどこかへ行ってしまいたいくらいだったけどね。そんなことをしたら君は怒るだろう?」
 
さようなら、またどこかで、と耳元で囁かれる。

あっけない一瞬だった。余韻もなにもなく、ほんの一瞬。
ふっと彼の姿が私の後ろから消える。

ついつい彼の姿を目で追ってしまうが、

「このまま走り抜けるんだ! 追手は必ずしも僕が食い止める! そこまでやってのシナリオだろう?」

エリゼオの声で思い直した。


あの情けなかった彼がむしろ私の背を押したのだ。
今さらシナリオを失敗させられない。

「アニー、いいのか? あの優男とは今を逃せばもうーー」
「構わないわ。行って、全速力!」
「あい分かった、よく捕まっていてくれ。我自身ですら計り知れぬほど力が溢れているゆえ」

言う通りにすれば、フェンはその速度を急速に増す。
 
「ひっ………!!!」

お手軽に死の淵まで飛ばされた感覚であった。
が、執着心だけで、私は必死で彼の胴体にしがみつく。

水色の髪は目に入るし、突風に煽られたドレスは今どうなっているかすらわからない。

そんな私を気にするようにフェンがこちらを向くので、

「いいから行って!」

と首元を軽く叩いて伝えれば、彼は言う通りに走り出す。

極限状態であったせい、何にも考えられなくなっていた。
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