4 / 26
01
亡き恩師の心配ごと
しおりを挟む
04
石橋湛山内閣は、短命内閣として歴史に名を残した。
本人の高齢や病気などに加えて、周囲を強力な反対勢力に囲まれての組閣だった。
その反対勢力の足固めに協力したのが、当時池田の選挙参謀だった祥二だった。
「鳩山のやり方をこのまま認めるのか?やつはこの国が焦土になる原因を作ったんだぞ」
鳩山一郎政権の路線を踏襲しようとする石橋政権に対して、要するにネガティブキャンペーンを裏で展開したのだ。
内心で鳩山に反発していた者たちには、感情に訴えて煽動して。
金で転ぶ者たちに対しては、実弾射撃を行って。
鳩山ほどのカリスマもない石橋は、結局政権を投げ出さざるを得なかった。
祥二は、鳩山一郎が大嫌いだった。
戦前、目先の権力や都合のために度々軍部を利用したり、軍に協力したりした。
結果、軍部の暴走を止められなくしたのだ。
そのくせ、戦後は口元を拭ってリベラルを気取る。
絶対に許せなかった。
鳩山が政局や保身のために軍部や時の政府を増長させた結果が、自分の故郷にほど近い広島市に対する原爆の投下だった。
多くの親戚や友人が亡くなり、生き残った者にも原爆症という置き土産を残した。
(この手で殺せるように、生き返ってくれればいいものを)
そんなことを本気で思うほど憎んでいた。
できれば本人の在任中、政権から引きずり下ろしてやりたかった。が、鳩山の政治センスとカリスマ性、そして国民の人気の前にはかなわなかった。(当時前任の吉田政権に対する反発がまだ根強く残っていたこともあり、旧吉田派が下手に動くことは国民の反発を買う危険があった)
八つ当たりや腹いせの類いであるのを承知で、後を引き継いだ石橋に対してネガティブキャンペーンを張ったのだった。
「池田は子供たちも立派にやってる。手前味噌だが、信頼できる仲間や後輩たちもいた」
「はい。吉田学校のみなさんは…癖はあるけど優秀でタフな人たちばかりでしたから」
吉田茂の一番弟子と言える存在だった池田勇人は、吉田学校時代の仲間たちを味方につけていた。それが、強力な政権を形成する底力となった。
困難な政策を次々と実行できたのも、気心の知れた仲間や後輩たちの支援があったればこそだった。
「そんな池田が、逝く前に唯一心配してたのが、おめえさんのことさ」
「そうなんですか?」
「やつにはお見通しだったってことさ。お前が、彼女のことを忘れられないって」
佐藤が「まあ一杯やりな」と熱燗を注いでくる。
下戸である彼には、お茶のおかわりで返杯する。
「いただきます」
総理にお酌をして頂けるのは光栄と、祥二は頂くことにする。
この時期、初美が用意してくれる熱燗はいつも驚くほどうまい。
「まあ、男と女のこった。どうしろと具体的に指図する気はねえよ。ただ、ひとつ答えてくんな。時計の針を巻き戻すわけでも、焼けぼっくいに火を付けるわけでもねえ。過去に縛られずに、過去を思い出にして生きていく。そのためには、どうしてももう一度会う必要がある。そうだな?」
時は流れた。古き良き時代はもう戻っては来ない。どんなに辛くとも、人は今を、そして未来に生きなければならない。そしてお前には、今さら投げ出せないものがあり過ぎる。
佐藤は暗にそう言っていた。
祥二は少し目を閉じて考え、口を開く。
「おっしゃる通りです。実は、無事な姿さえ確認できたら…。いえ、例えなにか不幸が彼女にあったとしても、ひと目姿を見るだけのつもりです。声をかけるかどうかも、その時に決めるつもりですから」
その返答に、普段無愛想な佐藤が心からおかしそうになる。
「絶対に声をかけない、と言わないところが正直でいいねえ。まあ、しょうがねえだろうさ」
そう言って、茶菓子を口に運ぶ。
「池田もさ、ひでえことした自覚は一応あったさ。あの時点では、ああするのが正しかった。だが、正しさで人は救えない。とくに男と女の子とは理屈じゃねえから」
「理屈じゃない…。確かにそうでした…」
当時を思い出して、祥二は人前にもかかわらず涙を流していた。
「すみません…お見苦しいところを…」
「遠慮はいらねえよ。泣け泣け。俺とおめえさんの仲だ。わかった。止めるつもりは最初からねえ。そのかわりちゃんと、過去を思い出にしてくるようにな」
佐藤はまだなにか言いたそうだったが、口にしかけたものを茶で呑み下す。そして、この話題に対するそれ以上の言及を避けた。
石橋湛山内閣は、短命内閣として歴史に名を残した。
本人の高齢や病気などに加えて、周囲を強力な反対勢力に囲まれての組閣だった。
その反対勢力の足固めに協力したのが、当時池田の選挙参謀だった祥二だった。
「鳩山のやり方をこのまま認めるのか?やつはこの国が焦土になる原因を作ったんだぞ」
鳩山一郎政権の路線を踏襲しようとする石橋政権に対して、要するにネガティブキャンペーンを裏で展開したのだ。
内心で鳩山に反発していた者たちには、感情に訴えて煽動して。
金で転ぶ者たちに対しては、実弾射撃を行って。
鳩山ほどのカリスマもない石橋は、結局政権を投げ出さざるを得なかった。
祥二は、鳩山一郎が大嫌いだった。
戦前、目先の権力や都合のために度々軍部を利用したり、軍に協力したりした。
結果、軍部の暴走を止められなくしたのだ。
そのくせ、戦後は口元を拭ってリベラルを気取る。
絶対に許せなかった。
鳩山が政局や保身のために軍部や時の政府を増長させた結果が、自分の故郷にほど近い広島市に対する原爆の投下だった。
多くの親戚や友人が亡くなり、生き残った者にも原爆症という置き土産を残した。
(この手で殺せるように、生き返ってくれればいいものを)
そんなことを本気で思うほど憎んでいた。
できれば本人の在任中、政権から引きずり下ろしてやりたかった。が、鳩山の政治センスとカリスマ性、そして国民の人気の前にはかなわなかった。(当時前任の吉田政権に対する反発がまだ根強く残っていたこともあり、旧吉田派が下手に動くことは国民の反発を買う危険があった)
八つ当たりや腹いせの類いであるのを承知で、後を引き継いだ石橋に対してネガティブキャンペーンを張ったのだった。
「池田は子供たちも立派にやってる。手前味噌だが、信頼できる仲間や後輩たちもいた」
「はい。吉田学校のみなさんは…癖はあるけど優秀でタフな人たちばかりでしたから」
吉田茂の一番弟子と言える存在だった池田勇人は、吉田学校時代の仲間たちを味方につけていた。それが、強力な政権を形成する底力となった。
困難な政策を次々と実行できたのも、気心の知れた仲間や後輩たちの支援があったればこそだった。
「そんな池田が、逝く前に唯一心配してたのが、おめえさんのことさ」
「そうなんですか?」
「やつにはお見通しだったってことさ。お前が、彼女のことを忘れられないって」
佐藤が「まあ一杯やりな」と熱燗を注いでくる。
下戸である彼には、お茶のおかわりで返杯する。
「いただきます」
総理にお酌をして頂けるのは光栄と、祥二は頂くことにする。
この時期、初美が用意してくれる熱燗はいつも驚くほどうまい。
「まあ、男と女のこった。どうしろと具体的に指図する気はねえよ。ただ、ひとつ答えてくんな。時計の針を巻き戻すわけでも、焼けぼっくいに火を付けるわけでもねえ。過去に縛られずに、過去を思い出にして生きていく。そのためには、どうしてももう一度会う必要がある。そうだな?」
時は流れた。古き良き時代はもう戻っては来ない。どんなに辛くとも、人は今を、そして未来に生きなければならない。そしてお前には、今さら投げ出せないものがあり過ぎる。
佐藤は暗にそう言っていた。
祥二は少し目を閉じて考え、口を開く。
「おっしゃる通りです。実は、無事な姿さえ確認できたら…。いえ、例えなにか不幸が彼女にあったとしても、ひと目姿を見るだけのつもりです。声をかけるかどうかも、その時に決めるつもりですから」
その返答に、普段無愛想な佐藤が心からおかしそうになる。
「絶対に声をかけない、と言わないところが正直でいいねえ。まあ、しょうがねえだろうさ」
そう言って、茶菓子を口に運ぶ。
「池田もさ、ひでえことした自覚は一応あったさ。あの時点では、ああするのが正しかった。だが、正しさで人は救えない。とくに男と女の子とは理屈じゃねえから」
「理屈じゃない…。確かにそうでした…」
当時を思い出して、祥二は人前にもかかわらず涙を流していた。
「すみません…お見苦しいところを…」
「遠慮はいらねえよ。泣け泣け。俺とおめえさんの仲だ。わかった。止めるつもりは最初からねえ。そのかわりちゃんと、過去を思い出にしてくるようにな」
佐藤はまだなにか言いたそうだったが、口にしかけたものを茶で呑み下す。そして、この話題に対するそれ以上の言及を避けた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
華闘記 ー かとうき ー
早川隆
歴史・時代
小牧・長久手の戦いのさなか、最前線の犬山城で、のちの天下人羽柴秀吉は二人の織田家旧臣と再会し、昔語りを行う。秀吉も知らぬ、かつての巨大な主家のまとう綺羅びやかな光と、あまりにも深い闇。近習・馬廻・母衣衆など、旧主・織田信長の側近たちが辿った過酷な、しかし極彩色の彩りを帯びた華やかなる戦いと征旅、そして破滅の物語。
ー 織田家を語る際に必ず参照される「信長公記」の記述をふたたび見直し、織田軍事政権の真実に新たな光を当てる野心的な挑戦作です。ゴリゴリ絢爛戦国ビューティバトル、全四部構成の予定。まだ第一部が終わりかけている段階ですが、2021年は本作に全力投入します! (早川隆)
鶴が舞う ―蒲生三代記―
藤瀬 慶久
歴史・時代
対い鶴はどのように乱世の空を舞ったのか
乱世と共に世に出で、乱世と共に消えていった蒲生一族
定秀、賢秀、氏郷の三代記
六角定頼、織田信長、豊臣秀吉
三人の天下人に仕えた蒲生家三代の歴史を描く正統派歴史小説(のつもりです)
注)転生はしません。歴史は変わりません。一部フィクションを交えますが、ほぼ史実通りに進みます
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』『ノベルアップ+』で掲載します
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
法隆寺燃ゆ
hiro75
歴史・時代
奴婢として、一生平凡に暮らしていくのだと思っていた………………上宮王家の奴婢として生まれた弟成だったが、時代がそれを許さなかった。上宮王家の滅亡、乙巳の変、白村江の戦………………推古天皇、山背大兄皇子、蘇我入鹿、中臣鎌足、中大兄皇子、大海人皇子、皇極天皇、孝徳天皇、有間皇子………………為政者たちの権力争いに巻き込まれていくのだが………………
正史の裏に隠れた奴婢たちの悲哀、そして権力者たちの愛憎劇、飛鳥を舞台にした大河小説がいまはじまる!!
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる