3 / 26
01
総理の来訪
しおりを挟む
03
数日前のその日、練馬区にある祥二の自宅をある人物が訪ねてくる。
「あなた、お着きになりましたわ」
「わかった。ご苦労」
書斎にいた祥二は、妻である初美の呼びかけに応じて立ち上がる。
鏡を見て身なりを整える。
老け込んだものだと思う。
時間のせいではない。この10年、自分の心に背を向けて生き続けて来て、生きながら半分死んでいる。そんなふうに感じる。
自分の虚像に向けて鼻を鳴らして、来客が通された座敷へと向かう。
「どうもお待たせしました」
「いやいや、急に押しかけて来ちまったからな」
祥二はふすまを開け、一礼する。
当然と言えば当然、上座に腰掛けた客は、この国のトップなのだ。
彼こそ、時の内閣総理大臣、佐藤栄作だった。
「しかし総理、わざわざおいでくださらなくても、お声がけ頂ければこちらからうかがいましたが?」
「総理はやめてくれや。わかってるだろう?総理と社長じゃあなく、佐藤と山名として話し合わなきゃなんねえことだ。なあ祥二?」
佐藤のその言葉に、座布団に座った祥二は渋面になる。
心当たりはひとつしかない。
「手短にいこう。“彼女”の行方、探させてるんだな?」
「佐藤さん、どうしてそれをご存じなので?」
「そのくらいのこと、調べりゃわかる。おめえさんのことは、大学を休学して店を起こしたハナタレのころから知ってるしな」
佐藤の切り返しに、祥二はぐうの音も出なかった。
思えば、彼とは吉田茂政権のとき以来のつき合いだ。
その頃、自分は家族を養うために起業したばかりの若造社長だった。
一方の佐藤は、吉田学校と呼ばれる勉強会の生徒で、まだ若くして閣僚だった。
「そうです。興信所に依頼して探させました」
「で、どうする?会いに行くつもりか?」
「まだ決めていません」
祥二の言葉に佐藤は切り返そうとするが、せっさに口をつぐむ。
「失礼します」
初美が、声をかけてふすまを開けたからだ。
彼女に聞かせるような話ではない。
「総理、お茶でよろしかったでしょうか?」
「初美さんまで、家でまで総理はよしてくれ」
「あ、失礼しました」
「いや、まあいいんだけどね。一応酒も頼めるかい?俺はご存じの通り下戸だが、旦那様が飲むかも…というより、飲むだろうから」
「かしこまりました。熱燗をご用意致します」
そう言って初美がその場を辞す。
「良くできたかみさんだ」
「ええ、自慢の妻です」
「その自慢の妻がありながら、なぜ昔の女の消息を探す?」
佐藤の口調は静かだが厳しかった。
初美と祥二の縁談を取り持ったのが自分だから…ではないだろう。
案外、自分のことを本気で思ってくれているのだ。
今はなき、池田勇人元総理から後事を託されて。
「それは…。彼女が困窮していないか、なにか困った事になっていないか、気になったんです」
「うそつけ。顔に書いてあるぜ。“昔の女なんかじゃない”ってな」
佐藤が切り返す。
一本取られた気分だった。
彼の言うとおりだったからだ。
「佐藤さん、あなたの言うとおりなら、なんで僕は10年も経って彼女を探し始めたんですか?」
佐藤は祥二のその問いには答えず、茶で口を濡らして切り出す。
「池田勇人を覚えているか?」
「もちろんじゃないですか。今でも彼を父であり恩師だと思ってます」
戦後の復興期から彼の政権時代まで、祥二は池田勇人と常に協力し合ってきた。
自分が今あるのは池田の力添えがあったればこそ。
そう心得て、池田にあらゆる支援を惜しまなかった。
「その言葉は信じるよ。やつの選挙区が常に鉄板だったのも、おめえさんが参謀を務めてたからだ。石橋湛山内閣が短命に終わったのも、山名祥二の尽力によるところが大きかったな」
「恐れ入ります」
佐藤がお世辞は言わないタイプであるのは知っている。
祥二は素直にお褒めの言葉を受け取っておく。
数日前のその日、練馬区にある祥二の自宅をある人物が訪ねてくる。
「あなた、お着きになりましたわ」
「わかった。ご苦労」
書斎にいた祥二は、妻である初美の呼びかけに応じて立ち上がる。
鏡を見て身なりを整える。
老け込んだものだと思う。
時間のせいではない。この10年、自分の心に背を向けて生き続けて来て、生きながら半分死んでいる。そんなふうに感じる。
自分の虚像に向けて鼻を鳴らして、来客が通された座敷へと向かう。
「どうもお待たせしました」
「いやいや、急に押しかけて来ちまったからな」
祥二はふすまを開け、一礼する。
当然と言えば当然、上座に腰掛けた客は、この国のトップなのだ。
彼こそ、時の内閣総理大臣、佐藤栄作だった。
「しかし総理、わざわざおいでくださらなくても、お声がけ頂ければこちらからうかがいましたが?」
「総理はやめてくれや。わかってるだろう?総理と社長じゃあなく、佐藤と山名として話し合わなきゃなんねえことだ。なあ祥二?」
佐藤のその言葉に、座布団に座った祥二は渋面になる。
心当たりはひとつしかない。
「手短にいこう。“彼女”の行方、探させてるんだな?」
「佐藤さん、どうしてそれをご存じなので?」
「そのくらいのこと、調べりゃわかる。おめえさんのことは、大学を休学して店を起こしたハナタレのころから知ってるしな」
佐藤の切り返しに、祥二はぐうの音も出なかった。
思えば、彼とは吉田茂政権のとき以来のつき合いだ。
その頃、自分は家族を養うために起業したばかりの若造社長だった。
一方の佐藤は、吉田学校と呼ばれる勉強会の生徒で、まだ若くして閣僚だった。
「そうです。興信所に依頼して探させました」
「で、どうする?会いに行くつもりか?」
「まだ決めていません」
祥二の言葉に佐藤は切り返そうとするが、せっさに口をつぐむ。
「失礼します」
初美が、声をかけてふすまを開けたからだ。
彼女に聞かせるような話ではない。
「総理、お茶でよろしかったでしょうか?」
「初美さんまで、家でまで総理はよしてくれ」
「あ、失礼しました」
「いや、まあいいんだけどね。一応酒も頼めるかい?俺はご存じの通り下戸だが、旦那様が飲むかも…というより、飲むだろうから」
「かしこまりました。熱燗をご用意致します」
そう言って初美がその場を辞す。
「良くできたかみさんだ」
「ええ、自慢の妻です」
「その自慢の妻がありながら、なぜ昔の女の消息を探す?」
佐藤の口調は静かだが厳しかった。
初美と祥二の縁談を取り持ったのが自分だから…ではないだろう。
案外、自分のことを本気で思ってくれているのだ。
今はなき、池田勇人元総理から後事を託されて。
「それは…。彼女が困窮していないか、なにか困った事になっていないか、気になったんです」
「うそつけ。顔に書いてあるぜ。“昔の女なんかじゃない”ってな」
佐藤が切り返す。
一本取られた気分だった。
彼の言うとおりだったからだ。
「佐藤さん、あなたの言うとおりなら、なんで僕は10年も経って彼女を探し始めたんですか?」
佐藤は祥二のその問いには答えず、茶で口を濡らして切り出す。
「池田勇人を覚えているか?」
「もちろんじゃないですか。今でも彼を父であり恩師だと思ってます」
戦後の復興期から彼の政権時代まで、祥二は池田勇人と常に協力し合ってきた。
自分が今あるのは池田の力添えがあったればこそ。
そう心得て、池田にあらゆる支援を惜しまなかった。
「その言葉は信じるよ。やつの選挙区が常に鉄板だったのも、おめえさんが参謀を務めてたからだ。石橋湛山内閣が短命に終わったのも、山名祥二の尽力によるところが大きかったな」
「恐れ入ります」
佐藤がお世辞は言わないタイプであるのは知っている。
祥二は素直にお褒めの言葉を受け取っておく。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
鄧禹
橘誠治
歴史・時代
再掲になります。
約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。
だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。
挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。
歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。
上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。
ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。
そんな風に思いながら書いています。
虹ノ像
おくむらなをし
歴史・時代
明治中期、商家の娘トモと、大火で住処を失ったハルは出逢う。
おっちょこちょいなハルと、どこか冷めているトモは、次第に心を通わせていく。
ふたりの大切なひとときのお話。
◇この物語はフィクションです。全21話、完結済み。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
仇討ちの娘
サクラ近衛将監
歴史・時代
父の仇を追う姉弟と従者、しかしながらその行く手には暗雲が広がる。藩の闇が仇討ちを様々に妨害するが、仇討の成否や如何に?娘をヒロインとして思わぬ人物が手助けをしてくれることになる。
毎週木曜日22時の投稿を目指します。
白雉の微睡
葛西秋
歴史・時代
中大兄皇子と中臣鎌足による古代律令制度への政治改革、大化の改新。乙巳の変前夜から近江大津宮遷都までを辿る古代飛鳥の物語。
――馬が足りない。兵が足りない。なにもかも、戦のためのものが全て足りない。
飛鳥の宮廷で中臣鎌子が受け取った葛城王の木簡にはただそれだけが書かれていた。唐と新羅の連合軍によって滅亡が目前に迫る百済。その百済からの援軍要請を満たすための数千騎が揃わない。百済が完全に滅亡すれば唐は一気に倭国に攻めてくるだろう。だがその唐の軍勢を迎え撃つだけの戦力を倭国は未だ備えていなかった。古代に起きた国家存亡の危機がどのように回避されたのか、中大兄皇子と中臣鎌足の視点から描く古代飛鳥の歴史物語。
主要な登場人物:
葛城王(かつらぎおう)……中大兄皇子。のちの天智天皇、中臣鎌子(なかとみ かまこ)……中臣鎌足。藤原氏の始祖。王族の祭祀を司る中臣連を出自とする
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる