恋するジャガーノート

まふゆとら

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第十三話「新たなる鼓動」

 第三章「この手がつかむもの」・⑤

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「ぐっ、があっ・・・‼ ああああああああぁぁああぁああああああああっっ‼」

『ハヤト‼ ハヤトっ‼ しっかりして・・・‼』

 白くもやのかかった視界に、まばゆく輝く「光源」が増えた途端──

 心臓の痛みは、それまで以上に激しさを増していた。

 人が感じる事の出来る痛みには、際限がないのではないか・・・なんて、どこか他人事に思えてしまう程の「熱」が、僕の胸の中に渦巻いていた。

 頭の中は、真っ白。まともな思考なんて、出来るはずもない。

 視界も、真っ白。両の眼は、像を結ぶ事すら拒否して、好き勝手に上下左右に振れていた。

 ・・・・・・それでも・・・それでも何とか、すんでの所で正気を保っていられたのは──

『絶対に死なせない・・・! ボクが・・・! ボクは・・・・・・ッ‼』

 普段の飄々とした態度を、一切かなぐり捨ててまで、必死に僕を助けようと・・・

 僕には判らない「何か」をしてくれているのであろう、相棒の声が届いていたからだった。

 ・・・ぼんやりと、球体の外から、「音」が聴こえる。

 カノンの声、ティータの声。・・・二人とも、とっても辛そうだ。

 ラハムザードの嗤い声も。・・・正直、もう聴きたくない。

 それに、どうしてか・・・近くにいないはずの、アカネさんの声まで聴こえてくる。

 ・・・・・・きっと・・・このままでは・・・ラハムザードには勝てないのだろう。

 たとえ食い下がったとしても・・・結局は、14時・・・タイムリミットを迎えてしまう。

 あの邪辰に勝つ方法は・・・もう・・・残されていないのだろうか。

「・・・・・・・・・ク、ロ・・・・・・」

 数秒に一度飛びかける意識を、ギリギリの所で引き留めながら・・・

 僕の唇は無意識に、この場に居ない彼女の名前を・・・呟いていた・・・・・・


       ※  ※  ※


「・・・・・・ッッ‼」

 自分の他には誰も居ない砂浜で、クロは独り・・・肩をビクリと震わせた。

 ヒトの姿を模していても、彼女はあくまで怪獣である。

 その鋭敏な聴覚は・・・たった今、遠く離れた場所で起こっている戦場の音を捉えてしまう。

 ・・・あくまで、本人の意志とは・・・一切関係なく。

「うぅ・・・! ううぅぅぅ・・・っ!」

 アカネとの邂逅によって、前向きな気持ちになれたクロであったが・・・やはり、その記憶に深く根付いた恐怖心が消えた訳ではなかった。

 姿かたちが見えずとも、耳に届いてしまうあの嗤い声に──

 彼女は左腕に顔をうずめるようにして耳を塞ぎ、幼子のように震えて動けなくなってしまう。

「───! ────っ!」

 その両のまなじりからは、涙が溢れていた。歯を食い縛ったまま、声も出せない。

「──い───お────ん!」

 心の中では・・・恐怖と諦観と、そして一欠片の勇気とがせめぎ合っている。

 彼女は、ひとりで戦っていたのだ。必死に・・・自分自身と。

 ・・・・・・そう・・・すぐ近くで、自分を呼ぶ声にすら気づかない程・・・必死に。


「───おっぱいのおねーさんっ!」


 そこで、ようやく・・・クロの耳が、間近で発せられた声を拾った。

「へっ・・・?」

 聞き覚えのあるその声に、弾かれたように顔を上げると・・・

「やっぱり~! おっぱいのおねーさんだ!」

 そこには、クロが初めてライズマンステージを観劇した際に、彼女の隣の席に座っていた少女──「白鷺しらさぎさおり」の姿があった。

「さ、さおり・・・ちゃん・・・・・・?」

 予想だにしていなかった人物の登場に、クロは困惑しきりだ。

 目をパチクリとさせていると、さおりを追って、彼女の母親が姿を見せる。

「すっ、すみません! うちの子が・・・!」

 クロがそちらへ目を向けると、車道に一台の車が止まっていた。

 運転席には、壮年の男性の姿がある。クロはその人物が、以前さおりの言っていた「せんちょー」である彼女の父なのだろうと察した。

「? おねーさん、ないてるの? うでのケガ、いたいの?」

「っ! そのっ・・・これは・・・違うんです・・・・・・」

 と、そこで、さおりは子供ながらの純粋さで、クロの両目に光るものを指摘する。

「じゃあ・・・もしかしておねーさん、あの黒い怪獣がこわいの?」

「・・・っ!」

 そして、何の偶然か・・・クロの涙の訳を、的確に言い当ててしまった。

「・・・・・・そう・・・ですね・・・・・・怖い・・・です・・・・・・」

 ビクリと肩を震わせたクロだったが・・・隠していても同じ事だと、首を縦に振る。

 すると、沈んだ彼女の顔を見たさおりは・・・逆に、ニッコリと笑ってみせた。

「大丈夫だよ~! だってきっと、ライズマンがたおしてくれるもん!」

 それは、本心からの言葉であった。

 多少ませている部分はあっても、あくまで彼女の中ではまだ、創作と現実との区別は曖昧なままなのである。

「さおりのパパもね! 怪獣におそわれたけど、ライズマンが助けてくれたんだよ~!」

 それは、初めてクロが怪獣と──ギアーラと戦ったのと同日の出来事だ。

 実際にさおりの父の乗ったタンカーを襲った怪獣・フェネストラを撃退したのは、アカネたちJAGD極東支局の機動部隊なのだが・・・一般人である彼女がそれを知る訳もない。

「そう・・・だったんですね・・・」

 変わらずにこにこと笑顔を向けるさおりに・・・クロは、強引に笑みを作って返した。

 「子供の夢を壊してはいけない」──

 ハヤトが常に、自分自身に言い聞かせているその信条を、クロもまた理解し、実践しようとしていたのである。

 ・・・しかし、一方で・・・彼女の胸には、刺すような痛みが走っていた。

 クロにとっての憧れであり、そして戦う目標ですらあった、ライズマンの名前を聞いて──

 彼女は再び、自らの力が忌むべきものであり・・・本来であれば、ライズマンに憧れる事すら許されないのだと・・・

 自分でそう結論付けた事を、思い出してしまったのだ。

 故に・・・本心では、早く会話を切り上げたいとすら考えていた。

「だから大丈夫! それに、もしライズマンが、ほかのにんむでこれなくても──」

 しかし、さおりはあくまで、思いつくままに口を開く。

 その純真さを前に、クロは再び左腕に顔を埋めようとして──



「────きっと、ヴァニラスがかわりに怪獣たおしてくれるもん!」



「えっ・・・・・・?」

 さおりの口から出た言葉に・・・その名前に・・・思わず、目を見開いた。

「あれ? おねーさんもしかしてヴァニラス知らないの? ほらほら見てよ~!」

 彼女がポケットから取り出したスマートフォンからは、動画投稿サイトにアップされていた、個人が作成したやや手作り感のある映像が流れ始める。

『え~! はいっ! みなさんもご存知かなーとは思うんですけどもね、この怪獣! ヴァニラス! ・・・なんと、わたくし・・・昨日の事故の時、助けてもらっちゃったんですよ‼』

 続いて、その動画投稿者が車の中から撮影した一幕──

 昨日、JAGDが No.020ナンバートゥエンティ と呼称していた怪獣の放った「放水砲」を、クロが身を呈して受け止めている場面が、映し出されたのである。

「それにほら! これも!」

 さおりは、慣れた手付きで他の動画へのリンクをタップする。

 そこでは、もはやネットでは観た事がない者の方が少ない程に有名になっていた、ティターニアが「すかドリ」の観覧車の上に佇んでいる映像や、マスメディアでは外部からの圧力によって取り上げられない、ザムルアトラと戦うレイガノンの姿もあった。

「もぉ~! さおりったらまた勝手にパパのスマホ使って~!」

「えへへ~! ゆりちゃんはティターニアはで、ゆーきくんはレイガノンはだけど、さおりはだんぜんヴァニラスがすきかな~!」

 ライズマンの話をしていた時と同じくらい、にこにこと笑うさおりを見て・・・クロは、言葉を失っていた。

 普段TVしか観ない彼女は、自分たちがネット上でこのような扱いをされていた事を、知らなかったのである。

「この3にんはね! かいじゅうだけど、わるいかいじゅうとたたかってくれるんだよ! ヒーローみたいだよね!」

「・・・・・・っ! ヒー・・・ロー・・・・・・」

 そして、さおりが何気なく口にした一言が──その、たった一言が───

 暗く、冷え切っていたクロの心に・・・ほんの少しの火を灯す。

「もちろん1ばんすきなのはライズマンだけど、ヴァニラスも2ばんめにすきかな~!」

「・・・・・・・・・」

 だが・・・クロにとっては、それで充分だった。たったそれだけで、良かったのだ。

 ただただ、「守りたい」と・・・そう願って身をやつしてきた自らの戦いが、本当に誰かの命を救えていたのだと──

 自分たちの事を「ヒーロー」だと言ってくれる者が、確かに存在するのだと──

 知る事が、出来ただけで。

「・・・私も・・・・・・」

 既に、涙は途切れていた。

「私も・・・一番好きです。ライズマンさんが」

 体の震えも、いつの間にか止んでいた。

「私の──憧れ、なんです。今も・・・それに・・・これからもずっと」

 そして・・・自らの力を呪う気持ちも・・・少しだけ、軽くなっていた。

「えっ! そうなんだ~! はじめてあった時はライズマンしらなかったのに、だいすきになったんだね!」

 そんなクロの思いを、さおりは知らない。

 だから、だろうか──クロは、心からの笑顔と共に・・・宣言する。


「はいっ! 私は・・・あの人の事が・・・・・・大好き、ですっ!」


 それは、ライズマンの事なのか──それとも───

「そっかそっかー! うれしいなー! さおりね~「ごしんきさん」はいつだってかんげーだから、こんどいっしょにステージに・・・」

「さおり! もう行くよっ!」

 と、そこで、我が子が暴走気味になっている事を察したさおりの母が、声を張った。

 避難のための時間を考えると、すぐにでもお暇すべきだろうと考えていたのもある。

「えっと・・・あなたも良かったら一緒に──」

 そういった現実的な考えもありつつ、一方で優しい人柄をしているさおりの母は、ほとんど見ず知らずに近いクロにも、共に避難しないかと声をかける。

 ・・・だが、クロは首を横に振った。

「いえ。行ってください。私は・・・やらなくちゃいけない事がありますから」

 ───もう、その心に迷いはなかった。

 先程までとは明らかに雰囲気の変わった様子に、「そう・・・ですか・・・?」と戸惑うさおりの母であったが・・・

 時間もないために、この場を後にする事に決めた。

「またね~! おっぱいのおねーさん!」

 そして、母に手を引かれたさおりは、いつも使っている言葉と共に、クロに手を振る。

「! はい・・・! 「またね」・・・ですっ!」

 その一言が・・・クロの心を、さらに奮い立たせた。

 「またね」は──今日という日のその先を、信じる言葉だと思ったからだ。

 そして、立ち上がり、さおりたちの乗った車を見送った後・・・クロは、振り返る。

 目の前には、陽の光を照り返して、キラキラと光る海があった。

 彼女は、そちらへ一歩、二歩と近づき・・・大きく、息を吸って───

「私のぉ───っ‼ ばかやろぉ───っっ‼」

 あらん限りの大声で以て、心中に浮かんだ言葉をそのまま吐き出す。

 それは・・・クロが初めてこの砂浜を訪れた時、ハヤトがしていた事の真似だった。

「なきむしっ‼ よわむしっ・・・‼ いくじ・・・なしぃ──っ‼」

 端正な顔は、ぶり返した涙と、つられて出てきた鼻水でぐしゃぐしゃになってしまう。

「・・・ティータちゃんっ! カノンちゃんっ! シルフィさんっ! ・・・いつも、ありがとうございます──っ‼」

 それでも、思いつくままに叫ぶ度・・・彼女の心は、どんどん軽くなっていく。

「ハヤトさ──っ! わた────っ! ──と───す──っっ‼」

 そして、最後に──偶然激しく立った波の音が、その声を掻き消してしまう。

 無人の砂浜で、クロが何と口にしたのかを知っているのは・・・本人だけだった。

「・・・・・・最初から・・・悩む事なんて・・・何もなかったんですよね・・・・・・」

 ひとしきり叫び終わってから・・・クロは、アカネのくれた言葉を思い返す。

  『力とは、それを使う者によって、その形を如何様にでも変えるものだと思っています』

  『全ては、心の持ちようだと──』

 彼女の一言が・・・思い出させてくれたのだ。

「だって・・・私が戦う事を決めた時に──もう、答えはもらってたんですから・・・」

 出会って間もない頃に、ハヤトが教えてくれた・・・ライズマンの言葉を。


  『ヒーローは、ヒーローとして生まれてくるんじゃない!』

  『勇気と明日を信じる者だけが──ヒーローになるんだ!』 

  『君だって、ヒーローになれる──‼』


「・・・・・・もう一度・・・信じてみよう・・・「勇気」を」

 残った左腕で、ぐしぐしと、顔を拭った。

 ・・・これから向かう戦いで、今度こそ自分は・・・死んでしまうかも知れない。

 そう思う気持ちが消えた訳ではなかったが、それ以上に───

「・・・・・・そうだ。今までの勇気も・・・戦いも・・・全部、無駄なんかじゃなかった。さおりさんが、教えてくれた・・・・・・!」

 彼女の中には、勇気という名の炎が燃えていた。

 恐怖を、諦観を、絶望を・・・立ち止まってしまう全てを乗り越える強さを──

 クロは、自らの手で掴んでみせたのだ。

「だから、今日を最後にしないために・・・明日を守るために・・・今、戦うんだっ‼」

 右腕に巻かれた包帯を、力任せに解いてから・・・クロは叫ぶ。

「───シルフィさんっ‼ お願い、します・・・っ‼」

 そして、その言葉を最後に──彼女の身体が、白い光へと変わる。

 飛び立つその光を見送るものはなく・・・砂浜には、波の音だけが残っていた。

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