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1巻

1-2

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「これ、君のおかげ?」
「そうです! ボクは精霊獣せいれいじゅうで、治療は得意技の一つなんです。ボクがちょこっと触るだけで、少しの傷くらいなら、あら不思議♪ 消え失せちゃうのです!」

 精霊獣といえば、光属性魔法の使用者のみ召喚することのできる存在で、主に虎などの攻撃用の動物を指すのだが……まさか回復メインの精霊獣がいたなんて知らなかった。

「君、すごいな!」
「ご主人様! よければこのボクに名前をください」
「あぁ、うん、考えとく。だから、まずはアリアナを治してやってくれないか?」

 もふもふとした毛並みの猫は、俺の組んだ腕の中に落ちてくると、小さく丸まる。

「……どうしても?」

 少し渋るようにしながら、上目遣いで聞いてきた。
 俺が迷わず頷くと、猫は仕方ないにゃ~、と地面へ飛び降り、ぱぁっと身体を輝かせはじめた。
 光が収まったあとその場にいたのは、なんと少女だった。
 ただし頭には猫耳がついていて、長い尻尾が腰辺りで揺れている。

うそっ、猫ちゃんが人に!?」

 アリアナの声が裏返る。
 俺も驚きすぎて目を見開くことしかできなかった。
 毛の色と同じく髪も、雪のような白色をしていた。アリアナとはまた別の種類の可愛さだ。
 きゅるんと跳ねた髪にくるくるの目が、なんともあざとい。

「これだけ傷が深いと、人型にならなきゃ治せないんです。ご主人様、よーく見ててくださいね」

 俺に目配せをすると、元猫の女の子は、アリアナを抱え上げる。
 その直後、あろうことかくちびるを奪った。
 アリアナがじたばたするのも物ともせず、十秒以上口づけが交わされる。
 さらにこの猫娘は、アリアナの形の綺麗な胸元にまで手を入れはじめ……

「ち、ちょっと! み、見ないで、タイラー!」

 俺があたふたしているうちに、三分間ほどの過激な時間がようやく終わる。アリアナの傷はすっかり元通りになっていた。

「嘘っ、なんにもない! 傷が塞がってるわ!」

 傷を負ったはずの肩には、あとすら残っていない。
 ただ、さすがに裂けてしまった服までは戻せないようだ。俺は自分の上着を彼女にかけてやる。

「……ありがとう。優しいのね。知ってたけど!」

 そんなアリアナの言葉とともに、チュッと柔らかい感触が頬にあたる。
 思いがけぬご褒美ほうびを貰ってしまった。かぁっと体が熱くなるのが分かる。
 アリアナも、自分からやったくせに、顔が真っ赤だった。

「その、えっと、感謝の気持ちを表したくて!」
「……お、おう!」

 俺たちが照れ合っていると、なぜか猫耳少女が、むっとまゆを寄せていた。

「ご主人様! ボクはもっと過激なことだってできますよっ?」

 どうやらアリアナに張り合おうとしているようで、そう言いながら薄い生地のワンピースに手をかけようとする。
 精霊獣の服って脱げるものなのか? 
 そんなことを考えているうちに服がどんどんはだけていくので、慌てて止めようとするが、俺一人では止められそうにない。

「アリアナ、手伝って……って、どうした、アリアナ?」
「わ、わ、わ!」
「……わ?」
「私だって、ちょっと脱ぐくらいできるんだからぁぁぁぁっ!」

 ダンジョンの天井に反響して、三度こだまするほどの絶叫だった。
 しかし、内容が内容だったからか、すぐに恥ずかしくなったようで、アリアナは地面に屈んで、土いじりを始めてしまった。
 すごい勢いで掘れていく。
 なんだこの可愛い生き物たちは。
 そう思って眺めていたら、ふと思いついた。

「……決めたよ、君の名前」
「はっ、ボクの名前! なんですか、ご主人様っ」
「キューちゃん、ってどうかな」

 なんだか、キュートな見た目だし、窮地きゅうちを救ってもくれた。

「はいっ、ご主人様のつけた名前なら、『ゴミ猫』みたいな名前でも受け入れる所存でしたので、最高です! 百点満点ですっ」

 キューちゃんは、とんでもないことを口走りながら、猫の姿へ戻る。

「必要な時がきたら、また呼び出してください! ボクはご主人様に呼ばれれば、いつでもどこでも出てまいります! 治療だけじゃないですよ、嗅覚きゅうかくを使っての探索も得意ですし! ボク、とにかく役に立ちますから!」

 最後の最後まで自分の能力を売り込みつつ、彼女は俺の中へと溶け入っていった。
 これだけの深手が治るのなら、もしかしたらエチカの病だって――
 俺にはもう、キューちゃんが必要になる未来が見えていた。

「帰ろうか、アリアナ」
「えぇそうね」

 まだ身を丸めていじけていた彼女に、手を伸ばす。
 普段ならできないくらい、キザな行為だったかもしれないが、アリアナは迷わず俺の手を握ってくれた。


 ◇◆◇◆◇


 一方、タイラーを生贄に、ギリギリのところでワイバーンから逃げ延びたゼクトとシータは、一目散いちもくさんにフロアを引き返していたのだが……
 ワイバーンのいる広間から一階層下ったところで、彼らを待ち受けていたのは、大量のモンスターたちによる一斉攻撃だった。
 数多あまたのモンスターが一堂に会して冒険者を襲う、いわゆるモンスターハウスと呼ばれるトラップだ。
 滅多に現れないが、万が一遭遇した時には、生きて帰るのは難しいと言われる地獄じごく巣窟そうくつである。肉の一片も残らず、白骨になって見つかったパーティもいるとされている。

「なぜこうなるのです! 行きはまったくモンスターなど出てこなかったのに、どうして」
「……あたし、知らない。こんな量、戦えない」

 シータが泣きそうになりながら魔法をひたすら放つが、一向に敵の数が減る様子はない。
 二人は知らなかった。行きは、モンスターたちがゼクトらを避けていたのだ。
 そしてそれは、タイラーがいたからだった。
 彼自身にも自覚はなかったが、タイラーからほとばしる底知れないオーラに、モンスターたちが怯えていたのである。それこそワイバーンでなければ、挑もうともしないほど、そのオーラは強烈だった。
 だが、そのタイラーを無能だと履き違えて捨ててきたゼクトたちは、今となっては格好の餌食えじきである。
 しかも、先ほどまで暴れられなかった鬱憤うっぷんを晴らそうと、モンスターたちはいきり立っていた。
 中級ダンジョンには、スライムのような雑魚ざこのみならず、オークやトロールといった大型モンスターもいる。
 それらが団結して襲いかかってくるとなれば、対処するのは難しい。

「まぁ、私にかかれば中級モンスターなど、あの二人がおらずとも容易たやすいですよ」

 ゼクトはそう言って剣を構えるが、実際のところ彼の実力は初級冒険者に毛が生えた程度だった。火属性魔法の威力こそ優れているものの、魔力操作が苦手で繊細せんさいな動きができない。
 これまではタイラーの的確な状況判断があったおかげで、効率的に戦うことができ、ゼクトの魔法も活かされていたのだ。
 タイラーの戦術はモンスターとの実力差を埋められる程度に、優秀なものだった。
 タイラーに任せきりで、戦術や駆け引きといったものをまともに知らないゼクトが、闇雲やみくもに技を放ってもいとも簡単に避けられてしまう。

「くそっ、なぜ見切られる!」

 むしろ、モンスターたちの闘争心をあおることにしかならず、ゼクトはしっぺ返しを食らう。
 シータの電撃魔法の方が敵を苦しめていたくらいだった。

「シータ、その調子です。全て倒してください」
「……しのぐのが精一杯」
「リーダーに逆らうとは何事ですか」

 ゼクトは落ちてきた眼鏡を押し上げる。自分が明白に役立たずと化しているこの状況にイライラとして、眉間みけんに眼鏡をめり込ませてしまった。
 そんなゼクトの隙を突いたトロールが、彼を蹴り飛ばす。
 眼鏡も踏み潰されて破壊され、腰に提げていた剣の片方も一緒に飛ばされてしまった。

「シータ、助けてください! 頼みます……」

 情けない声をあげるゼクト。それに反応しようと思っても、シータもすでに満身創痍まんしんそういだった。
 これまで雑魚だと馬鹿にしてきたモンスターたちに好き放題やられる。
 もはや歯が立たず、瀕死ひんしの状態で二人は地面に伏した。
 いよいよトロールが二人の捕食にかかろうと接近する。
 その時、大きな音がダンジョン中に響いた。
 タイラーがワイバーンを討つ際に放った技が勢い余って、ダンジョン自体を揺らしたのだ。
 その音に二人が驚いているうちに、モンスターたちは我先にと退却していった。
 ダンジョン内に起きた異変を、モンスターたちはその身で感じ取り、恐れをなしたのである。
 だがそんなことを知らない二人は、自分たちに訪れた幸運だと捉えて、それぞれ逃げ出す。
 もはやお互いのことなどどうでもよかった。
 そうして二人は、ばらばらに命からがら逃げ帰ったのだった。


 ◇◆◇◆◇


 まさに勝利の凱旋がいせんと言っていい。
 俺、タイラーはワイバーンを倒したあと、アリアナとともにダンジョンの出口を目指していた。
 帰り道も、敵に出くわすことはほとんどなかった。
 まれに襲いかかってくる血の気の多いモンスターもいたが、むしろ技を試すのに、絶好の機会だったくらいだ。

たけき炎で打ちのめせ、フレイムソードッ!!」

 魔法の威力はどれも凄まじく、慣れないゆえに反動でよろめいてしまう。

「すごい、すごい! それに格好いいかけ声よ! もっと見たいぐらい!」

 アリアナは俺が戦っている横で、手放しで拍手を繰り返していた。
 照れ臭くて、鼻をぽりぽりとく。一方の彼女は、鼻高々といった様子だ。
 ちなみに先ほどのやや格好つけた詠唱は、アリアナの考案である。
 可愛いものだけでなく、格好いいものも彼女の心をくすぐるらしい。
 端的に技名を唱えれば魔法は発動するのだが「格好いい技には格好いい詠唱が必要だ」という彼女の言葉に押し切られ、こうなったのだ。
 ただ、一方でふざけてばかりかといえばそうではない。
 俺が技に集中しすぎて、横からの奇襲に対応し損ねた時に守ってくれるあたり、彼女も警戒を怠っていることはないようだった。
 冒険者のかがみである。俺もその心は見習わなくてはならない。
『冒険者たる者、決して慢心まんしんするな。慢心したところから、足元をすくわれる』と親父もよく言っていた。
 先ほどレベルの上がった水や雷といった属性を除けば、まだほとんどの魔法がレベル1だ。冒険者レベルも20。まだまだ上を目指さなくては。
 とはいえ、アリアナに褒められればどうしても頬は緩んでしまう。
 容姿端麗ようしたんれいなだけではなく、そのまっすぐな性格含め、幼い頃から強く意識してきた相手だからな。
 そうしてしばらく歩いていると、アリアナが顔をしかめた。

「うげ、嫌なもの見つけたかも」

 目の前に落ちていたのは、ボロボロになった剣の柄だった。それも、見覚えがある。

「これ、ゼクトの剣だよな」
「たぶんね。割れてるみたいだけど」
「というか、もはや柄以外残ってないな」

 帰りがけになにかあったのだろうか。
 なんにせよ、そのまま放置するのは、ゴミを放置するみたいで心が痛む。
 仕方なく、拾ってからダンジョンの外へ向かったのだった。


 俺たち冒険者が所属するギルドは、ダンジョンが地殻変動によって生まれると、その調査後に建造される。
 ギルドはダンジョンに関係のない人間が出入りするのを防ぐ検問けんもん的な役割を持ち、基本的にダンジョンの入り口に地続きで建てられているのだ。
 俺たちが住んでいる町――トバタウンのギルドもまた同じように、俺たちがさっきまでいた中級ダンジョンと外とを繋ぐ役割を持っていた。
 ダンジョンの出口から直進することしばし、俺とアリアナは冒険者ギルドにたどり着く。
 アリアナは真っ先に受付へと向かった。

「あら、アリアナさん。依頼お疲れ様です……ってどうされましたか!?」

 アリアナはものすごい剣幕を見せていた。その勢いに、受付のエルフのお姉さんは目を白黒させる。

「どうもこうもないです! 私たち、パーティリーダーに置いていかれたんです!」
「そういえば先ほどゼクトさんらしき人影が慌てて出ていくのを見かけましたが……」

 お姉さんは、そこで言葉を切ってから申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「詳しい話をすぐにでも伺いたいところではあるのですが、不測の事態の場合は責任者がギルドにいる時ということになっておりまして、明日お聞かせいただく形でもよろしいでしょうか」

 どうやら口ぶりから察するに、今日報告するのは難しそうだ。
 アリアナもそれを理解したのか、いまいちに落ちない様子ではあったが、引き下がる。

「……そういうことなら仕方ないわね。また明日来るわ」

 アリアナは、それだけ言って俺の手を引いた。柔らかくてほっそりした指から、ほのかな熱が伝わってくる。
 受付から離れたところで、アリアナは口を開いた。

「とりあえず、ゼクトたちのことは一旦忘れましょ。まずはそれよりも大切なことがあるでしょ」
「……俺の誕生日?」
「そう。ね、タイラーの家に行く前に、私の家に寄っていい? ちょっとした贈り物を用意してるのよ」


 ぼろぼろになった防具類をギルドの修理窓口に預けた後、ギルドを出た俺たちは中心街を抜けた先にあるアリアナの家に寄った。
 それから、やや離れたところにある俺の家へ向かう。
 トバタウンの郊外こうがいから、少し中心に寄ったところ、住宅密集地にある長屋が俺の家だ。
 決して立派なものじゃないし、築年数もかなり経っている。つまりまぁ、はっきり言ってボロい。

「お兄ちゃん! 遅いから心配したんだよ」

 だから、家の前に着いた途端、妹のエチカが扉を開け放ったのには少しヒヤリとした。
 きしむ金具に意識がいってしまい、倒れかかってくるエチカを抱きとめ損ねる。
 勢い余って、後ろにいたアリアナにもたれかかってしまった。背中にぽよんとした感覚が当たる。
 すぐにアリアナが困ったような声を出した。

「タ、タイラー、早く中に入れてよ……誰かに見られたら恥ずかしい」

 そこで、俺の後ろにいるアリアナの存在にようやく気づいたエチカは、柔らかい笑みを浮かべた。

「嬉しい! アリアナさんも来てくれたんですね!」
「こんにちは、エチカちゃん。お邪魔するわね」 

 エチカに引き連れられ、家へと入ったのだが、居間に入るやいなや彼女はへろへろと椅子に座る。
 今日は体調が良さそうだと安心していたら、空元気からげんきだったらしい。
 サイドテールの髪からはハリが失われ、目もうつろになっていた。
 元々体が弱かった母親の遺伝で、体に力が入らないことが多いのだ。
 治療法は解明されておらず、街で回復を専門にする治癒師ちゆしに頼んでも完全には治っていない。

「おい、大丈夫か。エチカ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんの誕生日に倒れてなんかいられないよ」

 私の心配より、お祝い! と駄々だだをこねるが、明らかに体調が思わしくない。
 帰宅するのは昼頃と言ってあったのに、すでに夜に近い時間になっているから、俺の帰りが遅いことによほど気をんでいたのだろう。
 その髪を撫でてやっていたところで、思い出した。
 そうだ、俺には頼りになる猫耳少女がいたじゃないか、ということでさっそく召喚する。

「お兄ちゃん、魔法使えるようになったの!?」

 妹よ、驚くにはまだ早い。なにせ光の猫が人型に変化するのだ。

「呼ばれて飛び出た! キューちゃんですよ、ご主人様!」
「出たわね、化け猫……」
「失礼な。またいるんですか、あなたは。ご主人様をたぶらかしたら怒りますよ。精霊獣の恨みは人智を超えますからっ」

 繰り広げられるキューちゃんとアリアナの物騒なやり取りを前に、妹の処理能力は限界がきたらしい。
 ばたり、と椅子の背にもたれかかってしまった。
 うわごとのように、猫さんが人に……と呟いている。
 だが、説明より治療が先だ。

「……キューちゃん、早いところ頼む」
「まかされたにゃん♪」

 キューちゃんがはすぐにエチカの元へ向かい、例の治療を始めた。
 さすがに妹のあられもない姿に興奮することはなかったのだが、キューちゃんが見ておけ、と言うので仕方なく見る。
 施術せじゅつが終わると、妹は調子を取り戻していた。これまでも回復を何度も試みてきたが、それとは比にならないほどの回復具合だった。

「不思議、さっきまで少しも力が入らなかったのに……!」

 声も明るいし、なにより、小さくではあるが、跳ぶこともできるほどになっていた。

「どーでしょう。ボクの技は! すごいでしょ、ご主人様?」

 みんなで喜び合っていたら、キューちゃんが猫の姿に戻って、俺の肩にぴょんと乗る。
 そして、耳元で小さくささやいた。

「ご主人様。ボクの実力不足なのですが。実は、エチカ様はまだ完全には回復できていません」
「……そうなのか」

 俺は気を引き締めなおす。

「はい。でも、治らないわけじゃありません。超上級のダンジョンに生えているハオマという薬草が手に入れば、絶対治ります」
「……そんなの初めて聞いたけど? 治癒師は、これまで『難しい』の一点ばりだったし」
「なんせボクは超特別な光の精霊獣なので! 見るだけで必要なものくらい分かりますっ。その辺の治癒師なんかと一緒にされても困ります! 信じてください、ご主人様!」

 キューちゃんは強く主張し、必死に尻尾を振る。そのたびに俺の首筋に触れるのが、どうにもこそばゆい。

「……分かった。ありがとうな、キューちゃん」
「いえっ、ご主人様のためならなんなりと! あ、ちなみにボク、今の治療でレベルが上がりました。レベル2です! 偉いですか? 偉いですよね、ご主人様!」
「あぁ、偉いし……本当に助かったよ」

 俺がベタ褒めすると、にまにましながらキューちゃんは姿を消した。
 その後、三人だけのささやかな誕生日会が始まる。
 揚げたチキンやグラタンなどが並んだ食卓は、十分すぎるほど豪勢だった。
 食後のケーキは、エチカが焼いてくれていた。アリアナが持ってきてくれた果物をせれば、見た目も華やかになって、エチカはたいそう喜んでいた。
 そして、アリアナが家に取りに行ってくれた誕生日の贈り物は――

「はい、これ! 似合うの探して、結構迷ったんだからね」

 指輪だった。桃色の鉱石がきらめく。
 めてくれると言うので、手をアリアナに預けた。一度薬指に入れようとして、彼女は茶目っ気たっぷりに微笑む。

「こ、こ、これはいつか、私にしてよねっ!」

 なんて可愛い幼馴染なんだろうか。
 そうして指輪を中指に嵌め直すと、彼女は王子様のように俺の指先に優しいキスをする。今度はたいそう格好よくヒーローのようだった。
 ヒロインにもヒーローにもなれるなんて、この少女は無敵かもしれない。
 そんな天下一の美少女と、最愛の妹に祝福され、俺の誕生日は贅沢な時間とともに過ぎていった。
 ――そして、夜も遅くなった頃。

「……ねぇ今日泊まってもいい? ママには一応、そうなるかもって言ってあるから」

 アリアナが恥じらうように半身の姿勢でこう言うので、俺の心拍数は一気に跳ね上がった。
 だが、単に色事のような甘い話でないのは分かっている。
 この町は、夜歩きをするにはかなり危険なのだ。
 街灯が少なく、最近はひったくりなども横行している。違法な運送業者たちがうろついているという情報を、掲示板の張り紙で見た覚えがある。
 夜に帰宅するには、彼女の家はやや離れているため、その申し出を快諾かいだくした。

「なぁアリアナ。寝室はエチカと同じでいい?」
「えぇ、いいわよ」
「ごめん、助かる。他に使えそうな部屋がないんだ」

 俺の家は、ボロい上にそれほど広くない。
 親父が質素倹約しっそけんやくを信条としていたためだ。
 エチカの療養には、惜しみなくお金を使い、かつ治療費のたくわえはあったが、その他は少し余ったお金さえ人に寄付してしまう聖人っぷりだった。
 だから、伝説の冒険者が住んでいた家とはいえ、我が家にあまりお金の余裕はない。
『普通の暮らしができればいい』と親父はよく言っていたが、その親父がいなくなった今、はっきり言ってソリス家は、貧乏だ。
 治療費以外の蓄えも少しくらい残していてくれたら楽だったのだが……
 これだけは、唯一親父をうらんでいる点だ。
 各々順番に寝支度を済ませて、部屋に戻る。
 部屋の照明を消したのだが、俺は眠れないでいた。
 枕に頭を預け、天井をぼうっと見る。
 なんだか知らない人の身体で、知らない場所を見ている気になった。いまだにふわふわした気持ちが収まらない。
 今日のことは全て夢だったんじゃないか、とそんな気さえしてきて、目を瞑ることもできなかった。
 始まりこそ絶望的な十七の誕生日だったが、それよりずっと大きな希望の光が差し込んだ。そんな一日だった。
 不満があっても、できるだけ実直に行動する。そうして生きてきた努力の結晶が、ようやくきらめこうとしているのかもしれない。
 そう思えば、鼓動こどうはやる。
 ……やっぱり寝られない。
 こうして無理に寝ようとするくらいなら、起きて眠くなるのを待つ方がいい。魔法書を読んで勉強でもしようか。
 俺は起き出して、廊下へ出る。すると、なぜか居間がほんのり明るかった。
 戸を開ければ、アリアナがテーブル前の椅子に座り、カップを傾けている。

「あら、タイラーじゃない。あ……これだけど勝手に飲んでるわけじゃないわ。エチカちゃんがいいって言うから」

 俺の目線がカップに向かっていたからか、アリアナがそう言った。
 中身はハーブティーのようだ。心を落ち着かせ、身体を休ませる効果がある。


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