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第五章

蛸蜘蛛桜屋敷反転攻勢 #19 三匹の犬

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     その日がやって来た。
     完全なボンテージ武装をする時は、身体の前処置が大切で、それはメイクなどと違った本格的な身体行為だからかなり大変である。
   もっとも僕はその大変さを楽しんでいたりもするのだが。
 まず恥毛を完全に剃毛する。
    でも元から体毛は薄いし、そうたいした毛量でもないから完全脱毛する気はない。
     しかし仕事となれば別だ。
     ツルツルスベスベにする。
     化ける時は化ける。普段からケアしてるからって、手を抜かないことが大切なのだ。

    コスチュームを着けると排泄も思うように出来なくなるから、前もっての浣腸が絶対に必要になってくる。
    ゴムにこびり付いた糞尿の匂いが好きだというMも結構見てきたが、僕は嫌いだ。
 腸に注入したお湯がそのまま排泄されるまで、徹底的に何度も浣腸する。
    更にお尻にバルーンプラグを詰めてパンパンに膨らまし密栓すると絶対に外れないし、拡張も出来て一石二鳥になる。

 …ここまでくると相当疲れるけれど、今からが本番だ。
   それでやっとラバーを装着する事が出来る。 
   肉体的な前処理をして、初めてコスチュームをつけた全くの別人、いや別の「物体」になった自分と向き合うことができるわけだ。

 ところで単にラバーの靴下をこっそり履くだけで、普通の仕事をしていても、妄想が刺激されて快感の水域が低くなるのが僕の体質だ。
    これは僕に取り憑いた曾祖母さんの血筋を引き継いでいるのかも知れない。
    初めてラバーを身に着けざるを得なかった事件があったが、その際は人知れず4回も昇天した、、。
    今度はラバーの完全武装だ、、一体どうなる事やら。本来の任務を忘れそうだ。

 マーキスのビデオや写真を観ていると、それだけで脳内麻薬が垂れ流し状態になりアナルやあの辺りに灼熱感を覚え、全身の皮膚がそのまま性感帯になった様などうにも抑えようのない感覚に襲われる。
 僕はラバーに関しては、単なる人間の形をした快楽装置にしか過ぎない存在になるのだ。
    多分、座り巫女として色々な性快感を体験した筈の曾祖母さんも、この感覚だけは時代的な問題で、体験知はないだろう。
    否、だからこそ千代さんはこの感覚に事更にのめり込む、そう云う事もあると、僕は思っている。

 ゴム製のスーツを手に取った瞬間、その妖美な光沢と生地のしなやかさに、否応なく神経が高ぶるのを覚える。
 しばらくのあいだ愛しい男を愛撫するように、ラバーの表面を指先と掌全体でその感触を存分に楽しむ。
 胸の異様なまでの鼓動が、自分の耳に外部の音として聞こえて来る。
    一瞬も早く袖を通したい気持ちを必死で押さえ込む。
    あそこに外出用のプラグを挿入し、バストもトップが透けないように、テープで押さえ込むのを忘れない。

 いよいよだ。
    慎重に爪先からスーツの中に入りながら、その肌触りの心地良さと、圧迫感・密着感に目眩を覚えつつ僕は別の生命体に変わっていく。
 クチュ、キュラ、ドロン。
    足首、ふくらはぎ、膝、腿。順番に、慎重にゆっくりと、僕の身体がゴムの中に詰め込まれて行く。

 お尻と腰周りは特に注意深く、丁寧に身体に沿わせてやる。
    ラバーがぬるると張り付いて来る。
    爪に気を付けて、新しい皮膚を移植するように……。
 ウエストから上部は、呆気ない程簡単にラバー空間に納まってしまった。
    ファスナーをしっかりと閉じて、僕は完全に新しい肌を手に入れる。

 恐る恐る鏡の前に立ってみる。
    大好きな瞬間だ。
    そこには何とも形容しがたい異形の美しさを放つ自分自身が存在している。
『……これが僕』
    なんど見ても慣れる事がない。
   その頃には、もう抑えが効かなくなている。
 鶴継君が用意したそのほかのボンテージアイテムを取り出し床に並べた。

 絨毯の上で芋虫のようにのたうち、うごめいてスーツの感触を思う存分味う。
    乳房も生殖器も、身体中一分の隙間も無く、人工の皮膚に覆い尽くされ、纏わり付き、締め付けられ、何処までも吸いついてくるラバー。
 きっと第三者が目にすれば、思わずギョッとする異様な光景に違いない。
 横たわりうごめく僕は、他人の目からは現代美術のオブジェクトか人外生物としか認識出来ないだろう。
    僕は名も性別も年齢も無い、一個の無機物に成り果ててしまうのだ。

 キツイ、でも温かい。果てし無い快感。
    寸分の隙間も無く密着し、吸い付き、身をよじる度に敏感な部分にも容赦無く喰い込み、張り付き……呆気ないほどたやすく果てそうになるけれど、それを我慢する。

 次に合皮の黒いコルセットを重ねて着る事にする。
    ラバーキャットだけでは攻撃的じゃないからだ。
    コルセット状の胴体部の紐を、思い切り締め上げてやる。
    さらに膝上ブーツを履く。
    グローブも嵌めて、ほぼ予定通りの武装が完了する。

 武装の上からは黒いパンタロンスーツに首もとはスカーフを巻いた。
    そしてラバーグローブを隠す為の白い手袋。
 最近は日焼けを嫌がって普段でも外出先では手袋をする女性が増えているから、そう奇異には見えないだろう。

 部屋を出てみて判ったことだが、普段なら何気ない動作でも、思い切り締め上げたコルセットが苦しかったり、ラバーの表面に上着のクロスがまつわりついたりと違和感が大きい。

 それに股間に縦に通したペニスバンド用の革ベルトも、目一杯きつく締めているから、歩いている内にお尻の割れ目にピッタリ食い込んでくる。
    内緒で悪い一人遊びをしてる様で、窮屈だけど何とも言えない官能的な気分が高まってくる。
 それに相手には判らなくても自分自身では非日常的な卑わいなものを身につけているという意識があるから、周囲の視線が刺すように痛く感じられるのだ。
    …まあ、この屋敷内ではあまりその落差は感じられないが。



 こんな完全武装ではなく、ラバーの靴下を付けて仕事に出るといった些細な冒険なら、出来るだけそれを楽しむために混み合った地下鉄などを使うのだが、さすがに今日はそんな楽しみとは無縁だ。
    完全装備のラバーコスで電車に乗る…そんな事をすれば大学に着くまでに僕は感じすぎて意識を失ってしまうだろう。
 鶴継君に出迎えさせるようにして置けばよかったと後悔したが、結局僕は藤堂屋敷から例のいけ好かないお抱え運転手の世話になる事になった。

 車の中は僕が全身に纏っているラバーの匂いが微妙に充満し始めて、初老の運転手は又、妙な顔をした。
 そして思い切ったような顔でバックミラーを睨み上げながらこう言ったのだ。

「ねえあんた、ゴム臭くありません?」
 僕の心臓が跳ね上がる。
    僕はアタマの中で「そうよ。このタクシーにはゴムオンナが乗ってるんだから、ゴム臭くて当たり前なのよ。その内、どんどん臭くなっていくわ。」と赤い口の悪魔のように叫びながら、口では「そうかしら僕には何も匂わないけど、気になるなら窓を少し開ければ。僕も外の空気を少し吸いたいし、、。」と答える。

「はあ、、。」
    運転手は釈然としない顔をしながら僕の指示にしたがってウィンドウを少し下げた。
 運転手は「あんたが乗ってからゴム臭くなったんだけどねぇ。。」という言葉を飲み込むつもりになったのだろう。
 でもこの運転手の執拗でさりげない僕へのチェックは取り下げられる事はなかった。

「あなたみたいな人があの大学へ行くなんて珍しいね。何の勉強しに行くの?」
 言葉の端々に明らかに差別の色がある。
    接客業のイロハを一から勉強したらと言いたくなったが我慢した。
   今の僕の格好はメイクも含めて、明らかに普通の用事で大学に向かう女の姿ではなかった。
   『 こんな格好をするなんて、何か特別な目論みがないのなら、単に恥知らずの低能の売春婦だ。』
 年季を積んだ運転手はそこの所を見抜いてこちらに話しかけているのだ。

「最近はね、こういうお仕事でも話題が豊富じゃないとやっていけないの。有名な東京ネズミの一般公開の講座が聞けるなんて最高でしょ。」
    僕はわざと惚けてみせる。
「…東京ネズミの方な。…あっちの城太郎さんなら、そんな格好でもまだ判る。まぁ確かに、あんたらが見るような下品なネットでも有名だしね。、、ところでさ、変な音しない?」
「変な音?」
「うーん、何だが軋るような感じキュッキュュってさ。やっぱゴムだろ?」
「いやだー。この車整備不良じゃないの~。」

 僕が着込んでいるラバースーツの音だ。 
    違う男に違うシチュエーションで言われたなら、間違いなく感じたろうエロい一言だったが、この運転手では駄目だ。
 仕方なく僕は普段上手く使いこなせない甘えた嬌声で対抗せざるを得なくなった。
   いけ好かないケチで下品な男だったが、それなりにしなだれかかるような好意を見せると舞い上がる。

     そんな経緯を経て車を降り、大学の門をくぐる頃には僕はかなり不機嫌になっていた。
(クソ、あのオヤジ。今度、何処かで出会う様な事になったら跪かせて鞭でしばき倒してやる。)
 でも冷静に考えてみるとこの成り行きはかなり幸運な事だったのかも知れない。
     今感じている怒りや不機嫌さがもし僕を支えていなければ、計画遂行の前に、僕の意識は、微弱にそして常に感じる快感の為に溶け崩れていたかも知れないからだ。 



 大きなすり鉢型の受講室は九割がた人で埋まっていた。
     僕は鶴継君の姿を目で探す。
     鶴継君は壁際の大きな三脚付きのビデオカメラが設置してある通路際座席に座っていた。
 そこは演壇から遠い位置にある為、彼の周りには結構空席が目立っている。
   『特別講演の記録サブもやる、兄思いの弟』、、やるわね鶴継君。

 僕が大学生達の間をすり抜けて行くたびに、彼らの粘っこい視線が絡みついてくるのが判る。
 僕は自分がまるで黒いコンドームで包まれた巨大なペニスになったような気分になった。
    そして次に頭の中で、肉でパンパンにはち切れた黒いラバーの表面に精液の白い粘りが糸を引きながら落ちていくイメージがかすめる。

 そんな僕の姿を、鶴継君がいかにもサブのハンディビデオで会場の様子を撮影していますというような顔でこちらにレンズを向けているのが見えた。
    
 僕は上気した顔で、鶴継君の近くにある席に腰を落ち着けた。
 僕の一つ隣には気弱げな男子大学生がいて、僕の着席と共に顔を伏せる。
    瞬間的に僕の中の「S」が起動する。
   そしてその時、タイミング良く鶴継君が席を動いて僕にすり寄ってきて囁いて来た。

「隣に座っている奴は僕の知り合い、、いいおもちゃになる筈だ。勿論、今日の仕掛けはまったく知らない。満席の筈の受講席が何故一割方空いているかも含めてね。……これからのメインディッシュの前に軽く前菜やってくださいよ。じゃ僕は引き続きビデオとカメラで記録してますから、、あなたをね。」

 鶴継君は立ち去る前に背伸びをするようにして僕の隣の大学生に意味ありげなウィンクを送る。
    それは屋敷にいる時の彼のイメージとは随分と違っていて勢力的だった。
    おそらく屋敷では城太郎兄に抑え込まれているのだろう。


 すこし肉の厚い丸顔の大学生はきょとんとした顔で鶴継君のウィンクを受け止めている。
    おそらく彼の中では鶴継君と僕に対する様々な妄想が駆けめぐっている筈だった。
 いたぶる対象としてはB級のお兄さんだが、鶴継君のカメラが回っているなら選り好みは出来ない。
 僕は席を更に詰めて隣の大学生君の身体に上半身を密着させた。
     嫌なら席を立てばいいのだが、そうしない所を見ると彼は僕に何かを期待しているのだった。

 僕は手に付けていた白い手袋をゆっくりと外して据え付けてある長机の上に揃えて置いた。
 勿論、白い手袋の下から現れたのは、手の甲の血管まで浮き上がって見えようかという皮膚にぴちぴちに張り付いたラバー手袋だった。
 僕はその両手の平で自分の頬をさすってラバーの感触を楽しんでみる。
    勿論隣の大学生君はそんな僕の一部始終を横目で見ている筈だ。

 僕は止めに、ラバーで覆われた人差し指をゆっくり口に含んで、唾液をたっぷりなすり付けた。
    隣でごくんと生唾を飲み込む音が聞こえる。
 
「ソーセージみたいで美味しい、、。」
    ワザとらしい独り言を呟きながらその手をゆっくり大学生君の膝の上に置いた。
   大学生君の全身がびくんと震えたが、怯えているようではなかった。
 僕の手が大学生君の太股をゆっくり這いずり回りやがて股間に達しようとする時に、城太郎の、いや東京ネズミの講演が始まった。


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