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第10話 デス
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(何もしないって言われてもな……)
雅美に切られてしまった携帯電話を握ったまま、鬼頭は困惑した。
例の金髪の美青年は、今も明らかに鬼頭を見ている。
彼の周囲にいる人々は、まったく彼が見えていない様子なのにも関わらず、やはり自然に彼を避けて歩いていく。鬼頭が彼の存在に気づけたのもそのせいだった。
(死神のようなって……魂を食うんなら、やっぱり死神なんじゃないか?)
鬼頭がそう考えている間に、今まで立ち止まっていた青年が歩き出した。
どう考えても、ベンチに座っている鬼頭に向かって。
(頼むから、早く来てくれよ、雅美)
とっさにそう思ったが、そもそも雅美の言うとおり、さっさと帰途についていれば、今のような状況にはならなかったはずだった。
(まあ、自業自得だな)
目を閉じて溜め息を吐き、また目を開けた。ほんの数瞬のことだったが、そのときにはもう青年は、手を伸ばせば触れられそうなほど近くに立っていた。鬼頭は携帯電話を下ろしながら、黙って青年を見上げた。
こうして間近で見てみると、やはり人形のように整った顔をしている。そこは雅美と共通していたが、年齢だけでなく身長も雅美よりやや高い。
雅美によると、地縛霊を三体も食らったそうだが、そのせいなのかどうなのか、最初に会ったときよりも表情に生彩があるような気がする。
と、青年がにこりと微笑み、座ってもいいかとでもいうように、鬼頭の左隣を白い右手で指した。
「あ、どうぞ……」
ついそう答えかけてから、この青年の姿は自分以外には見えていないことを思い出し、あわてて携帯電話を耳にあてがった。こうしていれば、空中に向かってしゃべっている挙動不審者には思われないだろう。
「あー……どこのどなたか存じませんが……」
あくまで人混みを眺めているふうを装いながら、鬼頭は自分の隣に腰を下ろした青年に話しかけた。
「あまり雅美を困らせないでやってもらえませんか」
横目で確認すると、青年はきょとんとしていた。雅美も日本語で話していたし、てっきり日本語は通じるものと思っていたのだが、もしかしたら雅美だから意思疎通ができていたのだろうか。
(英語、通じるかな)
白人のようだが、英語が話せるとは限らない。しかし、鬼頭が使える外国語は英語くらいだ。仕方なく、今度は英語で言い直す。
『どこのどなたか存じませんが、あまり雅美を困らせないでやってもらえませんか。俺は一応雅美の友人なんで、雅美が困ってるとこ、見たくないんです』
青年は緑色の目を見開いた。通じたようだ。鬼頭はほっとしたが、青年は何も言わずに正面を向いた。
つられて鬼頭もそちらを見る。見慣れたあの黒い人影が立っていた。
「雅美……」
早く来てほしいと思ってはいたが、これほど早く来るとは思わなかった。用済みになった携帯電話をしまうのも忘れて唖然としていると、雅美はコートのポケットに両手を突っこんだまま、競歩のような速さでこちらに向かって歩いてきた。
(ああ……これは怒ってるな)
我知らず、苦笑しながら携帯電話をポケットに入れる。だが、雅美は鬼頭ではなく、鬼頭の隣にいる青年の前で立ち止まった。
「気は済んだか?」
息も乱さず、居丈高に雅美が問う。その目はやはり鬼頭ではなく、青年だけを睨むように見ている。雅美には鬼頭よりもこの青年のほうが許しがたかったようだ。
しかし、その青年はというと、やはり言葉が通じていないのか、かすかに笑みをたたえてさえいる。雅美に怒鳴られることを覚悟していた鬼頭は、拍子抜けして黒衣の二人を眺めていた。
(本当に、どういう関係なんだ?)
電話で雅美に説明はされたが、まるで説明になっていない説明だった。この青年が魂を食らうもの――雅美いわく〝死神のようなもの〟だというところまでは何とか納得できたが、それが雅美にとりつきにきた――そして、それを雅美自身が受け入れているというのが、どうしても理解できない。そんなことをしたら、雅美の魂も食われてしまうのではないか。
「おまえの事情は知らんが、いいかげんにしろ。ここは俺の縄張りだ」
とうとう我慢の限界を超えてしまったらしい雅美が、コートのポケットから右手を出した。その手はいつものように素手だった。
(手袋、取ったのか)
やはり手袋は邪魔だったのかと思って見ていると、その視線に気づいたらしい雅美が、決まり悪そうに右手を握った。
そのとき、青年が音もなく立ち上がった。否。この青年は最初から、足音一つ笑い声一つ立てていなかった。
突然のことに鬼頭は驚いたが、それは雅美も同じだったようだ。無言で青年を見つめると、青年は寂しげに微笑み返し、鬼頭たちに背を向けた。
「おい、待て」
そのまま左方向に向かって歩き出した青年に、雅美があわてて右手を伸ばす。だが、その指先が触れる前に青年の体は白く輝き、一瞬後にはソフトボールほどの大きさの光球となって、夜空を駆け上っていった。
しかし、それを目で追っていたのは鬼頭と雅美だけで、通行人たちは何事もなかったかのように歩きつづけていた。
「結局、何がどうなったんだ?」
青年がここから立ち去ったということは何となくわかったが、その理由がさっぱりわからない。いつのまにか右手をポケットに戻していた雅美を見上げると、彼は空から鬼頭に目を移した。
「俺にはとりつきたくないらしい。よそに行った」
端的にそう答えた雅美の顔は苦く笑っていた。
鬼頭には何も聞こえなかったが、あの青年は雅美だけに聞こえる声で会話していたのかもしれない。
「よそ? えーと……いいのか?」
何と言ったらいいのかわからず、そんな頭の悪い訊き方をしてしまったが、幸い、雅美にはそれで通じたらしく、特にこれと言って問題はないとそっけなく返された。
「多少バランスは崩れるが……たいした差は生じないだろう」
「バランス?」
やはりわけがわからない。だが、雅美はそれに関しては解説しなかった。解説したくなかったのだろう。
雅美の断片的すぎる発言を組み合わせると、雅美とあの青年とは〝同種〟だったようだ。二人の雰囲気が人種を越えて似ていたのも――もっとも、青年のほうが格段に愛想はよかったが――雅美の対応が冷ややかだったのも、それなら当然と思える。
しかし、雅美はあの青年を〝死神のようなもの〟と称した。ならば、雅美も――
「とりあえず、俺はもう帰ってもいいのか?」
わざと脳天気にそう切り出すと、案の定、雅美は呆れたように眉をひそめた。
「だから、最初から帰れと言っていただろうが。……あれに何かされたか?」
ついでのように訊かれたが、たぶん、それがいちばん知りたかったことだろう。こういうところは本当に、雅美はわかりやすいのだが。
「いや、別に。隣には座られたが、それ以上は何も」
むしろ、何かしたのは自分のほうだ。電話をしているふりをして青年に話しかけた。
だが、それを話したら、雅美の機嫌を損ねてしまうような予感がものすごくする。鬼頭は自己判断でなかったことにした。
「そうか。それならいいが」
あのとき、携帯電話を持っていたのが功を奏したのか、雅美はあっけないほど簡単に鬼頭の嘘を信じた。
鬼頭は少しだけ罪悪感のようなものを覚える。あの青年が雅美にとりつくのをやめたのは、自分のあの言葉が原因かもしれないのに。
「じゃ、帰るか」
しかし、今となってはもうどうしようもない。鬼頭は罪悪感を振り払ってベンチから立ち上がった。
ここのベンチは石とコンクリートで出来ていて、今は丸裸の落葉樹の前に設置された背もたれのないタイプだ。長時間座るのにはまったく向いていない。
「俺が帰れと言ったときに帰っておけ」
やはりそこが気に食わなかったのか、雅美はまた憎まれ口を叩いた。
だが、鬼頭がロッカーから荷物を取り出して改札口を出るまで、鬼頭のそばから離れなかった。
雅美に切られてしまった携帯電話を握ったまま、鬼頭は困惑した。
例の金髪の美青年は、今も明らかに鬼頭を見ている。
彼の周囲にいる人々は、まったく彼が見えていない様子なのにも関わらず、やはり自然に彼を避けて歩いていく。鬼頭が彼の存在に気づけたのもそのせいだった。
(死神のようなって……魂を食うんなら、やっぱり死神なんじゃないか?)
鬼頭がそう考えている間に、今まで立ち止まっていた青年が歩き出した。
どう考えても、ベンチに座っている鬼頭に向かって。
(頼むから、早く来てくれよ、雅美)
とっさにそう思ったが、そもそも雅美の言うとおり、さっさと帰途についていれば、今のような状況にはならなかったはずだった。
(まあ、自業自得だな)
目を閉じて溜め息を吐き、また目を開けた。ほんの数瞬のことだったが、そのときにはもう青年は、手を伸ばせば触れられそうなほど近くに立っていた。鬼頭は携帯電話を下ろしながら、黙って青年を見上げた。
こうして間近で見てみると、やはり人形のように整った顔をしている。そこは雅美と共通していたが、年齢だけでなく身長も雅美よりやや高い。
雅美によると、地縛霊を三体も食らったそうだが、そのせいなのかどうなのか、最初に会ったときよりも表情に生彩があるような気がする。
と、青年がにこりと微笑み、座ってもいいかとでもいうように、鬼頭の左隣を白い右手で指した。
「あ、どうぞ……」
ついそう答えかけてから、この青年の姿は自分以外には見えていないことを思い出し、あわてて携帯電話を耳にあてがった。こうしていれば、空中に向かってしゃべっている挙動不審者には思われないだろう。
「あー……どこのどなたか存じませんが……」
あくまで人混みを眺めているふうを装いながら、鬼頭は自分の隣に腰を下ろした青年に話しかけた。
「あまり雅美を困らせないでやってもらえませんか」
横目で確認すると、青年はきょとんとしていた。雅美も日本語で話していたし、てっきり日本語は通じるものと思っていたのだが、もしかしたら雅美だから意思疎通ができていたのだろうか。
(英語、通じるかな)
白人のようだが、英語が話せるとは限らない。しかし、鬼頭が使える外国語は英語くらいだ。仕方なく、今度は英語で言い直す。
『どこのどなたか存じませんが、あまり雅美を困らせないでやってもらえませんか。俺は一応雅美の友人なんで、雅美が困ってるとこ、見たくないんです』
青年は緑色の目を見開いた。通じたようだ。鬼頭はほっとしたが、青年は何も言わずに正面を向いた。
つられて鬼頭もそちらを見る。見慣れたあの黒い人影が立っていた。
「雅美……」
早く来てほしいと思ってはいたが、これほど早く来るとは思わなかった。用済みになった携帯電話をしまうのも忘れて唖然としていると、雅美はコートのポケットに両手を突っこんだまま、競歩のような速さでこちらに向かって歩いてきた。
(ああ……これは怒ってるな)
我知らず、苦笑しながら携帯電話をポケットに入れる。だが、雅美は鬼頭ではなく、鬼頭の隣にいる青年の前で立ち止まった。
「気は済んだか?」
息も乱さず、居丈高に雅美が問う。その目はやはり鬼頭ではなく、青年だけを睨むように見ている。雅美には鬼頭よりもこの青年のほうが許しがたかったようだ。
しかし、その青年はというと、やはり言葉が通じていないのか、かすかに笑みをたたえてさえいる。雅美に怒鳴られることを覚悟していた鬼頭は、拍子抜けして黒衣の二人を眺めていた。
(本当に、どういう関係なんだ?)
電話で雅美に説明はされたが、まるで説明になっていない説明だった。この青年が魂を食らうもの――雅美いわく〝死神のようなもの〟だというところまでは何とか納得できたが、それが雅美にとりつきにきた――そして、それを雅美自身が受け入れているというのが、どうしても理解できない。そんなことをしたら、雅美の魂も食われてしまうのではないか。
「おまえの事情は知らんが、いいかげんにしろ。ここは俺の縄張りだ」
とうとう我慢の限界を超えてしまったらしい雅美が、コートのポケットから右手を出した。その手はいつものように素手だった。
(手袋、取ったのか)
やはり手袋は邪魔だったのかと思って見ていると、その視線に気づいたらしい雅美が、決まり悪そうに右手を握った。
そのとき、青年が音もなく立ち上がった。否。この青年は最初から、足音一つ笑い声一つ立てていなかった。
突然のことに鬼頭は驚いたが、それは雅美も同じだったようだ。無言で青年を見つめると、青年は寂しげに微笑み返し、鬼頭たちに背を向けた。
「おい、待て」
そのまま左方向に向かって歩き出した青年に、雅美があわてて右手を伸ばす。だが、その指先が触れる前に青年の体は白く輝き、一瞬後にはソフトボールほどの大きさの光球となって、夜空を駆け上っていった。
しかし、それを目で追っていたのは鬼頭と雅美だけで、通行人たちは何事もなかったかのように歩きつづけていた。
「結局、何がどうなったんだ?」
青年がここから立ち去ったということは何となくわかったが、その理由がさっぱりわからない。いつのまにか右手をポケットに戻していた雅美を見上げると、彼は空から鬼頭に目を移した。
「俺にはとりつきたくないらしい。よそに行った」
端的にそう答えた雅美の顔は苦く笑っていた。
鬼頭には何も聞こえなかったが、あの青年は雅美だけに聞こえる声で会話していたのかもしれない。
「よそ? えーと……いいのか?」
何と言ったらいいのかわからず、そんな頭の悪い訊き方をしてしまったが、幸い、雅美にはそれで通じたらしく、特にこれと言って問題はないとそっけなく返された。
「多少バランスは崩れるが……たいした差は生じないだろう」
「バランス?」
やはりわけがわからない。だが、雅美はそれに関しては解説しなかった。解説したくなかったのだろう。
雅美の断片的すぎる発言を組み合わせると、雅美とあの青年とは〝同種〟だったようだ。二人の雰囲気が人種を越えて似ていたのも――もっとも、青年のほうが格段に愛想はよかったが――雅美の対応が冷ややかだったのも、それなら当然と思える。
しかし、雅美はあの青年を〝死神のようなもの〟と称した。ならば、雅美も――
「とりあえず、俺はもう帰ってもいいのか?」
わざと脳天気にそう切り出すと、案の定、雅美は呆れたように眉をひそめた。
「だから、最初から帰れと言っていただろうが。……あれに何かされたか?」
ついでのように訊かれたが、たぶん、それがいちばん知りたかったことだろう。こういうところは本当に、雅美はわかりやすいのだが。
「いや、別に。隣には座られたが、それ以上は何も」
むしろ、何かしたのは自分のほうだ。電話をしているふりをして青年に話しかけた。
だが、それを話したら、雅美の機嫌を損ねてしまうような予感がものすごくする。鬼頭は自己判断でなかったことにした。
「そうか。それならいいが」
あのとき、携帯電話を持っていたのが功を奏したのか、雅美はあっけないほど簡単に鬼頭の嘘を信じた。
鬼頭は少しだけ罪悪感のようなものを覚える。あの青年が雅美にとりつくのをやめたのは、自分のあの言葉が原因かもしれないのに。
「じゃ、帰るか」
しかし、今となってはもうどうしようもない。鬼頭は罪悪感を振り払ってベンチから立ち上がった。
ここのベンチは石とコンクリートで出来ていて、今は丸裸の落葉樹の前に設置された背もたれのないタイプだ。長時間座るのにはまったく向いていない。
「俺が帰れと言ったときに帰っておけ」
やはりそこが気に食わなかったのか、雅美はまた憎まれ口を叩いた。
だが、鬼頭がロッカーから荷物を取り出して改札口を出るまで、鬼頭のそばから離れなかった。
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