扉をあけて

渡波みずき

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 中村は翠の個室のドアまで手を繋いだまま送り届けると、さきほどと同様に部屋の灯りをつけてくれた。

「なんでわかった?」

 視線を床に落として問いかける彼に、翠は苦笑した。

「冗談でも女の子に話す話じゃなかったって言うんだもん。幽霊が出るのが事実だって信じてるってことでしょ?」
「あー、そっか……」
「でも、見たことはないって言ってたし、きっと声だけ聞いたんだろうなって」

 そこでことばを切って、翠は中村と目を合わせようとした。中村は見つめられて、居心地悪そうにしながらも、腹をくくったらしく、顔をあげた。

「中で話すよ」

 翠の部屋は広くない。固いカーペットのうえ、二段ベッドが左右の壁に接して置かれている。ベッドの隙間の床にあぐらをかいて、中村は頭を整理するようにくちびるを舐めた。
 翠はドアを閉め、残りの隙間に腰を下ろす。

「俺ね、実は去年、声を聞いたんだ。それで、キャンプ場の近くの散策路をしらみつぶしに歩いたけど、見つからなかった」
「大変だったでしょう」
「そりゃ、ね。でも、情報提供の貼り紙、あれ、たぶん何年も替えられてないよ。親御さん、もう諦めてて、探してないんだ」

 中村は言い、組んだ指の先に目を落とした。

「ゆきとくんもさ、俺たちみたいな知らない人間に声かけるくらい切羽詰まってるんだぜ? さみしいんだろうなって思ってさあ」

 翠は、思いもつかなかったことを聞かされて、面食らった。
 幽霊は意地悪でこちらを脅かしているのだとか、悪意があって襲いかかってくるのだとか、そんなふうにしか考えていなかった。怖くてたまらなかった。
 でも、中村は同じ事象を体験してなお、相手に同情しているのだ。

「去年、何か手がかりはつかめたの?」

 中村は首を横に振った。

「俺ができたのは、せいぜい足で探すくらい。うわさが立つから、客や近隣に聞きこみだってできないからさ。スタッフだって、みんながみんな、心霊体験してるワケでもないし」
「──もしかして、それで?」

 声をあげると、中村は意味を取りかねたらしく、眉を寄せた。もどかしくなって、翠は言いつのる。

「ここのオーナー、ゆきとくんの親御さんに協力的じゃなかったんじゃないの? だから、貼り紙を替えにも来られないんじゃ」
「……いや、当時はずいぶん協力したらしいよ。連日、警察や消防団がキャンプ場の敷地内を探しまわって、この管理棟の裏の川も下流まで浚ったし、俺が歩いた林のなかも人海戦術で探してたらしいよ。どんどん客足も遠のくし、廃業寸前まで追いこまれて、ここまで持ちなおすのにずいぶん苦労したって」
「それ、だれから聞いたの?」

 いぶかしむと、中村はあっさりと言ってのけた。

「オーナー。俺が毎日、貼り紙とにらめっこしてたから、見るに見かねたんだろ?」

 近所の子で、子ども会主催のバーベキューに訪れていたこと。食後に親たちが片付けを行っているあいだ、子どもだけで遊んでいたこと。日中は人目があるはずなのに、と、首をかしげていたこと。
 中村が記憶をたどって教えてくれる事柄に耳を傾けながら、翠のこころが決まっていた。

「私も手伝う」

 脈絡なく口に出されたことばに、中村は驚いたようだった。

「川べり、歩こうよ。手分けすれば早く終わるよ。あとね、私も貼り紙とにらめっこして、オーナーからもっと情報を引きだしてみる」

 翠の申し出に、彼の表情がやわらぐ。

「……にらめっこもすんの?」
「だって、聞きこみできないんでしょ? だったら、自発的に話してもらわなきゃ」
「あはは、策士!」

 中村は笑い声をたて、それから小さく、ありがとうと、つぶやいた。



 翌日、翠のシフトは早番で、午後一時には仕事があける予定だった。
 えづきたくなる悪臭に耐え、クエン酸スプレーを片手にゴミ捨て場をまわる。収集業者が来る前に、ゴミの分別を確かめるのだ。誤りがあると、引き取りしてもらえない。

 利用客がまとめたゴミ袋を開封し、まじってしまった別のゴミを取りだす。特に骨が折れたのは、ペットボトルとびん・缶類の分別だった。取りだすたびに中に残った液体が垂れてくる。

「ううう、ちゃんと最後まで飲みきるか、捨てるかしておいてよ!」

 愚痴りながらも、着々と仕事をこなす。黒い虫にもだいぶ慣れて……、いや、これは慣れない。何度悲鳴をあげたかわからなかった。
 中村は、今日は遅番だ。午前中のまだ涼しいうちに川を歩いてくると言っていた。翠は午後、中村の続きを歩くつもりだ。

 そう考えながら手を動かし、ようやくコンテナの外に出る。涼しくさわやかな風が頬を撫でたと思った瞬間、入れ替わりにまたあの悪臭が漂ってくる。レバーをゆでたときの湯気のなまぐさいにおい。吐き気を催して、翠は何度も生唾を飲みこんだ。
 いったい、どこが臭気のもとなのだろうか。ゴミ捨て場のコンテナの前でクエン酸スプレーを構えてうろうろしていると、ふと、コンテナの影に古びた白物家電がいくつも転がっているのが見えた。そして、そこにあったものに目が留まり、翠はこころのなかで吼えた。

 ──分別くらいしなさいよおおおっ!

 透明な袋のなかに、いつのものかわからない液状化した生ゴミとプラスティック、ペットボトルやらがごちゃまぜになって捨てられている。一袋ではない。まるで、隠すように、洗濯機やら冷蔵庫やらのなかに押しこまれたり、家電同士の隙間に詰めこまれたりしている。翠は、ためいきとともに肩を落とした。
 決められた分別が面倒で、ここに放りこんだ客がいたのだ。それも、複数組も。

 情けなくなりながら、翠はひとつひとつ袋を引っ張り出し、コンテナの前に運んだ。そして、意を決して開封する。
 口呼吸も苦しいような臭気だった。それでも一生懸命に分別していき、最後の一袋に手をかけたときだった。
 近くにトラックの止まる音がする。ふりかえると、作業着姿の中年男性が運転席から飛び降りてくるところだった。

「おはようございまーす!」

 元気よくあいさつされ、翠も応える。すると、男性は翠の手元を見て、おやおやという顔になった。

「また、やられちゃった? 洗濯機のトコでしょ? あのひともいい加減片付けりゃいいのにねえ、あれ」

 言われて、翠は家電の山に目を向け、同調する。でも、理由だってあるのだろう。

「粗大ゴミって、捨てるのにお金かかりますもんね」
「そうなんだよねー。だから、ああやって不法投棄されちゃうんだよ」
「あれ、不法投棄なんですか!」

 翠の驚きに、男性はしかつめらしい顔でうなずいてみせる。

「そう。でも、私有地に捨てられると、土地の所有者さんが片付けなきゃいけないって法律で決まってるんだよね。ウチもよくお客さんから相談受けるよ」
「そういうものなんですね……」
「うん。片付けると、不法投棄する業者も調子に乗って、どんどん捨てるし、かといって片付けないのも他のゴミを呼ぶんだ。一筋縄ではいかないんだよねえ。──あ、長話してる暇ねえんだった。生ゴミ収集始めるから、早めに分別頼むね」

 きっと、どこへ行ってもこうして知識を披露しているのだろうと思うような、慣れた語り口だった。
 翠は止めてしまった作業の手を再開し、急ピッチで分別を済ませると、無事に引き取り作業を終え、生ゴミのコンテナの清掃に取りかかる。デッキブラシとホースを手に、空っぽになったコンテナに踏みいって、残り香に顔をしかめる。

 なんだか、キャンプ場のアルバイトというよりは、清掃業者のアルバイトのようだ、というのが率直な感想だった。
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