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第10話 デス
4 食
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もしも、そこにごく普通の人間が居合わせていたならば、無人の夜の霊園の中で、黒いコート姿の美しい少年が、一人たたずんでいるようにしか見えなかっただろう。
だが、少年――霧河雅美は、誰もいない空間を睨むように見すえていた。
「なぜ、まだ人の形をとっている?」
唐突に、雅美は不愉快そうに独りごちた。
当然のことながら、それに対する答えはない。しかし、彼の不機嫌さはいよいよ増した。
「ならば、もう気は済んだだろう。さっさと俺と融合しろ。いつまでもその状態ではいられまい」
雅美は不本意そうだったが、コートのポケットから右手を出し、その手を闇に向かって差し伸べた。その右手には、鬼頭からもらったばかりの黒い革手袋がはまっている。そのことに気づいた雅美は慌てふためき、やはり革手袋のはまっている左手で、右手の革手袋を取ろうとした。
その短い間に何が起こったのか。雅美は愕然として叫んだ。
「やめろ! 食うな!」
だが、雅美が右手の革手袋を取り去る前に、すべては終わってしまったらしかった。
舌打ちして走り出そうとした、と、雅美は顔をしかめてコートのポケットから携帯電話を取り出し、いきなり怒鳴りつけた。
「何の用だ!」
『……もしかして、取りこみ中だったか?』
先ほど一方的に別れたばかりの鬼頭和臣は、気まずそうにそう訊ねてきた。
雅美は溜め息をつくと、走るのをやめた。
「本当に取りこみ中だったら、電話には出られない」
『じゃあ、今どんな状況なんだ?』
走ろうとしていた方角を見やりながら、忌々しげに雅美は答えた。
「逃げられた」
『逃げられた?』
「ああ、俺にもまったく予想外だ。おまけに、地縛霊をまとめて三体も食らっていった」
『幽霊を食うのか?』
「正確には、幽霊も食える。ところであんた、今どこにいる? まだ自宅には戻っていないな? 電車の中か?」
『いや、それが……』
決まり悪そうに鬼頭が言いよどむ。
『さっきいた駅前のベンチにいる。いったん駅には戻ったんだが、やっぱりこのまま帰ったらまずいような気がして……とりあえず、おまえが今どうしてるか気になって電話してみた』
雅美は眉間に縦皺を寄せ、一言言った。
「あんたは馬鹿か?」
『ああ……さすがに俺も自分でそう思うよ。せっかくおまえが帰れって言ってくれたのにな』
「もういい。あんたはそのままそこにいろ。今そこに行くから」
疲れたようにそう返すと、雅美は足早に歩き出した。
『逃がした相手は追わなくてもいいのか?』
「向こうは肉体がない分、神出鬼没なんだ。それに、最後にどこに現れるかはわかっている」
『どこだ?』
「俺のいるところだ。いくら幽霊を食らっても、朝までは保つまい」
『雅美……あれはいったい何なんだ?』
雅美の顔に驚愕が浮かぶ。しかし、すぐにそれを打ち消すように薄く笑った。
「あんたは何だと思う?」
『わからないから、おまえに訊いてるんだ。あれはもちろん人間じゃないが、幽霊でもないだろ?』
鬼頭の返答を聞いて、雅美は先ほどよりも大きく驚いた。
「わかるのか?」
『うーん……あくまで何となくのレベルだが……とにかく、俺が今まで会ってきた幽霊とは別物だっていうことだけはわかる』
少し考えるような間をおいてから、そうだな、と雅美は言った。
「しいて言うなら、あれは死神のようなものだ。あれに触れられた者は魂を食われる。生きている者も、すでに死んでいる者も」
『なら、どうしてそんな死神みたいなのが、おまえを訪ねてきたんだ?』
しばらく雅美は沈黙した。
鬼頭のこの質問は、雅美にはとても答えにくいものだったようだ。
「そうだな……あんたにもわかるように簡単に言えば……あれは俺にとりつきにきたんだ」
『おまえに?』
何を好き好んでとも言いたそうな口ぶりだったが、実際にはそうは言わなかった。
『でもおまえ、そんなものにとりつかれたら、おまえが――』
「俺は平気だ。むしろ、俺にとりついてもらわないとまずい。せめて今夜じゃなかったら、逃げられはしなかったと思うんだが」
自分の左手にはまっている革手袋に目を落としながら、雅美は苦々しく愚痴った。
『今夜? おまえ、体調悪いのか? だから手が』
「いいや。俺の手が冷たいのは生まれつきだって言っただろう。とにかく急いでそちらに行く。もう切るぞ」
口早に言って雅美は携帯電話を切ろうとしたが、『ちょっと待った!』と鬼頭に大声を上げられて指を止めた。
「何だ? まだあるのか? 詳しい話は直接会ってから……」
『雅美、その死神みたいなのに触れられると、生きてる人間でも魂を食われるんだよな?』
なぜか、鬼頭は声を潜めて再確認してきた。
「ああ、そうだが?」
『今、そいつが俺の目の前の人混みの中にいるんだが……俺はここに居続けたほうがいいのか? それとも、逃げたほうがいいのか?』
雅美は目を見張り、再び立ち止まった。
『雅美?』
「……そのままそこにいてくれ。たぶん、そいつはあんたには何もしない。あんたが何もしなければ」
そう言って、雅美は自分から携帯電話を切った。
「本当に……どうしてよりにもよって今夜なんだ」
雅美は嘆息すると、ポケットに携帯電話を戻してから、跳ぶように走り出した。
だが、少年――霧河雅美は、誰もいない空間を睨むように見すえていた。
「なぜ、まだ人の形をとっている?」
唐突に、雅美は不愉快そうに独りごちた。
当然のことながら、それに対する答えはない。しかし、彼の不機嫌さはいよいよ増した。
「ならば、もう気は済んだだろう。さっさと俺と融合しろ。いつまでもその状態ではいられまい」
雅美は不本意そうだったが、コートのポケットから右手を出し、その手を闇に向かって差し伸べた。その右手には、鬼頭からもらったばかりの黒い革手袋がはまっている。そのことに気づいた雅美は慌てふためき、やはり革手袋のはまっている左手で、右手の革手袋を取ろうとした。
その短い間に何が起こったのか。雅美は愕然として叫んだ。
「やめろ! 食うな!」
だが、雅美が右手の革手袋を取り去る前に、すべては終わってしまったらしかった。
舌打ちして走り出そうとした、と、雅美は顔をしかめてコートのポケットから携帯電話を取り出し、いきなり怒鳴りつけた。
「何の用だ!」
『……もしかして、取りこみ中だったか?』
先ほど一方的に別れたばかりの鬼頭和臣は、気まずそうにそう訊ねてきた。
雅美は溜め息をつくと、走るのをやめた。
「本当に取りこみ中だったら、電話には出られない」
『じゃあ、今どんな状況なんだ?』
走ろうとしていた方角を見やりながら、忌々しげに雅美は答えた。
「逃げられた」
『逃げられた?』
「ああ、俺にもまったく予想外だ。おまけに、地縛霊をまとめて三体も食らっていった」
『幽霊を食うのか?』
「正確には、幽霊も食える。ところであんた、今どこにいる? まだ自宅には戻っていないな? 電車の中か?」
『いや、それが……』
決まり悪そうに鬼頭が言いよどむ。
『さっきいた駅前のベンチにいる。いったん駅には戻ったんだが、やっぱりこのまま帰ったらまずいような気がして……とりあえず、おまえが今どうしてるか気になって電話してみた』
雅美は眉間に縦皺を寄せ、一言言った。
「あんたは馬鹿か?」
『ああ……さすがに俺も自分でそう思うよ。せっかくおまえが帰れって言ってくれたのにな』
「もういい。あんたはそのままそこにいろ。今そこに行くから」
疲れたようにそう返すと、雅美は足早に歩き出した。
『逃がした相手は追わなくてもいいのか?』
「向こうは肉体がない分、神出鬼没なんだ。それに、最後にどこに現れるかはわかっている」
『どこだ?』
「俺のいるところだ。いくら幽霊を食らっても、朝までは保つまい」
『雅美……あれはいったい何なんだ?』
雅美の顔に驚愕が浮かぶ。しかし、すぐにそれを打ち消すように薄く笑った。
「あんたは何だと思う?」
『わからないから、おまえに訊いてるんだ。あれはもちろん人間じゃないが、幽霊でもないだろ?』
鬼頭の返答を聞いて、雅美は先ほどよりも大きく驚いた。
「わかるのか?」
『うーん……あくまで何となくのレベルだが……とにかく、俺が今まで会ってきた幽霊とは別物だっていうことだけはわかる』
少し考えるような間をおいてから、そうだな、と雅美は言った。
「しいて言うなら、あれは死神のようなものだ。あれに触れられた者は魂を食われる。生きている者も、すでに死んでいる者も」
『なら、どうしてそんな死神みたいなのが、おまえを訪ねてきたんだ?』
しばらく雅美は沈黙した。
鬼頭のこの質問は、雅美にはとても答えにくいものだったようだ。
「そうだな……あんたにもわかるように簡単に言えば……あれは俺にとりつきにきたんだ」
『おまえに?』
何を好き好んでとも言いたそうな口ぶりだったが、実際にはそうは言わなかった。
『でもおまえ、そんなものにとりつかれたら、おまえが――』
「俺は平気だ。むしろ、俺にとりついてもらわないとまずい。せめて今夜じゃなかったら、逃げられはしなかったと思うんだが」
自分の左手にはまっている革手袋に目を落としながら、雅美は苦々しく愚痴った。
『今夜? おまえ、体調悪いのか? だから手が』
「いいや。俺の手が冷たいのは生まれつきだって言っただろう。とにかく急いでそちらに行く。もう切るぞ」
口早に言って雅美は携帯電話を切ろうとしたが、『ちょっと待った!』と鬼頭に大声を上げられて指を止めた。
「何だ? まだあるのか? 詳しい話は直接会ってから……」
『雅美、その死神みたいなのに触れられると、生きてる人間でも魂を食われるんだよな?』
なぜか、鬼頭は声を潜めて再確認してきた。
「ああ、そうだが?」
『今、そいつが俺の目の前の人混みの中にいるんだが……俺はここに居続けたほうがいいのか? それとも、逃げたほうがいいのか?』
雅美は目を見張り、再び立ち止まった。
『雅美?』
「……そのままそこにいてくれ。たぶん、そいつはあんたには何もしない。あんたが何もしなければ」
そう言って、雅美は自分から携帯電話を切った。
「本当に……どうしてよりにもよって今夜なんだ」
雅美は嘆息すると、ポケットに携帯電話を戻してから、跳ぶように走り出した。
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