恋するジャガーノート

まふゆとら

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第十三話「新たなる鼓動」

 第二章「人類には牙のある事を」・⑤

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「・・・・・・さむい・・・・・・」

 肌寒い季節を迎えた海沿いの街に、ひゅうと一つ、風が吹く。

 まるで、彼女の心を映したかのような曇り空の下を──クロは、当て所なく歩いていた。

 彼女がハヤトの家を飛び出してしまってから、少々の時間が経っていたが・・・いまだその足取りは覚束ない。

 頼る者もなく、ただ道なりに歩いているだけだった。

「・・・! ・・・・・・ここは・・・・・・」

 しかし、何処ともなく歩いていたつもりでも、無意識が足を向けさせていたらしい。

 気付けばクロの目の前には、見覚えのある景色が広がっていた。

 そこは、彼女が初めてハヤトに助けられた場所──記憶を失い、地球へと降り立った自分が最初に漂着していた、砂浜だった。

 以前にも、クロは自分の足でハヤトとここに来た事がある。

 彼女にとっては、とても思い出深い──初めて「擬装態」へと姿を変えた時だ。

 尤も・・・同じ格好とは言え、今の彼女は包帯でグルグル巻きになった右腕を三角巾で吊っており、おまけにその時とは違い、内心には楽しさの欠片もなかった。

 クロは、楽しい思い出のある場所に今の気持ちのまま赴く事で、嫌な上書きをしてしまうのではないかと、少々躊躇ためらったが・・・結局はその思い出に縋るように、砂浜へと腰を下ろす。

「・・・・・・・・・」

 彼女は、寄せては返すグレーがかった波を、ぼんやりと見つめる。

 時折、東へ向かって走る車の音が、背中越しに届いていた。

 彼らは皆、横浜を背にして逃げ出していた訳だが・・・今のクロにとっては、全てが遠い世界の出来事であった。

 ──あと数時間もすれば、カノンとティータ、そしてJAGDによるラハムザードとの戦いが幕を開ける。

 クロは、タイムリミットを告げられてはいなかったものの・・・己の力の根源たる者のエネルギーが、刻一刻とその極大を迎えつつある事を、肌で感じていた。

「・・・・・・」

 だが、それでも・・・彼女は、その場から動けずにいる。

 失くした記憶を取り戻し、力の由来を知った事で・・・クロは自分自身を嫌悪し、勇気を出して立ち向かうという行為そのものに、トラウマめいた感覚を抱えてしまったのだ。

 そして、彼女がいよいよ顔をうつむけた、その時──また一台、車の音が近づいて来て──

 それはクロの背を通り過ぎずに、すぐ近くで停車した。さらに直後・・・誰かの足音が、彼女の方へと向かって来る。

 警戒しながら、クロが振り向くと───


「───そこの方! 早く避難して下さい!」


 そこには、ダークグレイのヘルメットを脇に抱えた・・・紅い髪の女性の姿が、あった。

「・・・っ! あっ、アカネ・・・さん・・・!」

 クロは、思わずその人物の名前を口に出してしまう。

 彼女にとっては、幾多の戦場を共にした仲であり、その反応も無理からぬ事なのだが・・・

「? どこかでお会いしましたか・・・?」

 当然ながら、姿クロと会った覚えのないアカネは、見知らぬ女性が自分の名前を口にした事を訝しがって、眉をひそめた。

「あっ・・・! え、えぇっと・・・!」

 クロもその事に気が付き、胸の前であたふたと左手を振る。

「わ、私・・・その・・・ハヤトさんのお家に・・・えと・・・あの・・・・・・」

 次いで口から出たのは、しどろもどろな言い訳だったが──

「・・・! そういえば、以前に一度、ホームステイされている方がいると聞いたような・・・確か、名前は・・・クロエさん・・・?」

 アカネは、以前にハヤトから聞いていた話を思い出し、もしやと問いかける。

 だが、それは半年ほど前に、ハヤトが咄嗟の状況ででっちあげた嘘であり・・・

「え、えと・・・私は・・・クロ、です・・・・・・」

 当然、クロとも設定の共有などはしていなかったため、彼女はこれを否定してしまう。

「そうでしたか。改めて、ハヤトの幼馴染の桐生 茜です」

 しかし、海外暮らしが長いアカネは、ホームステイをしているくらいだから日本語はまだ不得手だろうと想定した上で、今の一言を「クロと呼んで下さい」というニュアンスに受け取った。

 奇跡的に、アカネの不信感は払拭されたのである。

「それにしても・・・クロさんはどうしてこんな所に? ハヤトは横浜の避難所にいると聞いていたのですが、まさかこちらにお一人で・・・?」

 とは言え、避難勧告が出されている区域において、女性が一人で──しかも、腕を骨折している状態で──ぽつねんと座り込んでいる状況への疑問は残った。

 ともすれば自分が避難所まで連れて行かなければなるまいと、アカネはクロの方へと近づきつつ、質問を投げかける。

「その・・・・・・私は・・・・・・に、逃げ出して・・・来たんです・・・・・・」

「・・・ッ! そう、だったんですか・・・」

 クロはあくまで事実を言っただけだったが・・・思い詰めたその様子から、アカネは避難所で何か辛い事があったのではないかと推察し、それ以上の質問を控えた。

 綱渡りの問答が、すんでの所で続いてしまったのである。

「「・・・・・・・・・」」

 ただ、元から二人は、知り合いでもない人間相手に積極的に喋るタイプではない。

 特にアカネは、クロが避難所で「乱暴されていた」可能性が頭にあったので、下手な事は言えないな・・・と、悩んですらおり──従って、両者は共に沈黙せざる得なかった。

 しばし、波の音だけが彼女たちの間に響く。

 アカネは、この後に控える用事の存在もあり、折を見て立ち去るべきだなと判断した。

 そして、心苦しさを感じながらも、「別の避難所まで送りましょうか?」と提案しようとした、まさにその寸前───

「・・・・・・アカネさんは・・・戦うのが怖くないんですか?」

 唐突に、クロがそんな質問をする。

 ──それは、彼女がずっと疑問に思っていた事だった。

 怪獣である自分とは違い、体も小さく、ケガをしてもすぐに治る訳ではないアカネが、どうしてあんなにも果敢に戦えるのかと。どうして・・・臆病な自分とは、違うのだろうかと。

「そう・・・ですね・・・・・・」

 アカネは、どうやらハヤトがライズマンチームの皆とは違い、クロには自分の仕事について話していたのだな、と理解する。

 あまり言いふらされても困ってしまうのだが、今は釘を差すべき場面でもないだろうと彼女は思い直した。

 何故なら・・・問いかけるクロの眼差しは、真剣そのものだったからだ。

 アカネは、泣き腫らしたのだと判る目元と、何かに怯えて揺れている瞳に・・・どうしてか、自分と近しいもの──戦士の意志とでも言うべきそれを、感じ取っていた。

 それは、記憶を取り戻したクロが、代わりに見失ってしまった「勇気」の──その、最後のひと欠片だったのかも知れない。

 当然、アカネがそこまでの事を感じ取れた訳はないが・・・彼女は、迷った。

 避難した後も、ジャガーノートの脅威に怯えながら過ごさなければならない民間人へ、何と言葉をかけるべきなのかと。

 この場は「戦うのが仕事ですから、何の心配も要りませんよ」と、通り一遍の文句を笑顔と共に伝えて安心させるべきではないのかと。

 しかし、彼女は──敢えて、包み隠さずに本心を打ち明ける事にした。

「怖くない・・・と言えば、嘘になります」

「えっ・・・?」

 予想だにしていなかった答えに、クロはぽかんとしてしまう。

 返された表情を見て、逆にアカネは少し肩の力が抜けた。

 そして、やや自虐っぽく微笑みながら──クロの隣へと、歩みを進める。

「・・・これまで私は、何体かのジャガーノートと戦って来ましたが・・・そのどれもが、ギリギリの戦いでした。何かが一つ違えば、今ここには居なかっただろうと思えるくらいに」

 アカネはそう口にしながら、過酷な戦いの数々を思い浮かべる。

 ・・・もちろん彼女は、その戦場のほとんどを共にし、奇妙な縁を紡いできた怪獣・No.007ヴァニラスの正体が、目の前の女性だとは知らない訳であるが。

「今だって、逃げ出したいほど怖いですよ。今回、横浜に現れたアレは間違いなく・・・今まで戦ってきた中で最も恐ろしい相手ですからね」

「・・・・・・そう、ですよね・・・」

 クロは頷き・・・そのまま、顔を俯ける。

 あのアカネでさえ、ラハムザードを恐れているのだと・・・そう思うと、クロは途端に心細くなったように感じてしまったのだ。

「ですが・・・私には、もっと怖い事があるんです」

 しかしアカネは、そんなクロの心配とは裏腹に──薄く笑ってみせる。

「それは、私が逃げてしまったせいで・・・出来たかも知れなかった事から目を背ける事で・・・仲間や、守りたいと思う人々の命を、失ってしまう事です」

「・・・・・・ッ‼」

 言われて、クロは反射的に顔を上げた。





 燃えるような真紅の瞳は、遠くの海のさらに向こう──

 これから彼女が戦わんとする相手を、真っ直ぐに見据えているようだと、クロは感じた。

「消極的なように聞こえるかも知れませんが・・・自分ではない誰かの為だからこそ、私は戦えるのだと思います。自分に出来る事がある以上は・・・戦える力がある以上は、その全てで以て、誰かの命を守りたいと・・・そう考えています」

 「自分に・・・・・・出来る事・・・・・・」

 聞き覚えのある言葉に──今日初めて、クロの表情が和らぐ。

「・・・アカネさんは・・・・・・」

 そして、頭に浮かんだ想いを、そのまま口にした。

「ハヤトさんと同じ、ですね。・・・すごく、かっこいい・・・です」

「ッ⁉ そっ、そう・・・ですか・・・・・・?」

 アカネにとっては、そのどちらもが心を掻き乱される蠱惑的なフレーズだった。

 思わず頬に紅が差してしまったのを自覚して、サッと顔を背ける。

 一方のクロは、目の前の女性に、最も尊敬する人物と同じものを感じ・・・改めて、いま最も自分を悩ませている事について尋ねる事を決意した。

「・・・・・・もしも・・・」

 再び真剣な気配を察して、アカネもクロに向き直る。

「もしも・・・アカネさんのその「力」が、おそろしいものだと・・・持つべきではなかったものだとわかったら・・・どう・・・しますか・・・・・・?」

「フム・・・・・・」

 投げかけられたのは、やはり抽象的な質問だったが・・・アカネはそれを正面から受け取り、頭をひねる。

 ただ、核のような環境にも被害を与えるような兵器の話をしている訳ではないのだろうとは思いつつ、質問の真意を掴みかねてはいた。

 故に彼女は、その原義について思う所を、素直に伝える事にする。

「私は──「力」そのものに善悪があるとは思いません。・・・人を殺すのは、銃でもナイフでもなく、いつだって人ですから」

「・・・ッ!」

 アカネは、クロのハッとした顔を見て、的外れな答えではなかったようだと安堵する。

「力とは、それを使う者によって、その形を如何様にでも変えるものだと思っています。全ては、心の持ちようだと──」

 そして、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にして──そこで彼女自身も、はたと気が付く。

「・・・そう考えれば、ヤツらは・・・いや・・・・・・」

 唐突に脳裏を過ったのは・・・三体のジャガーノートの事だった。

 人類を滅ぼし得る強大な力を持ちながら、人類を守ろうとするヒトならざる者──彼らこそ、まさに「力」の有り様を問う存在ではなかろうか・・・そんな考えが浮かんでくる。

「? アカネさん・・・?」

「・・・失礼しました。何でもありません」

 名前を呼ばれ、アカネは我に返った。

 「我ながら絆され過ぎているな」と、思わず溜息をいてしまったものの・・・

 たった今浮かんだ考えを、完全には否定出来ないなと自覚する。

『──マスター。そろそろ戻られませんと、仮眠も出来なくなってしまうかと』

 と、そこで、テリオから通信が入った。

「・・・そうだな。忠告感謝する」

 長居しても休憩の意味がなくなってしまうなと自省し、アカネは改めてクロに問う。

「クロさん。よろしければ、避難所までお送り致しますが・・・」

 「避難所」の存在をクロは知らなかったが、言葉の意味は何となく理解できた。

 おそらくは、これから始まる戦いから──なのだろうと。

「・・・・・・いえ。大丈夫です。自分で・・・決めます」

 ハヤトの家を飛び出した直後のクロなら、首を縦に振っていたかも知れない。

 しかし、今の彼女は──すぐに砂浜から立ち上がる事も出来なかったが・・・同時に、これ以上どこかへ逃げる事も出来なかった。

「・・・判りました。では、私はそろそろ行きますが、くれぐれも早めのご避難を」

「・・・・・・はい」

 アカネはクロの意志を尊重する事に決め、ヘルメットをかぶる。

 <ヘルハウンド>のシートに跨り去って行く背中を──クロは、じっと見つめていた。

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