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亡き恩師の心配ごと

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 石橋湛山内閣は、短命内閣として歴史に名を残した。
 本人の高齢や病気などに加えて、周囲を強力な反対勢力に囲まれての組閣だった。
 その反対勢力の足固めに協力したのが、当時池田の選挙参謀だった祥二だった。
「鳩山のやり方をこのまま認めるのか?やつはこの国が焦土になる原因を作ったんだぞ」
 鳩山一郎政権の路線を踏襲しようとする石橋政権に対して、要するにネガティブキャンペーンを裏で展開したのだ。
 内心で鳩山に反発していた者たちには、感情に訴えて煽動して。
 金で転ぶ者たちに対しては、実弾射撃を行って。
 鳩山ほどのカリスマもない石橋は、結局政権を投げ出さざるを得なかった。

 祥二は、鳩山一郎が大嫌いだった。
 戦前、目先の権力や都合のために度々軍部を利用したり、軍に協力したりした。
 結果、軍部の暴走を止められなくしたのだ。
 そのくせ、戦後は口元を拭ってリベラルを気取る。
 絶対に許せなかった。
 鳩山が政局や保身のために軍部や時の政府を増長させた結果が、自分の故郷にほど近い広島市に対する原爆の投下だった。
 多くの親戚や友人が亡くなり、生き残った者にも原爆症という置き土産を残した。
(この手で殺せるように、生き返ってくれればいいものを)
 そんなことを本気で思うほど憎んでいた。
 できれば本人の在任中、政権から引きずり下ろしてやりたかった。が、鳩山の政治センスとカリスマ性、そして国民の人気の前にはかなわなかった。(当時前任の吉田政権に対する反発がまだ根強く残っていたこともあり、旧吉田派が下手に動くことは国民の反発を買う危険があった)
 八つ当たりや腹いせの類いであるのを承知で、後を引き継いだ石橋に対してネガティブキャンペーンを張ったのだった。

「池田は子供たちも立派にやってる。手前味噌だが、信頼できる仲間や後輩たちもいた」
「はい。吉田学校のみなさんは…癖はあるけど優秀でタフな人たちばかりでしたから」
 吉田茂の一番弟子と言える存在だった池田勇人は、吉田学校時代の仲間たちを味方につけていた。それが、強力な政権を形成する底力となった。
 困難な政策を次々と実行できたのも、気心の知れた仲間や後輩たちの支援があったればこそだった。
「そんな池田が、逝く前に唯一心配してたのが、おめえさんのことさ」
「そうなんですか?」
「やつにはお見通しだったってことさ。お前が、彼女のことを忘れられないって」
 佐藤が「まあ一杯やりな」と熱燗を注いでくる。
 下戸である彼には、お茶のおかわりで返杯する。
「いただきます」
 総理にお酌をして頂けるのは光栄と、祥二は頂くことにする。
 この時期、初美が用意してくれる熱燗はいつも驚くほどうまい。
「まあ、男と女のこった。どうしろと具体的に指図する気はねえよ。ただ、ひとつ答えてくんな。時計の針を巻き戻すわけでも、焼けぼっくいに火を付けるわけでもねえ。過去に縛られずに、過去を思い出にして生きていく。そのためには、どうしてももう一度会う必要がある。そうだな?」
 時は流れた。古き良き時代はもう戻っては来ない。どんなに辛くとも、人は今を、そして未来に生きなければならない。そしてお前には、今さら投げ出せないものがあり過ぎる。
 佐藤は暗にそう言っていた。
 祥二は少し目を閉じて考え、口を開く。
「おっしゃる通りです。実は、無事な姿さえ確認できたら…。いえ、例えなにか不幸が彼女にあったとしても、ひと目姿を見るだけのつもりです。声をかけるかどうかも、その時に決めるつもりですから」
 その返答に、普段無愛想な佐藤が心からおかしそうになる。
「絶対に声をかけない、と言わないところが正直でいいねえ。まあ、しょうがねえだろうさ」
 そう言って、茶菓子を口に運ぶ。
「池田もさ、ひでえことした自覚は一応あったさ。あの時点では、ああするのが正しかった。だが、正しさで人は救えない。とくに男と女の子とは理屈じゃねえから」
「理屈じゃない…。確かにそうでした…」
 当時を思い出して、祥二は人前にもかかわらず涙を流していた。
「すみません…お見苦しいところを…」
「遠慮はいらねえよ。泣け泣け。俺とおめえさんの仲だ。わかった。止めるつもりは最初からねえ。そのかわりちゃんと、過去を思い出にしてくるようにな」
 佐藤はまだなにか言いたそうだったが、口にしかけたものを茶で呑み下す。そして、この話題に対するそれ以上の言及を避けた。
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