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総理の来訪

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 数日前のその日、練馬区にある祥二の自宅をある人物が訪ねてくる。
 「あなた、お着きになりましたわ」
 「わかった。ご苦労」
 書斎にいた祥二は、妻である初美の呼びかけに応じて立ち上がる。
 鏡を見て身なりを整える。
 老け込んだものだと思う。
 時間のせいではない。この10年、自分の心に背を向けて生き続けて来て、生きながら半分死んでいる。そんなふうに感じる。
 自分の虚像に向けて鼻を鳴らして、来客が通された座敷へと向かう。
 
「どうもお待たせしました」
「いやいや、急に押しかけて来ちまったからな」
 祥二はふすまを開け、一礼する。
 当然と言えば当然、上座に腰掛けた客は、この国のトップなのだ。
 彼こそ、時の内閣総理大臣、佐藤栄作だった。
「しかし総理、わざわざおいでくださらなくても、お声がけ頂ければこちらからうかがいましたが?」
「総理はやめてくれや。わかってるだろう?総理と社長じゃあなく、佐藤と山名として話し合わなきゃなんねえことだ。なあ祥二?」
 佐藤のその言葉に、座布団に座った祥二は渋面になる。
 心当たりはひとつしかない。
「手短にいこう。“彼女”の行方、探させてるんだな?」
「佐藤さん、どうしてそれをご存じなので?」
「そのくらいのこと、調べりゃわかる。おめえさんのことは、大学を休学して店を起こしたハナタレのころから知ってるしな」
 佐藤の切り返しに、祥二はぐうの音も出なかった。
 思えば、彼とは吉田茂政権のとき以来のつき合いだ。
 その頃、自分は家族を養うために起業したばかりの若造社長だった。
 一方の佐藤は、吉田学校と呼ばれる勉強会の生徒で、まだ若くして閣僚だった。
「そうです。興信所に依頼して探させました」
「で、どうする?会いに行くつもりか?」
「まだ決めていません」
 祥二の言葉に佐藤は切り返そうとするが、せっさに口をつぐむ。

「失礼します」
 初美が、声をかけてふすまを開けたからだ。
 彼女に聞かせるような話ではない。
「総理、お茶でよろしかったでしょうか?」
「初美さんまで、家でまで総理はよしてくれ」
「あ、失礼しました」
「いや、まあいいんだけどね。一応酒も頼めるかい?俺はご存じの通り下戸だが、旦那様が飲むかも…というより、飲むだろうから」
「かしこまりました。熱燗をご用意致します」
 そう言って初美がその場を辞す。
「良くできたかみさんだ」
「ええ、自慢の妻です」
「その自慢の妻がありながら、なぜ昔の女の消息を探す?」
 佐藤の口調は静かだが厳しかった。
 初美と祥二の縁談を取り持ったのが自分だから…ではないだろう。
 案外、自分のことを本気で思ってくれているのだ。
 今はなき、池田勇人元総理から後事を託されて。
「それは…。彼女が困窮していないか、なにか困った事になっていないか、気になったんです」
「うそつけ。顔に書いてあるぜ。“昔の女なんかじゃない”ってな」
 佐藤が切り返す。
 一本取られた気分だった。
 彼の言うとおりだったからだ。
「佐藤さん、あなたの言うとおりなら、なんで僕は10年も経って彼女を探し始めたんですか?」
 佐藤は祥二のその問いには答えず、茶で口を濡らして切り出す。
「池田勇人を覚えているか?」
「もちろんじゃないですか。今でも彼を父であり恩師だと思ってます」
 戦後の復興期から彼の政権時代まで、祥二は池田勇人と常に協力し合ってきた。
 自分が今あるのは池田の力添えがあったればこそ。
 そう心得て、池田にあらゆる支援を惜しまなかった。
「その言葉は信じるよ。やつの選挙区が常に鉄板だったのも、おめえさんが参謀を務めてたからだ。石橋湛山内閣が短命に終わったのも、山名祥二の尽力によるところが大きかったな」
「恐れ入ります」
 佐藤がお世辞は言わないタイプであるのは知っている。
 祥二は素直にお褒めの言葉を受け取っておく。
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